DeepL翻訳のWeb版画面。アプリ版も用意されている。
撮影:Business Insider Japan
来日したDeepL社のCEO(最高経営責任者)、ヤロスワフ・クテロフスキー(Jaroslaw Kutylowski)氏にインタビューする機会を得た。
DeepLの特徴は「AIを使った翻訳」だが、現在どのように使われているのだろうか? そして、翻訳の未来をどう考えているのだろうか? エンジニアでもあるクテロフスキー氏のビジョンを聞いた。
セキュリティと「守秘」がDeepLの企業浸透を生んだ
DeepLのCEO、ヤロスワフ・クテロフスキー氏。
撮影:西田宗千佳
まず少し、DeepLの歴史をおさらいしておこう。
DeepLは翻訳サービス「DeepL翻訳」を提供するドイツの企業だ。本社はケルンにある。2017年にサービスを開始して以来、世界中で使われるサービスに成長した。特に、2020年に日本語に対応してからは、日本で広く使われるサービスともなっている。
※社名は当初の「Linguee」から、2017年に現在の「DeepL」へと変更している。
自動翻訳には多くのライバル企業がいる。グーグルなどの大手企業は長く、無料で翻訳サービスを提供してきた。
だがDeepLが登場し、日本語対応が発表されると、国内でも話題になりはじめた。その理由はやはり「品質」だ。
「翻訳の品質と正確さがあってのことだと思います。使い続けるうちに、『これなら相手に通じる』と自信が持てるようになるので、ツールをより信頼してもらえるようになります。
DeepLでは早期から、そうした信頼関係がユーザーとの間で芽生えていたように思います」(クテロフスキーCEO)
そしてもう1つ、大きな点として「ビジネスモデル」を挙げる。
「特に大企業にとってはセキュリティが大事だった、という点も重要です。彼らは日常的に、守秘義務が発生する文書のやり取りをしている。セキュリティや守秘の保証がある『Pro』プランを用意していたことは、彼らの信頼を得る意味で重要な点でした」(クテロフスキーCEO)
クラウドベース、しかもAIを使った翻訳では、データが収集され、学習に使われることが多い。
だが守秘義務がある場合、他社に文書内容が公開される可能性があるサービスは使えない。だが、DeepLは無料で使える「フリーミアム」モデルでありつつ、有料の「Pro」プランでは、いかなる文書も「翻訳後には速やかに破棄される」ことが明示されており、企業でも使いやすい。
課金ユーザーは「ワールドワイドで50万を超えるくらい」とクテロフスキーCEOは言う。数千万人を超える無料での利用者がいるわけだが、フリーミアムモデルとしては決して低くない数字と言える。
一方でクテロフスキーCEOは「無料での利用者をコンシューマ(消費者)と呼ばないようにしている」とも言う。
「DeepLを家族とのコミュニケーションなどのプライベートな用途に使っている人もいるのでしょうが、ほとんどの人がなんらかのビジネスシーンで利用しています。それだけ、外国語をビジネスシーンで使わなければいけない人が多い、ということなのですが」(クテロフスキーCEO)
大学生の「DeepLで論文書き」。文章の書き方が変わった
多くの人がDeepLのようなサービスを使うようになり、おもしろい現象も出始めた。
学生が論文を書くとき、まず日本語で書いたものをDeepLで英語にし、さらにその英語をDeepLで日本語へと翻訳することで、難しくて通じづらい言い回しを改善したり、英語での表現方法を学習したりしている、というのだ。
言い方を変えれば、AIが翻訳しやすい文章を書くことで「別の言語でもわかりやすい文章」を目指しているわけだ。
「おもしろい傾向ですよね。DeepLは語学学習を目的としたものではないですが、世界中でそういう使い方をしている人が増えています。ドイツでは、ドイツ語から英語に翻訳し、さらに英語からドイツ語に翻訳している人たちがいます。
私自身、ドイツ語で書いていたものを英語に翻訳するときに、この方法を使うことがあります。英訳が気に入らなかったとき、『ああ、私の文章が明確でなかったのだ』と気づいたのです」(クテロフスキーCEO)
クテロフスキーCEOは母国語のドイツ語同様、英語が堪能なのだが、それでもDeepLを日常的に使っているという。
「もしかすると、日本とドイツではDeepLの使い方に違いがあるかもしれないですね。ドイツでは、効率性を重視し、非常に素早く行うことが重要です。
私の場合、ドイツ語で何かを書いて、それをすぐに翻訳して使う方が簡単で早いことがあります。自分で翻訳することも、直接英語で書くこともできますが、とにかく早く終わらせることが重要。特にビジネスでは、人々は常に時間を節約したいと思うものです」(クテロフスキーCEO)
この感覚は非常によくわかる。事実、筆者も同じように使っている。
「もちろん、読めない言語、話せない言語のためにDeepLを使っている人は多数いる」(クテロフスキーCEO)としつつも、母国語でないがゆえに起きる「ほんのちょっとのストレス」「わずかな効率の悪さ」を軽減するためにDeepLが使われることが多いだろう。
貿易の多さが、AI翻訳の質にも影響を与える?
DeepLが公表している他の翻訳ツールとの精度比較。
出典:DeepL
翻訳という意味では、この先に2つの課題がある。
まずは翻訳の精度を上げることだ。AIによる翻訳では、「言語の話者が多いほど情報が増えて有利になる」と言われている。そうなると英語と中国語が圧倒的に有利な訳だが、その点はどうだろうか?
「正確には、インターネット上などで検索できる翻訳データの量の問題だと思います。
必ずしもその言語を話す人の量と関係があるわけではありません。例えば、インターネットでバイリンガルデータを分析すると、ドイツ語の英語のテキストがたくさん見つかります。これは、ドイツが輸出をたくさん行っているためです。
東京証券取引所は四半期ごとの決算を日本語と英語の両方で発表することを推奨していると聞いています。これは、非常に有用な追加の翻訳データのソースになります。
つまり、その国の言葉に対するオープンさ、貿易の多さが、翻訳の量に影響を与えているのだと思います」(クテロフスキーCEO)
一方でもちろん、データ量への依存度を減らすことも重要だ。だが、翻訳の質向上には、また別の視点も必要になっていく。
「これからは膨大な量のデータを持たなくても、翻訳がどんどん良くなっていく方向に向かうと思います。しかし、翻訳や翻訳技術をさまざまなトピックに対応させたいのであれば、トピックそのものについて学ぶ必要があります。
医学の文章や微生物学の文章を翻訳したい場合は、専門用語と文体の理解が必須です。
AIには、特定の文脈に特化した多くの人間の翻訳者のような能力を身につけてほしいのです。それはAIにとって非常に大きなチャレンジであり、かなりのデータが必要になります」
現状のDeepLには誤訳もある。そのため「DeepLは英語がわかる人が使ったほうがいい」と言われることがある。特に大きいのが、複雑な言い回しなどをDeepLが段落単位でスキップしてしまい、文章の意味が変わることがあるからだ。
この課題の解決はどうなっているのだろう?
「その課題については認識しています。間違いなくAI開発チームに伝え、改善を進めます」
「もちろん、改善しなければいけないのですが……」と言いながら、クテロフスキーCEOは次のように苦笑する。
「これはAIやニューラルネットワークが機能する際に、よくある問題なのです。私たち人間と同じように、非常に困難なタスク・非常にチャレンジングなタスクを見つけた時、AIは、その種の困難な部分をスキップしてしまうことがあるのですよ。そう、我々人間と同じように(苦笑)」(クテロフスキーCEO)
(文・西田宗千佳)