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「組織を芯からアジャイルにする」のインセプションデッキ

 書籍「組織を芯からアジャイルにする」を7月21日に発刊した。なぜこの本を書いたのか、誰のために、何のために。そして何を目指したいのか。そうした背景と意図をあらわすための道具を私達は既に手にしている。インセプションデッキだ。

 組織アジャイルに向けてインセプションデッキに少し手を加えている。このデッキも芯アジャイルに収録している(本家のインセプションデッキはアジャイルサムライにあたってもらいたい)。

 さて、なぜこの本を書いたのか。この数年デジタルトランスフォーメーションの名の下にそこかしこで起きている事業と組織の変革。このうねりの中で、「日本の組織」というスコープで共通する課題に直面することとなった。それが、組織の「最適化への最適化」問題であり、最適化に代わる「動き方」を組織に宿す必要があるということだった。

 組織に必要な新たな運動方法「探索」と「適応」こそ、ソフトウェア開発の世界で20年以上かけて育んできた「アジャイル」に他ならない。この実践知を開発以外の業務に、そして組織運営へと適用する。それが、本書の目指すところである。

 組織にアジャイルを宿すためには、一つのチーム、一つの部門で留まるわけにはいかない。組織の縦にも横にも、行き渡らせるという目論見になる。いかにして、組織の中をアジャイルで縦横するのか。そのためのすべを表すことが本書の役割である。

 考えてみれば、これまでも数多くの組織変革本が世の中には存在してきている。書籍あとがきに書いたとおり、私も数多くの書籍をいまだダンボールの中にしまって取ってある。今、10年前の本を取り出してみても、その中身は色あせることなく、大切なことが書かれているし、やるべきことが示されている。…という認識が出来てしまう事自体に、現代の状況の深刻さが分かる。20年も10年も前の、変革の処方箋が未だに通用してしまうこと自体に。

 今にいたり、組織に必要なものとは「何をやるか」というWhat以上に、「どうやって動くのか」という組織としての体の「動かし方」なのだ。

 やるべきことは既にたくさんの示唆がある。ゆえに、その列挙は過去に任せれば良い。本来組織のあるべき姿、理想論、心意気、そういった内容も既に存在している。この本ではアジャイルな動き方に至る作戦を中心に語れば良い。

 ただし、開発におけるアジャイルをそのまま用いるだけでは事故が起きる。一方、巷でみかける「アジャイル型組織」は話が完成されてしまっていて、その過程を表していることが少ない。アジャイル型組織という言葉にはどうも到達後のイメージが強く残る。実際にはそこに至るまでに相当なる時間を要する。

 「何かに則ればアジャイル型組織になれるのであろう」というオプティミズムは、始める一歩の原動力にはなるが、その安易さは危ない(既に、その手のオプティミズムはソフトウェア開発の世界は経験済だ)。ゆえに、あえて、言葉として崩れていても、「組織をアジャイルにする」という経過に重点を置いた「組織アジャイル」という言葉を採用した。

 私達はもうこれまでの方法や判断基準では組織が立ち行かないことをわかっている。ずいぶん前からわかっている。そうしう状態がもう10年も20年も続いている。その時々に、立場や世代を超えて、どうにかしようと藻掻いてきた。その結末が今目の前にある。

 コンフォートゾーンという塹壕を自ら掘って、そこに飛び込み、時の流れをやり過ごすというのは賢い者の選択かもしれない。どう考えても火中の栗を拾うことに合う割があるとは思えないだろう。私もそう思う。そろそろ、自分で自分の塹壕を掘る頃合いかと日々思う。

 一方で。一方で、と思う。

 組織の状態を、組織の規模や業界を越えて、数多く目の当たりにしてきて、思うのだ。いまだ、希望しかない、と。この状況には、希望しかない。組織が最初のアジャイルの回転を得ることができれば、その一周目をもとに次の周回を始めることができる。二周目は三周目をより前身させるだろう。

 多少のもたつきがあったっていい。アジャイルの回転を回し続ける限り、組織は変わる。変わる可能性を、その周回のたびに手にすることになる。たいていの取り組みは組織をプラスに持っていくだろう(そういう状態だということだ)。

 処方箋は既にある。ならば、私達が始めることも分かりやすい。そう、アジャイルの回転を。われわれから始めよう。


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