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元無職がシリコンバレーで起業する

ちょうど5年前に、新卒で入ったソフトバンクを辞め、無職になりました。それからアメリカに入り、「世界中で使われるようなプロダクトを作ってみたい」という漠然とした夢を持ち、ひたすらプロダクト開発に励んできました。

そして先日、世界100ヵ国以上から起業家が集う、Pioneerトーナメントで一位を獲り、トップランカープログラムに参加することになりました。

今でこそ、コードを営み、移住権も所有しているものの、アメリカに入った当初は英語もロクに話せず、何のスキルもなく、お金もない状態。毎日無料のイベントを探して参加し、タダ飯にありつくような生活を送っていました。そうして「FREERIDER(タダ乗り)」と呼ばれるようになったのですが、威勢だけが一人前の嫌なヤツだったと思います。

そんな私でも続けていれば、アメリカの起業家として一歩を踏み出すことができました。まだまだ夢の途中ではあるものの、今日までプロダクトを開発し、失敗して、試行錯誤などのサイクルを回してるうちに少なくとも学んだこともあるので拙いながら、これからアメリカで挑戦したいという方の参考になれればと思い、赤裸々に全てを晒していきます。

無職になり、渡米

2015年4月に会社を辞め、サンフランシスコへ3ヶ月行くことにしました。前もって計画していたわけでもなければ、強い覚悟があったわけでもありません。ただ「シリコンバレーを一度、見ておきたいな」という淡い期待と、「無職になって日本に居づらい」というプレッシャーから、逃げるように渡米してました。

サンフランシスコでは、テックハウスに住み始めました。テックハウスは、創業前のRamenHero 長谷川さんと、Anyplace 内藤さんらが中心となって運営していて、日本からサンフランシスコに通ずるハブのような役割を果たしていました。

滞在している間は、日々開催されるスタートアップのイベントに参加していました。そうして、現地で出会う起業家や技術を目の前にし、自分もこの地でやってみたいと思うようになりました。その決心が固まるのに、3ヶ月という期間は十分過ぎました。

帰国すると、お金もないのに学生ビザを取得し、再出国の準備を始めました。とはいえ、サンフランシスコで無収入で生きてくのは持続的な選択ではありません。

当時、メモ代わりにブログを書いていました。執筆スキルはともかく、取り上げている内容が日本では取れないサンフランシスコの一次情報だったこともあり、KDDI TIME & SPACEさんや、GIZMODOさんで寄稿することになりました。

ライターの仕事に加え、現地の人脈を広げ、アメリカで通用するアイデアを見つけるために「シリコンバレーのFREERIDER」という、現地の起業家たちにYoutubeで取材するクレイジーな企画を実施することにしました。

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約半年をかけて、100社以上にインタビューし、中にはKiipCoffee Meets Bagelや、GameOnのような著名企業もあります。一方で、もう会社はクローズしてしまったけど、未だに人間関係が続いている方もいたりします。

こうしてマインドセットだけは一人前になり、帰国。貯金は勿論底をついていたため、日本でお金を借りる、資金調達に走ることにしました。ロクにプロダクトも作れず、チームは自分一人、ビジネスモデルはめちゃくちゃ、そんな自分に誰もお金を投資してくれるはずもありませんでした。

文字通り、路頭に迷うことになり、最初の挫折感を味わいました。お金を借りられないのであれば、お金を稼ぐしかない。ライティングの業務を傍らで、何とかサービスを軌道に乗せてアメリカに帰りたいと思い、その通り動くことにしました。

最初の起業

転機が訪れたのは、それから4ヶ月ほど経った頃でした。アメリカでルームシェアしていたエンジニアの友人が帰国し、東京で起業するために引っ越してきたのです。最初は、お互いライバル視してたこともあり、一緒に起業しようとはすぐに言い出せなかったのですが、一年間寝食を共にし、彼がエンジニアで、私がブッコミ系で、異なるスキルセットを持ち、かつ、どちらも起業したいという目的が一致していたため、やがて共同創業しようという話に落ち着きました。

決めてからは話はトントン進み、登記を行ない、オフィスを確保し、それから位置情報系のスマホアプリをリリースしました。その時は本当に楽しかったし、アプリを使えばあんなことや、こんなこともできると胸を膨らませ、毎晩二人でディスカッションを交わしていました。

しかし、アプリの登録ユーザーは一向に増えず、「そのアプリで何がしたいの?」と周りから聞かれるたたび、答えに詰まり、続ける自信が削がれていきました。やがて、アプリを閉じ、別のサイトを作ったりもしましたが、これも上手くはいきませんでした。

