未来に取り憑かれてこそ、スタートアップ。
グラファーはコロナ禍で“緊急時体制“を敷き、行政機能を補完する

インタビュイー
石井 大地

東京大学医学部に進学後、文学部に転じ卒業。2011年に第48回文藝賞(河出書房新社主催)を受賞し、小説家としてプロデビュー。複数社の起業・経営を経て、2014年より株式会社メドレー執行役員に就任し、医療情報サイト「MEDLEY」の立ち上げに参画。その後、株式会社リクルートホールディングス メディア&ソリューションSBUにて、事業戦略の策定及び国内外のテクノロジー企業への事業開発投資を手掛けたのち、2017年にGrafferを創業。

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新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、「行政」が一気に身近になった。

各世帯への布マスク配布、特別定額給付金はもちろん、中小企業向けの融資制度を注視している経営者も多いはずだ。

しかし、身近になったと同時に、非効率性に目が向いた人も少なくないだろう。未だ残存する紙ベースの手続き、複雑で分かりづらい申請フロー……こうした行政が抱える問題を、テクノロジーで解決しようと奮闘しているのが、「GovTech(ガブテック)」スタートアップのグラファーだ。

同社は2017年、元メドレー執行役員の石井大地氏と、 インキュベイトファンドの村田祐介氏が共同創業。「人々の主体性と創造性を引き出す新しい行政インフラを構築する」をミッションに掲げ、行政手続きを電子化するサービスを提供している。2019年1月にもFastGrowに登場してもらい、事業難度の高い行政領域に取り組む背景と展望を聞いた

それから1年半が経ったいま、再び代表取締役CEOの石井氏にインタビュー。コロナ禍でますます社会的要請が高まっているという、「行政のDX」の現在地と未来を明かしてもらった。

  • TEXT BY MASAKI KOIKE
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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「日本は紙で手続きしているなんて、変ですね」

石井氏によると、国内のGovTechマーケットは「まだまだ黎明期」。政府・自治体のIT支出は年間約1.7兆円と、マーケット規模は大きいという。

しかし、プレイヤーは少ない。大手SIerやソフトウェアベンダーのほか、スタートアップとしては労務手続きでSmartHR、税務手続きでfreeeなどが電子化を推し進める程度だ。

株式会社グラファー 代表取締役CEO・石井大地氏

石井日本は、行政のDXがすごく遅れていると思います。よくエストニアが電子政府として引き合いに出されますが、それだけじゃない。たとえば、韓国と中国では行政手続きがほぼオンライン化されており、「日本は紙で手続きしなきゃいけないなんて、変ですね」と言われることもあります。

日本をはじめ、かつて「先進国」とされていたアメリカやヨーロッパは、総じて電子化が遅れている。近代的な官僚国家を築き上げ、紙や窓口ベースの行政フローが強固に整備されてしまっているからこそ、DXが進みづらいんです。

一方で、日本にも、DXに積極的な自治体はある。たとえば、グラファーの取引先でもある兵庫県神戸市は、「新しい施策に取り組むときに、積極的にスタートアップに声をかける方針を取っている」と石井氏。2020年5月には、新型コロナウイルス感染症の影響で業績が伸び悩む飲食店関係者に向けて、Uber Eatsの連携による飲食店・家庭支援策「Uber Eats + KOBE」を発表した。そのほか、大阪府四條畷市では2017年に28歳で当選した全国最年少市長・東修平氏が先導し、デジタル化をアグレッシブに進める動きも目立っている。

こうした自治体とも積極的に連携しながら、グラファーは下記の表のように、個人、事業者、政府・自治体に向けてサービスを展開している。

個人向けには、アナログでしか進められなかったプロセスをデジタル化。事業者向けには、社内の総務担当や法務担当が担っている手続きを代替する。個人向け・事業者向けあわせて、2020年5月の売上は昨対比4倍以上だという。有料で利用している事業者は、中小企業からネスレ日本をはじめとした大企業まで、15,000社を超える。

政府・自治体向けには、市民の手続きをデジタル化するサービスを提供。SIerなどが手がける受託開発とは異なり、クラウド型の汎用的なシステムを提供しているのが特徴だ。神奈川県横浜市、兵庫県神戸市、東京都品川区をはじめ、14の自治体に導入済みで、約755万人の市民がその恩恵を享受している。売上は既に、個人・事業者向けのサービスを大きく超える規模だという。

個人向け

サービス名 概要
Graffer フォーム 証明書請求に必要な作業をWebで完結させることができるサービス
くらしのてつづき 行政手続きにまつわる様々な記事を配信しているメディア

