マイクロソフトは7月13日、同社のAIチャットボット技術「シャオアイス(Xiaoice)」 関連事業をカーブアウト(独立した企業にする)ことを発表した。本拠地は中国になる。
シャオアイスは中国のマイクロソフトで生まれたチャットボット技術で、日本ではチャットボット「りんな」のコア技術として使われている。今回の独立に伴い、シャオアイスは日本法人を設立し、「りんな」事業も日本マイクロソフトからシャオアイス日本法人へと移管される。
マイクロソフトはなぜ同事業をカーブアウトするのだろうか?
中国生まれ、「りんな」の元になった「シャオアイス」
「りんな」の公式ツイッターアカウント。今回のシャオアイス独立については、特に13日午前11時半時点では関連投稿はない。
撮影:伊藤有
まず、シャオアイスとはどのような事業だったかを振り返ってみよう。
シャオアイスは、マイクソフト・サーチテクノロジーセンター・アジア(STCA)が2014年に開発したAIチャットボットだ。
音声やテキストなどで会話を入力すると、それに人間のような応対を返す。マイクロソフトの検索サービスである「Bing」で得られた情報をもとに開発され、技術を更新しつつ現在まで広く使われている。
他のチャットボットサービスと違うのは、感情表現に近い振る舞いが可能で、対話がより自然、と評価されていることだ。「シャオアイス」は、チャットボットサービスの中でも、コアなフレームワーク部分というより、人とのインターフェースに近い部分を担当する技術の総称と言っていい。
中国ではWeChatなどほとんどのチャットサービスで公式のチャットボットとなっており、個人との会話履歴を生かした対応も可能だ。各種ECサイトで商品をアドバイスする役目もしているし、各種音楽サービスの補助のほか、テレビ番組にも使われている。
単に会話をするだけでなく、「人間のような振る舞いをするソフトウェア技術」全般のブランドとして、幅広く技術開発が行われてきた。
マイクロソフトは、9億人以上のユーザーがシャオアイス経由でさまざまな情報にアクセスしており、対応サードパーティ機器も4億5000万台を超える、としている。世界で最も広く使われているAIチャットボット技術の1つだ。
りんな公式サイトより。
出典:マイクロソフト
日本では2015年よりLINEと共同で「りんな」としてサービスを開始した。 登場当時は「女子高生AI」。2019年3月に高校を「卒業」し、本格的にタレント活動をすることになった……という設定になっている。
りんなはLINEアカウントのほか、Twitterアカウントも持っており、日々「ファンとの交流」を行っている。
多数の人間の歌声を学習ソースとし、そこから「歌い方」も身につけた。2016年にはラップを、2018年にはオリジナルソング「りんなだよ」も公開。2019年、ついにエイベックス・エンタテインメントと契約、「AIりんな」としてメジャーデビューしている。
「りんな」の技術はビジネス向けに提供されており、これがシャオアイスのビジネスの核になる。シャープの公式アカウントや、ニュースメディア「Buzzfeed Japan」で「インターン」として公式アカウントを一時的に務めたこともあり、2016年にはローソンの公式LINEアカウントとも連携した。
こうしたビジネス向けの対応では、公式アカウントに求められる言葉遣いや用語を正しく使うよう、機械学習が行われている。
アジアに特化するためにシャオアイスを「独立」
マイクロソフトのヘッドクオーターがある、シアトル・レドモンドキャンパスのロゴ。
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絶好調にも見えるシャオアイスだが、マイクロソフトはなぜ切り出すのだろうか?
日本マイクロソフトの広報担当者は「より市場のニーズに合わせた技術革新を進めるため」と説明する。
マイクロソフトは大きな企業であるが、事業領域は限られている。
コンシューマー向けのAIチャットボットを展開する上では、エイベックスのようなコンテンツ事業者との関係が重要になるが、これまではそこで柔軟な対応ができていたわけではないようだ。今回独立することで、「マイクロソフト」の看板ではやりづらかった、より尖ったキャンペーン展開も可能になるという。
また、シャオアイスが「アジアのサービス」であることも大きい。
シャオアイスは非常に多くのユーザーを抱えるサービスではあるが、利用されている国と地域に偏りがある。ビジネスの主体はほぼ中国とインドネシア、日本に限られており、マイクロソフト本社のあるアメリカや、ヨーロッパ市場では使われていない。そのあたりは、シャオアイス・りんなが「キャラクター性」と紐づいて使われているという特性も大きいように思える。
アジアのもつ市場性に合ったAIチャットボットゆえに、欧米市場にフィットしない部分もあったのだろう。マイクロソフト側は、「マイクロソフトとして、今後シャオアイスを使ったサービスを提供する具体的な予定を持っていない」と説明する。
開発幹部がマイクロソフトを去った影響は?