このサイトを閉じるタイミングで、共同創業者から「辞める」と告白されました。最初は戸惑いましたが、「辞めたい」ではなく「辞める」と宣言された以上、もはや議論の余地がありません。

最初のアプリを閉じたあたりから、日に日に関係性が悪化し、利益が入らないのに支出だけ重なり、お互いストレスを溜め込んでいました。上手く言っている時じゃなくて、共同創業者と辛い時でも一緒に頑張れる、励まし合える関係性を築けなかったのが、会社始まって以来、最初の失敗となりました。

Indie Way

帰国した時に戻り、再び路頭に迷いました。かといって、悔やんで過ごせるほどの預金もありませんでした。とにかく稼ぐために、知り合いの会社全員に頭を下げて、小さな仕事をもらって生計を立て始めました。

それからは、クライアントにも恵まれ、アメリカに移住し、今日に至るまで受託の仕事で困るようなことはありませんでした。また一方で、受託だけをして送った日々は一日もなく、ずっとプロダクトを模索し続けてきました。一人になってからはプログラミングも独学で始めたのですが、その頃から数えれば、一行もコードを書かなかった日はないような気がします。

量は質を凌駕するをモットーに、プロダクトを出し続け、2019年末までに50以上試してきました。思い出に残っているものを幾つか挙げるのであれば、「Seatify」や「Highprofile alert」です。

Seatifyは、カフェやコワーキングスペースの席を利用客から予約できるアプリでした。カフェが満席のように見えて、実は相席すれば座れなかった人が座れるようになるという原理に気づいて始めました。React Nativeでスマホアプリを実装し、リリース後、売り込むために再渡米したりもしました。

ですが、自分含め、なくてはならないという人を見つけることができず断念しました。シェアリングエコノミーや、コワーキングのようなトレンドに踊らされてしまっていたことが否めません。

Highprofile alertは、シリコンバレー以外で過ごすデメリットを解決しようとしたツールでした。都内にいると、なかなかシリコンバレーの投資家や起業家には会えないものですが、たまに彼らが観光で来日するようなパターンがあります。これまで、私や友人は「東京にくる」旨をツイートする彼らにリプを送り、実際にPeriscopeのKeyvonや、Ramonに会えたりしました。これを自動化するため、自分がフォローしてる人が住んでる街にきた時に通知を送る仕組みをプロダクト化してみました。通知の精度を上げるために機械学習にも挑戦しましたが、ニッチ過ぎてスケールの展望が見えませんでした。

こうしてプロダクトを作りは閉じを繰り返してきました。中には、「開発会議」や「個人開発のフリマ」のように譲渡したものもありますが、ほとんど失敗でした。私はこれまで、定説に倣い、自分が欲しいものを作ってきました。そして閉じてきたサービスも欲しいか、欲しくないかと聞かれれば、欲しいものではあったと思います。

例えば、Seatifyでいえば、友人のChristelleがやっているCodiは、家の空きテーブルをコワーキングスペースと貸し出しているのですが、ほぼ同じコンセプトで運営されています。私は課金ユーザーです。

また逆に言えば、Freedom、Spotify、Calendly、Buffer、その他開発ツールに課金していて、勿論必要ではあるのですが、私がこれらのサービスをスタートアップとして作れるかと聞かれれば、そうではないと思います。これらの失敗を経て、私が学んだことは「自分の欲しいものを作る」はスタートアップのアイデアを見つける上で、十分条件ではないということです。

自分にしかできないプロダクト

欲しいものを作るは大前提として、それ以上の何かが必要。改めて、スタートアップそのものに向き合ってみることにしました。そう思い立った頃、長谷川さんとカフェで話すことがありました。

「なぜ、スタートアップをしてるの。」、「なんで、ベイエリアじゃなきゃダメなの。」長谷川さんに、そう尋ねられ、そんな至極当然に答えられるはずの質問に「やりたいからです。」としか答えられない自分がいました。

確かに、スタートアップがやりたくて、ひたすらこれを続けてきました。しかし、「やりたい」は自分だけのことであって、他の人からしたらどうでもよいことです。チームや、顧客、世界中の人たちを巻き込むためには、この長谷川さんの質問に大義名分で答える必要がありました。