事業者向け

サービス名 概要
Graffer 法人証明書請求 会社の登記簿謄本(登記事項証明書)や法人の印鑑証明書を、オンラインで申請・取得できるサービス
Graffer 法人登記情報一括請求 さまざまな法人の登記情報を、オンライン上でまとめて取得できるサービス
Graffer 電子証明書取得サポート 法人の各種オンライン手続きに必要となる電子証明書を、専用ソフトなしでインターネットから申し込み、ダウンロードできるサービス

政府・自治体向け

サービス名 概要
Graffer スマート申請 あらゆる行政手続をスマートフォンで完結できるようにする、デジタル行政プラットフォーム
Graffer 手続きガイド スマートフォンやウェブから、質問に答えていくだけで市民が自分に必要な情報を入手できるようにする、行政手続き案内サービス
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「行政をデジタル化したら便利」なんて、誰でも知っている

2017年の創業以来、グラファーがたった3年間でここまで事業を拡大できたのは、「泥臭い改善」の賜物だった。

スタートアップが事業を立ち上げる際、まずはプロダクトをつくり、マーケットの反応を見ながらプロダクト・マーケット・フィットを目指すことが一般的だ。

しかし、グラファーの場合、マーケットは明確だった。「手続きが不便だからデジタル化したい」というニーズは明らかで、それを満たすプロダクトを構築できるかどうかが、成否を分けたのだ。

石井行政手続きにおいて、「こんなサービスがあれば便利」「デジタルで申請できればいいのに」といったニーズを発見することは難しくありません。でも、その実現を阻むハードルがあまりにも大きい。

UXを改善するとき、「入力事項がグチャグチャしているから減らそう」と思っても、手続きに必要な情報が法律で決まっているので、下手にシンプル化できない。複雑な制度や法律を理解し、そのレギュレーションに沿った形で使いやすいプロダクトをつくる必要があるんです。

ビジネスとして成立させづらい点も課題だった。たとえば、先述のように今や15,000社に導入される事業者向けサービスは、当初まったく事業化できる見込みがなかった。

事業者が行う公的手続きの中でも、税務領域は、もとからオンプレミス型のソフトウェアが存在した。また、労務領域も、総務省が「e-Gov電子申請システム」の外部連携APIを公開したことをきっかけに、SmartHRはじめ電子申請ソフトウェアが一気に増えた。

一方、グラファーが取り組む法務領域は、既存のソフトウェアも、政策的な後押しもなかった。また法務は、経理や労務と異なり、定期的な手続き機会が存在するわけではない。必要に応じて手続きする業務であるため、サブスクリプションモデルも構築しづらく、トランザクション課金モデルを採用するしかない。

そのため、ビジネスとして成り立たせづらいと思われており、既存のプレイヤーもいなかった。逆境を切り拓いたのは、プロトタイピングを重視するスタンスだった。

石井『Graffer 法人証明書請求』については、マーケットを精査し、ビジネスモデルを磨き上げてリリースしたわけでは全くありません。「儲かるかどうか」「グロースするかどうか」は考えすぎず、まずは形にしてみようとスタートしました。

数週間でプロトタイプをつくってみると、思った以上に「これは便利なんじゃないか?」といった感触を得た。試しに、事業者向けに検索連動型の広告を出してみると反応が良く、そこから一気に事業化していきました。

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紙ベースの手続きを、“力技”でデジタル化したプロセス

手応えこそあれど、事業化に至るまでにはGovTech特有ともいえる課題が多かった。

政府・自治体向けの事業を例に取れば、法制度との整合性を検討しながら、関係省庁とも連絡を取りつつ、適切なスキームを構築しなくてはならない。さらに、自治体の担当者に、グラファーが提供するサービスの特長を明瞭に説くことも必要だ。自治体ではサービス導入にあたっても、予算申請、入札、契約にいたるフローが一般企業とは異なる。

プロダクト開発はもちろん、コンプライアンス、サポート、導入に至るまで、行政の仕組みに対応できるだけの「総合力」が事業化のキモとなったのだ。

導入後も、ガバメント・サクセスと呼ばれるチームが、利用者と職員からのフィードバックを継続的に集め、プロダクトチームに共有。毎日のように改善を続けている。

石井とにかく粘り強く、改善を繰り返してきました。前例も知見もなかったため、完全に手探りです。関係省庁、政治家、弁護士事務所など、さまざまな人と継続的に議論を続けながら、最善の形を模索しています。

法令上問題ないと思って提供したサービスでも、監督官庁から「ここを変えてほしい」とコメントをもらうことも珍しくない。司法書士など各種士業団体の方々ともコミュニケーションを取り、どういった形態であれば新しいテクノロジーが社会に受け入れられるのか、探り続けてきたんです。