マイクロソフトの音声アシスタント開発の中心的人物の一人、ハリー・シャム氏。LinkedInアカウント上のマイクロソフトリサーチとしての肩書きはVisiting Researcherになっている。
撮影:伊藤有
開発の中心にいる人々がマイクロソフトを去ることも、今回の独立と関係あるかもしれない。
シャオアイスを推進してきたのは、中国出身のハリー・シャム氏。2013年以降、マイクロソフトのAI&リサーチグループを統括するエグゼクティブバイスプレジデントとして、Bing事業やシャオアイス、マイクロソフトの音声アシスタント「Cortana」などを手がけてきた。
シャム氏は2020年2月にマイクロソフトを退職、今回、カーブアウトするシャオアイスの会長に就任する。シャオアイス独立のためにマイクロソフトを辞めたわけではないだろうが、彼にとってシャオアイスは、やはり思い入れのあるサービスなのだろう。
シャム氏退任に伴い、彼の担っていた職責は、マイクロソフトのCTO(最高技術責任者)であるケヴィン・スコット氏と、新たにCSO(最高科学責任者)に就任したエリック・ホロヴィッツ氏、マイクロソフトの研究開発部門であるMicrosoft Reseach所長のピーター・リー氏が受け持つことになる。
シャオアイスに関する開発や商標は新会社に完全に移管され、マイクロソフト社内には残らない。日本での「りんな」事業はシャオアイス日本法人の担当となるが、日本のゼネラルマネージャーには、「りんな」の開発責任者であるジャン・チェン氏がマイクロソフトから移籍して就任する。
米中関係悪化との関係を否定、中国への投資は継続
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シャオアイスは中国をベースに開発されたサービスだ。
2016年にマイクロソフトはアメリカで、シャオアイスと同じようなAIチャットボット「Tay」を開発していた。Tayでは、一部の利用者が不適切な内容を集中的に教え込んだ結果、ヘイトスピーチなどを発するようになってしまった、という騒動もあった。
そのため、シャオアイスは「中国のネット検閲による情報統制が影響し、不適切な言葉を覚えることなく運営されている」という意見もある。ただし、この真偽は不明だ。
このような背景もある上に、昨今の米中関係の悪化に伴い、「マイクロソフトの中で、中国で開発されるAIに対する姿勢に変化があった影響ではないか」という印象もある。だがマイクロソフト側は「米中関係の影響はない」と明確に否定する。
マイクロソフトの開発拠点としての中国は今後も重要な地位を占め、シャオアイスとは別に中国チームが開発している音声認識・自然言語処理・チャットボット技術などへの投資は続く。
また、カーブアウトするものの、マイクロソフトは「アジアで有望なAIチャットボットサービスの企業」としてのシャオアイスへの投資を継続するとしており、関係が切れるわけではない。
シャオアイスの独立に伴い、「りんな」などのシャオアイス技術での個人情報の扱いを含めた利用条件には「変更がない」(日本マイクロソフト広報)という。サービス内容に影響がないよう、開発体制も維持される。
そのため、少なくとも現時点では、「シャオアイスが独立するので、個人情報の扱いにマイクロソフト時代とは違った配慮が必要になる」とか「マイクロソフトが中国から離れる」ということはなさそうだ。
だが前述のように、シャオアイスが「ほぼアジアでのみ使われているサービス」である事実に変わりはなく、欧米との間で温度差があるのは間違いない。そこに「中国製AIであること」との意識的な関係がゼロ、と言い切るのは難しい。
そうした部分を考え、アジア市場でより自由に開発を進めていくにも、シャオアイスは「マイクロソフトの外に出る」ことは必然だったのかもしれない。
(文・西田宗千佳)