すぐに答えを出すことはできませんでした。それから、週に一度はカフェで数時間こもり、自分は何のためにここへ来たのか、何を成し遂げれば死ねるのか、ひたすら自問自答を繰り返してきました。この過程、問いかける形で長谷川さんも忙しいなか、時間を割いてメンタリングに付き合ってくれました。

そうして、これらを言語化できるようになった頃に、どうやってプロダクトを作るのかのヒントを得たような気がしました。ただ欲しいプロダクトを作るのではなく、確証を持って信じられる未来を作るということ。そして、この未来を作るために、世界中で自分にしかできないアプローチをすること。

他の誰でもなく、自分が一番近い、そして、再現性が低いということは、スタートアップで成功する上で必要不可欠な要素であるように思います。

当たり前に潜む気づき

世界中で自分にしかできないプロダクトを探すのは、漠然と欲しいものを当てるよりも随分と気が楽になりました。ひたすら、ルーツを探り、何が好きで何が嫌いなのかを自分に問いかけるようにしていました。

じゃあ実際に何から取り組むべきかと整理を始めたところ、「リモートワークに絞るのが良さそうだね」Chomp キヨさんからアドバイスをいただきました。これが、リモートワークという軸でプロダクトを作っていくキッカケとなりました。

そして、私の立場を踏まえ、更に絞ってみました。キャリアの大半がリモートワーク、最近はコードを書くよりもディレクション・プロマネ的な仕事をこなすフリーランス、複数のクライアントがいる、そして、日本とカリフォルニアの時差16時間で働く、これに当てはまって事業を作れる人間はかなり絞られます。

こうした自身のバックグラウンドを意識しながら、日々を過ごしていくうちに、ふと思い当たることがありました。ディレクションとして案件に携わっていると、開発チームとも、クライアントとも、ほぼ常時でやり取りすることが求められ、チャットや時間を合わせての打ち合わせでは進捗が遅れてしまうことです。時差を考慮すれば、尚更。

これを解決するために必要なのは、オフィスでした。必要な時に、その人のデスクまで歩いていって、「〇〇さん、この仕様どうなってます?」と言える環境でした。リモートだとそれは叶いません。

まず、これを解決するため、wherebyで常駐部屋を用意してみました。営業時間中は、この部屋に入ってくれれば私はいますよ、として開発チーム、クライアントに共有してみました。

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これは好評で、誰もが声をかけるように部屋へ入ってきてくれました。とはいえ、wherebyはあくまでビデオ会議専用で、幾つかの点で不満がありました。例えば、お客さんと話している時に別のお客さんが入ってくる、離席中であっても伝える手段がないといったところです。この事情をwherebyに問い合わせて、APIを出してくれるよう頼んだのですが「うちはそういうのやらないから」とキッパリ断られ、なら自分で作ろうとなりました。

そして、最初の一行を書き始めたのが、今年の1月12日です。約2週間後に、LAで開催されるProduct Huntの5周年パーティーに参加する予定があったので、どうせならそれまでに完成させよう、Rayan Hooverにピッチしよう、と寝る間も惜しまず書き続きました。こんなにプログラミングが楽しいものだと思えたのは初めてだったし、周りから見れば、きっとテニスボールを追いかける犬のようだったでしょう。

LAへ発つまでに、登録したユーザーがルームを作れて、URLを開いている間はオンラインになり、オンライン中は誰でもゲストがワンクリックで話しかけられる(通話)、そして、離席中などステータスを自由に変えられる機能までを実装して、本番へ反映することができました。

ミートアップでは、Ryanへのピッチも果たしました。また、LA滞在中は、Flipmassを手がける親友 Stephenと再会し、彼の彼女や、知り合いの起業家を紹介してもらい、朝が来るまでロシアンティー(99%アルコール割)を嗜みながら、お互いのスタートアップの未来について語り合いました。少しずつ、シリコンバレーの中心に近づいているなという感覚が確かにありました。

サンフランシスコに戻ってからは、スケールのしないことを始めました。具体的には、NomadList、Remotiveのようなリモートワークコミュニティに入って、ひたすらDMを送って、サービスを試してもらうというものです。ほとんど今度使ってみるねと愛想よく切られてしまうものでしたが、中には継続して使ってくれる方にも出会うことができました。

こうしてプロダクトと向き合っていくうちに、改めて何が問題なのかが分かってきました。これまで、通話をするためには、相手と時間を合わせて繋げるか(Zoomや、Google Hangout)、かけて応答を待つ(Messangerや、LINE)ようなやり方しかありませんでした。私が作っているRemotehourは、そのどちらでもなく、オンラインという相手が待っている状態であれば、リアルで声をかけるように通話することができます。通話をかけるという当たり前の行為そのものを覆すアイデアだったのです。

