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ネットフリックスが、3分の短い動画作品をYouTubeで公開した。『犬と少年』と名付けられた、実験的な作品だ。
出典:ネットフリックス
この作品、SNSの反響を中心として、ネットで少々炎上気味なところがある。実は、背景美術に「AI」を使っているからだ。
「人が描かないとは何事か」「適当なAIの絵でいいのか」
そんな指摘が、海外を中心に巻き起こっている。
ただ、ネットフリックスがAIをアニメに取り入れる実験をした背景とその結果を聞くと、「AIでコスト削減」的なイメージとは、まったく違う狙いがあったことがわかった。
アニメ業界の圧倒的な「人手不足」
ネットフリックスの実験的アニメ作品『犬と少年』。
画像提供:ネットフリックス
絵を描くAI、いわゆる「ジェネレーティブAI(生成系AI)」が世間で話題になり始めたのは、2022年の初夏のこと。そこから半年ほどで、絵を描くAIとAIで描かれた絵はネット中にあふれた。
けれども、ネットフリックスのAI作画プロジェクトはそのずっと前からスタートしていた。
「始めたのは昨年の1月頃。ジェネレーティブAIが、こんなに話題になるとは思ってもみませんでした」
「犬と少年」をつくったアニメ制作会社・WIT STUDIOの牧原亮太郎監督はそう話す。
「犬と少年」を制作した、WIT STUDIOの牧原亮太郎監督
写真提供:ネットフリックス
狙いは、平たく言えば「アニメ制作のDX」だった —— ということになる。
日本で「アニメーター」と呼ばれる人々は5000人から6000人「しか」いない。アニメーターは1作品で200人くらい必要になるのだが、日本では年間に300本近くの作品が作られている。まったく人が足りていないのだ。
「犬と少年」の撮影監督で、Production I.G 撮影監督/CGIプロデューサーの田中宏侍(こうじ)氏も、
「制作の各セクションにかなり無理がきています。それを“とにかく手数を増やす”ことでなんとかしている状況で、やりたいことに注力できない」
と、現状の課題を説明する。
Production I.G 撮影監督/CGIプロデューサーの田中宏侍氏。
写真提供:ネットフリックス
ネットフリックスでアニメチーフプロデューサーを務める櫻井大樹氏も「新しい制作の方法を模索しなくてはいけない」という点で意見が一致し、技術的なテストとして、まず短編のアニメ作品をつくることになった。
「ネトフリのアニメ背景だけから学習」したAIを開発
ネットフリックス・アニメチーフプロデューサーの櫻井大樹氏。
写真提供:ネットフリックス
アニメには、キャラクターなどを描く作画のほかに、背景となる絵を作る「背景美術」という工程がある。今回AIで担当したのはこの「背景美術」だ。
AIで背景の絵を描かせるというと、お絵描きAIとして有名な「Midjourney」や「Stable Diffusion」を使って、命令だけを与えて簡単につくる……と思うかもしれない。
だが、今回は、既存AIはごく一部でしか使っていない。
主に使ったのは、このプロジェクトのためだけに開発した「オリジナルのAI」だ。技術的には、OpenAIが公開したDALL-Eなどと同じTransformerベースの画像生成AIだという。
オリジナルのAIを用意したのは、他の画像生成AIのように「ネットで収集された、権利関係が明確でない学習ソースを使うのはリスクがある」からだ。
そこで、Production I.Gが手がけた「ネットフリックス・オリジナル作品」で使った背景美術を集め、AIの学習に使った。
制作したのはrinna社。マイクロソフトからスピンアウトしたAI企業で、2015年に話題を集めた「人工知能・りんな」の開発元だ。
ただ、そのオリジナルAIを使った上で、さらにAIがつくった絵をそのまま採用しているものは「ほとんどない」(牧原監督)。
「犬と少年」は41カットで構成された作品で、カットごとに背景美術が必要だ。
「AIのつくったものがかなり使えて、9割手間が削減できたところもあれば、1割しか使えなかったところもある」(牧原監督)