個人・事業者向けの事業では、「非常にレガシーで開発難易度が高い」という政府のシステムと接続しながら、地道にUXを改善している。ときには、既存システムをアナログにハックして乗り切っている面もあるという。

石井個人向けの『Grafferフォーム』が代替する証明書請求のプロセスは、そもそも政府にシステムがありません。強いて言えば、「紙」というシステムが使われている(笑)。ですから、ユーザーさんにオンラインで入力してもらった必要事項を、グラファー側でプリントアウトして封入し、ユーザーに代わって役所に送っています。

事業者向けのサービスも、政府がAPIを開放してくれているわけではなく、かなり旧式のWindowsソフトからでないと、政府のシステムに接続できない仕様になっています。したがって、クラウド上で仮想のWindowsマシンを立ち上げ、そこで政府のシステムに接続するという力技で切り抜けてきました。

事業を推進する際は、「コンプライアンス・ファースト」を最優先の行動指針に置いているという。現行の法律が想定していないサービス、制度はあっても運用が追いついていないサービスを立ち上げることも少なくないからこそ、誠実で丁寧なコミュニケーションを心がけてきた。

「逃げたり、隠したりしたことは一度もない」と石井氏は断言。その甲斐あり、今では国会議員からグラファーの姿勢を褒められるほどに、信頼を獲得できているという。

石井私たちは、社会を良くするために事業を展開しています。「法令違反でなければ何をやってもいい」というわけではなく、あらゆる関係各位が合意できる形を実現できるように模索し続けているんです。

場合によっては、グラファーから政府に、より適切な制度設計を提案させていただくことすらある。たとえば、現行の法制度がセキュリティの観点で改善余地があれば指摘もします。「コンプライアンス」を拡大解釈し、現行の法令にとらわれず、社会にとって受け入れてもらいやすい形を実現すべく、自問自答しているんです。

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コロナ禍で相談が殺到。“緊急時体制”を敷いて見据える「行政機能の補完」

2020年のグラファーは、「すべてを思いきり前倒しにせざるを得なくなった」と語るほど急拡大しているという。

その大きな要因が、新型コロナウイルス感染症の流行だ。従来、行政機関の予算折衝は一年サイクルで進んでいく。しかし、直近では感染拡大の防止や、手続きのデジタル化のために、次々と緊急予算が組まれている。グラファーが2020年5月に提供を発表した、企業向けの融資に必要な認定申請がオンラインで行える『Graffer スマート申請 横浜市』は、4月に依頼を受け、急ピッチで開発したものだった。

石井特に政府・自治体向けの事業で、お問い合わせや相談が殺到しており、メンバーの業務負荷が非常に高まっています。採用も製品開発も、すべてが一年以上、前倒しになりました。

でも、簡単に「忙しいから」と断ることはしていません。ご相談してくださる自治体も、感染症対策で業務がひっ迫し、「なんとか助けてほしい」と必死です。僕らも、民間企業として可能な限り貢献するために、緊急時体制を敷いて対応にあたっています。

グラファーの未来像を描くにあたり、石井氏がロールモデルとしているのは、警備サービス事業を展開するセコムだ。セコムが果たしている、「犯罪から人びとや財産を守る」役割は、もともと警察が担っていた。石井氏によると、1960年代の東京オリンピックに際して警備需要が高まり、「民間警備会社」というビジネスが勃興したそうだ。

政府と相互補完的に動きながら、行政運営における重要な役割を果たす──石井氏は、グラファーの未来をそうした企業像として見ている。そして、構想を実現していく際、「スタートアップ」であることが大きな意味を持つ。

石井突き詰めて考えると、スタートアップの良さは「未来をいま手にする」という思想にあると思います。多くのスタートアップが目指す上場やM&Aも、未来のキャッシュフローを先取りして現金化する手段と言えます。

スタートアップは、放っておいたら数十年かかることを、数年でやり遂げることに強いモチベーションを持っています。誰よりも早く未来を実現していくことが、行動規範になっている。未来に取り憑かれているんです。

ですから、「いち早く未来を手にしたい」と危機感を持っている地域は、スタートアップを引き入れることで、変化のスピードを上げられると思います。高速で社会実装し、製品の質を厳しく評価され、良いものだけ生き残っていく。そうした淘汰が行われることこそ、スタートアップエコシステムの最も優れた点でしょう。

こちらの記事は2020年07月20日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

小池 真幸

編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。

写真

藤田 慎一郎

デスクチェック

長谷川 賢人

1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。

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