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Pioneerトップランカーへ

Pioneerを知ったのは何年も前ですが、登録したのは今年の2月でした。Seatifyに取り組んでいたとき、カフェで声をかけてくれ、知り合った友人 Tinneiからの紹介でした。久しぶりに会って、Remotehourのことを話すと、Pioneerに出てみたら?となりました。

Pioneerは、元Y CombinatorのパートナーであるDGが、世界中の誰でもシリコンバレーのような環境にアクセスできることを目的として作った、フルリモートのアクセラレーターでした。ここでは、起業家同士がフィードバックし合って競うトーナメントが行なわれ、上位の参加者の中から選ばれると、特典付きのトップランカープログラム「Pioneer Winner」に参加できます。

ちょうど、プロダクトのTODOをつけるWIPに登録したりもしていて、進捗を振り返るサイクルになれば良いなといった軽い気持ちで始めました。そして、来たる初週のフィードバック。それは散々なものでした。「何を作ってるのか分からない」、「英語が意味不明」思っている以上に厳しい言葉を突きつけられ、ドM魂に火がつきました。

プロダクトを作っている以上は、アクティブユーザーの声だけを聞いていれば良い。これは正解です。ですが、ランディングページに関して言えば、興味のある人、ない人に限らず、パソコンを使ったことがない人にまで理解してもらうべきです。

だから、この否定まみれのフィードバックを一つずつ飲み込み、何が分からないのかをクリアにしていきました。何が分からないのかが解消されれば、次は「Zoomとの違いは何だ」と浴びせられ、これを説明したセクションを用意すれば、「どんな時に使えるの」とユースケースを尋ねられる。こうして週次で投げかけられるLPの曖昧さを愚直に修正していくことで、一ヶ月後には「お前のサービスめちゃいいやん」というコメントしか来なくなりました。

どんな罵声を浴びせられても心が折れなかったのは、RemotehourはZoomとは違うし、使われ続けるユースケースがあるという確信があったからです。そして、既に利用しているユーザーとの対話から、唯一無二のプロダクトである自信がありました。

気づくと、世界ランク50位圏内に入っていました。

Hacker Newsでの炎上

3月16日、サンフランシスコでロックダウンが始まりました。アメリカ最大のチャイナタウンがあることもあって、かなり早い段階でこれが決まりました。COVID-19は他人事ではなく、私が住むシェアハウスでもいち早く陽性患者が出たので、隔離を余儀なくされていました。

もともと、家から基本出ないので生活に支障は全くなかったのですが、世間は違いました。リモートワークがTwitterで急上昇し、Zoomやこれに関連するサービスが途端に脚光を浴びるようになりました。この様子を傍観していて、かなり焦りました。「この機を逃したら、起業家失格だ。」

大急ぎでローンチの準備を始め、2日後の3月19日、Hacker Newsと、Product Huntに投稿しました。投稿して数十分後、Remotehourのトップに掲載してる部屋のURLに訪問者がきました。「お前が開発者か。今、バズってるぞ」と私に声をかけ、通話が切れました。

そこから先は、1分経たない間に通話がかかり続け、「面白いサービスだな」、「ローンチおめでとう」とフランス、インド、香港、ニューヨーク、世界中から声をかけられました。その現象は一晩中続き、当然一睡も許されないし、興奮してとても寝られませんでした。

「世界中で使われるようなプロダクトを作る」私がローンチした夜は、この夢を一晩叶えてくれていました。そして、これは夢じゃない、これから始まる現実のスタートラインだと、小さなオフィスで一人エモい気持ちにさせてくれました。

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このエモい気持ちを覚めさせてくれたのは、Hacker Newsのコメントでした。よく見ると、批判殺到して、なんともプチ炎上を起こしているのです。理由はヘッドラインを「10x more seamless than Zoom(Zoomの10倍シームレス)」としていたからです。

「こんなクソアプリのどこがZoom超えてるんだ」、「Google認証しかない時点でゲームオーバー」と、またありがたいコメントを沢山いただけました。そして、近い将来、必ずRemotehourをZoomの100倍シームレスにしてみせると決意しました。

Product Huntでも計300票を超えることになり、一晩で一万人以上がサイトへ訪れる結果となりました。このことがキッカケとなり、Pioneerの世界ランクが10位圏内となり、トップランカープログラムへの招待が届きました。