「まずはプロンプトを入力しますが、そこでAIが思ったような絵をつくってくれることはまずない」と牧原監督は笑う。
アニメーターが描いた「レイアウト」とプロンプトを組み合わせてAIで背景を生成した。
撮影:西田宗千佳
時にはプロンプトを工夫し、また時には生成された絵に加筆し、さらにそれをAIに読み込ませて別の絵を生成して……という試行錯誤を繰り返し、背景の「元」ができ上がる。
上の列にあるのがレイアウトと、最終的なカットに使った背景美術。下に並んでいるのが、その過程で使った「AI生成の画像」だ。
撮影:西田宗千佳
似た要素を持つ、いろいろな絵を検討していたことがわかる。
撮影:西田宗千佳
「AIは正確なパースを出してくれない。『このカットを切り返して逆方向から』『この絵のココに道を』というつくり方を、人間なら確実に理解して作業できますが、AIには難しい。
きれいな富士山の絵は描けても、崩れた富士山は描けない。そういうソースを学習していないからです」(牧原監督)
牧原監督は、今回使った画像生成AIの限界をそう説明する。結果として、AIの作画は「素材」として使われるものの、結局最終的には、監督が手作業で必要な部分を書き加えたり、一部だけを切り取ったりして活用されていった。
レイアウト例。まずはこれをベースにAIで生成する。
撮影:西田宗千佳
AIで生成した絵。ただ、雰囲気が違ったりするので、書き加えた上でさらにAIに読み込ませて絵を練り上げる。
撮影:西田宗千佳
最終的には、光の様子や寒々しさなどを人の手で書き加えて完成。
撮影:西田宗千佳
省力化した分「必要なところ」に手数を投入
「結果として、AIでざっくり、40%から50%くらいは省力化できたのでは」と牧原監督は話す。
「50%浮いた時間を使って、その分、手のかかるところの質を上げることに使えた」
最終的には監督が自ら画像に手を加え、描きこんでいく。
撮影:西田宗千佳
アニメ制作はとにかく手間がかかる。ほぼどんなカットでも人が関わるからだ。
1つの作品の中には「非常に重要で一切手を抜けない部分」と「そこまで重要でもなく、流れ作業でいい部分」がある。今はどれも、人が同じように作業しなくてはいけないので、どちらも一定の作業時間がかかる。
「作品制作中、才能ある作画監督・美術監督に、十分な時間を与えられていない。雑用で彼らの才能を無駄にしているような状況を変えたい」
と牧原監督は言う。
AIを使って彼らが目指していたのは、今まで通りの「苦しい流れ作業」ではなく、もう少しクリエイティビティに集中できる環境を作ることだという。「AIによる人間排除」や「AIによる手抜き」とは、そもそも発想が違う、という主張だ。
今回つくったAIは「ほかの作品には使わない」
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では、ここで得られたAIや知見は、ネットフリックスで今後作るアニメに使われるのだろうか?
櫻井氏のコメントは意外なものだった。
「ノウハウはすべて共有していきたいのですが、実は、今回のAIを今後の作品で直接使うことはありません」
その理由は「質」と「バリエーション」だ。
「今回のAIでは、5000枚から6000枚の背景美術を集めて学習しました。でも、これじゃあ全然足りない。本当なら、数億枚単位で集めて学習させるべきで、それには弊社関連作品だけでは足りない」(櫻井氏)
アニメ会社はどこも困っている。優れた背景美術を描ける人は希少価値が高いのだ。
「これは私見ですが」と断った上で、日本のアニメ産業が世界で生き残っていくための方策の1つとして、櫻井氏は次のような将来像を語る。
「日本中のアニメ会社が、作品を作り終わった後の背景美術を全部集めて、背景美術用のAIをつくってもいいと思うんです。それはどこかの会社のものではなく、日本のアニメ界の財産になる。そのくらいやって、知見や技術を皆で共有すべきかもしれません」(櫻井氏)
もちろん、それでクリエイターが不要になるわけでもない。
「今回の作品も、AIが介在しているのに、作品には明確に、牧原監督の個性がにじみでている。ベースにAIがあっても、そこからさらに手を加えていくので、クリエイターの個性は明確に残るものなんです」(櫻井氏)