一位へ、そして次に進む

Pioneerでは、1%の株式と引き換えに、1) Google Cloudや、AWSの$200K相当のクレジット、2) トップランカーのみが入れるコミュニティへの参加、3) 著名な起業家や、投資家によるライブストリーミング、それから、4) シリコンバレー渡航へのチケットを受けられます。

日本で作った会社は、出国のタイミングで解散してしまっていたので、Stripe Atlasで新しく設立することにしました。(登記費用もPioneerが負担!)当時、法務局や税務署を歩いて回ったのを思い出すと、PCの前で必要事項を入力するだけで、会社ができていくのには若干の感動がありました。

オンラインではありますが、イベントも活発です。VCのパートナーを囲んでのメンタリングセッション、コミュニティ内の絆を深めるためのディスカッション、DGが事業の相談に乗ってくれるオフィスアワーも週次で設けられています。また、成功したスタートアップの起業家を招いてのAMAも行なわれたりします。前回は、Delicious創業者のJoshua Schachter氏でした。

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Remotehourはありがたくも、バズりが終わってしばらくしても、継続して週に3回以上オンラインになる、熱狂的なユーザーを一定数獲得することに成功していました。しかし、オンラインにはなるものの、なかなか通話中にはなりませんでした。通話が少なければ、いずれオンラインにする意味をユーザーが見出せなくなってしまい、チャーンする可能性が出てきます。

通話状態を増やすことが、Pioneerに入り最初の課題としました。まず、どんなユーザーが使っているのかを調べ始めました。登録ユーザー名をGoogleで検索してみたり、メールで尋ねてみたり、Remotehour経由で直接話しかけたりもしてみました。これを繰り返していくうちに、少しずつユーザーの輪郭が掴めてくるようになりました。

勿論、チームで使われるケースもあるのですが、多くはそうではありませんでした。フリーランスとそのクライアント、医者とその患者、そして、大学教授とその学生、こうした1:Nの関係性にこそ効果的にワークしていることが分かりました。

彼らは、部屋のURLを子要素にあたる人たちに向けて共有しています。しかし、通話にならないのは、その人たちがユーザーがオンラインになっているタイミングを知る術がなかったからです。

週次のセッションで、Pioneer Fundのパートナーにこれを相談してみると、「知らせるための機能をつける必要がある。ただ、これを解決するためだけでなく、同時にバイラルを仕込め。例えば、メールリストを実装すれば、メールでオンラインであることを伝えるだけでなく、メールを受け取った人が新たなユーザーになるかもしれない。」と返ってきました。

そこで、2つの機能を追加することにしました。一つは、アドバイスがあったように、メールリスト。ユーザーが知らせたい人たちのメールアドレスを集め、オンライン中、ワンクリックでメールを送れます。もう一つが、Twitter連携。一日一回、オンラインになった時に、自動でその旨を伝えるツイートが投稿されます。

機能を実装する上で、既存のユーザーを満足させるだけでなく、そのユーザーが新しいユーザーを呼び込む。こうしたUXを考え抜いて設計することは、リソースの少ないスタートアップだからこそ、意識していかなければならないと学びました。

こうした考えのもと、少なくとも週に一度は機能を実装したり、取り下げたりもしています。多作家として活動していた私からすれば、このインターバルは慣れたもので、会社が続く限り、延々と便利さを追求していくつもりです。

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こうした試行錯誤の末、トーナメントで一位を獲りました。たかが順位、アクティブユーザーや売上のが大事というのは、百も承知ではありますが、幼ない頃から、運動神経が悪く、勉強もそこそこだった自分が、何かで一番になるという体験は、生まれて初めてのことだったんじゃないかなと思います。

また、周りの環境も確実に変化したのを感じます。Twitterで現地の起業家からフォローされたり、有力なエンジェル投資家からピッチの返事も返ってくるようにもなりました。

次目指すべきは、やはりPMFなのですが。既に、「Remotehourがなくなったら、どれくらい残念?」という質問に対して、「すごく残念!」と二つ返事で答えてくれる心強いユーザーも一定の割合でいてくれています。まずは、アクティブユーザーに好きで居続けてもらう努力、興味のある人にアクティブユーザーになってもらう努力、そして、興味のない人にも試してもらう努力を惜しまず、引き続き、プロダクト開発に励んでいきます。

リモートワークは新しい"生き方"

世に言うリモートワークといえば、「どこでも働ける」、「自由な働き方」というイメージが強いように思います。しかし、私の認識は少し異なります。もともと、年々、上がり続ける物価・地価の生活に愛想を尽かしたシリコンバレーの優秀な人材が、この地を離れ始めたのが起源にあり、彼らを社内に留めておく為の手段として、リモートワークが採用されるようになりました。つまり、リモートワークの本質は、どこでも働けるではなく、優秀な人材がどこに居ても、その人からサービスを受けられることにあります。

これは、IT領域に限ったことではありません。例えば、スタンフォード大の名誉教授の講義に通う、ベルリン在住の名医が勤務する病院に通院する、要は、特定の分野における専門家がどこにいても、現地と同じように、サービスが受けられる環境こそ、リモートワークといえます。シリコンバレーだって、わざわざ赴く必要がないかもしれません。

こうした未来を思い浮かべてみた時、欠けているものは「その人がそこにいる感覚(テレプレゼンス)」です。やっぱり、一度だけでなく、何度も関わっていくような相手とは、隣にいて声をかけるように話がしたいものです。リモートワークによって、間違いなく、場所の概念は破壊されます。そして、グローバル化はさらに促進され、それぞれ異なる時差の中で私たちは生活していくことになります。そうなった世界では、時間の概念が曖昧になり、オンラインならいつでも、というRemotehourのアイデアがより際立ってくるのではないかと考えています。逆に言えば、この体験を全業種の人たちに供給できるようになれば、世の働き方はよりシームレスになっていくと信じています。

また、変わるのは働き方だけではありません。先日、StephenがたまたまTwitterで私のRemotehourを見つけて、その時、たまたまオンラインで久しぶりに声を交わすことができました。既存の通話アプリでもすぐに会話はできると思うのですが、離れていて、時間が経ってしまうと、なかなかタイミングが掴めなかったりしますよね。この体験は、立ち寄ったカフェでたまたま友人と会って、話をするような感覚に近いかもしれません。

こうしてインターネットでは物足りなかった体験を、Remotehourのようなプロダクトで補完していくことによって、リモートワークは新しい働き方としてではなく、生き方として浸透していくのだと思います。

シリコンバレーで起業する

アメリカ二度目の滞在、元共同創業者とルームシェアしてた頃、「マークザッカーバーグとか、ラリーペイジが見てる世界って、絶対俺らと違うよな。どう見えてるんだろう。」と話したのを覚えています。振り返ると、会社を辞め、何も分からず、アメリカに出た頃とは、少し違ったように今は世界が見えています。

一方で、私は起業家として、まだ至らぬ点も多々あるかと思います。それでも、このプロダクトを通して、世界中の人たちがもっとシームレスに働けるよう、命、人生をかけて取り組んでいくつもりです。分かりやすく言えば、MicrosoftやDropboxのようなソフトウェアを作ってみせます。

そして何より、多くの人に支えられ、この挑戦に取り組めています。ブロックチェーンオタク Taiは、お互いの悪いところを本気で言い合えるライバルで、五所くんはゴリ押ししたら渡米に付き合ってくれました。今でもプロダクトの壁打ち相手になってくれています。鳥が大好きで、純粋過ぎる男、ぐっちーは頼りになる。Remotehourの一部改修もいち早く引き受けてくれました。

シリコンバレーでは、キヨさんの全面的な支えなしには物事は全く進まなかったはずです。同い年の起業家さっそは、いつも面白い自撮り動画を送って励ましてくれます。それから、テックハウスの時から、ずっと前を進んでる内藤さんのアドバイスがなかったら、今でも私は髪を伸ばし続けていたと思います。正直に指摘してくれてありがとうございます。

そして、長谷川さんのメンタリングは起業家人生を変えてくれました。あのタイミングで、自分と向き合わなければ、もう50のサービスを葬っていたことは確実です。

本当に多くの方のサポートがあり、この挑戦の舞台に立てています。夢を持ちガムシャラに走り続けた5年間、これは決して短いものではありませんでした。また、シンプルな一本道というわけでもなく、まるでサンフランシスコ の地形のように坂ばかりの道のりでした。これから、10年、20年かけて、坂の上に見えるであろう信じる未来を目指し、それのみを見つめ、この坂を上っていきます。

追記

この記事を読んで、Remotehourや、シリコンバレーでの挑戦に興味を持ったという方は気兼ねなく、私のRemotehourから声をかけにきてください。少しでもお力に添えれば幸いです。

更に追記

先日、続編を書きました。これより約半年後の話になりますが、あわせて読んでいただければ幸いです。





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