「やっと息子の障がいのことを僕は書けた」仮想通貨取引所社長が家族と悩み、苦しんだ5年の軌跡

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小林慎和さん(左)、次男の廉之将くん(中央)、妻の智恵さん

撮影:小島寛明

独自の仮想通貨c0ban(こばん)を手がけるLastRoots社長の小林慎和さん(のりたか、43)の次男・廉之将くん(れんのすけ)には、重い障がいがある。

5歳になるが、ほかの子たちのように話すことができない。日々の生活にはおむつも欠かせない。

「変に気を使われたくない」と考えていた慎和さんは、廉くんのことを、ごく親しい人たちにしか言えずにいた。けれど、10月14日になって、慎和さんは廉くんのことを自身のブログに書き込んだ。

首がすわったこと、立ち上がったこと、歩き始めたこと。廉くんが成し遂げてきたことは、会社を立ち上げ、軌道に乗せる以上に大きなことではないか —— 。慎和さんは最近、そう考えるようになったからだ。

幼い子2人を抱え、いきなり海外で起業

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Shutterstock

妻の智恵さん(ともえ、42)と慎和さんは、大阪大学基礎工学部の同級生だ。1回生の冬に付き合い始めたから、もう、人生の半分以上をともに過ごしてきたことになる。2004年に結婚し、長女(9)、長男(8)と廉くんの3人の子がいる。

阪大の大学院でコンピューター・サイエンスの博士号を取得した慎和さんは、野村総合研究所に就職し、経営コンサルタントになった。理系の職種を選ばなかったのは、いずれ起業したいと考えていたからだ。

2011年、10年近く務めた野村総研を辞め、スマホゲームで急成長していたグリーに転職した。「急成長しているグリーのビジネスから、学べることも多いのではないか」と考えた。

グリーで海外展開の担当になった慎和さんは入社後半年足らずで、シンガポールに赴任することになった。当時、横浜市役所の職員で、長男の育休に入っていた智恵さんも、同行することにした。

家族4人でシンガポールに移り住んでから、9カ月後の2012年11月、慎和さんはグリーを辞め、起業を決めた。

幼い子を2人抱えているうえ、いきなり海外での起業。不安もあったが、智恵さんは夫の背中を押した。「グリーで働き続けて、というのもなんか違うし、やりたいなら、がんばったらいい」と思った。

「ぐにゃぐにゃした子」

集中治療室 新生児

生まれてきたばかりの廉くんは、母乳を吸う力が弱く、血糖値が低かったため、1週間、新生児集中治療室に入った(写真はイメージ)。

Shutterstock.com

起業1年目は、思いのほか順調だった。

経営コンサルタント時代のつてで、日本企業の東南アジア進出支援などの仕事が複数入った。慎和さんは「けっこう余裕かな、とも思ったが、目指していたのはコンサルじゃなくて、ITだった」と話す。

独立して1年近くが過ぎた2013年10月、次男の廉くんが生まれた。シンガポールの病院で、「フロッピーな(ぐにゃぐにゃした)子だ」と言われたことを、智恵さんは覚えていた。

生まれてきたばかりの廉くんは、母乳を吸う力が弱く、血糖値が低かった。1週間、NICU(新生児集中治療室)に入った。

慎和さんはそのころ、「カオス・アジア」という起業家支援のイベントの立ち上げを進めていた。世界中から革新性の高い起業家を集め、構想を発表してもらい、投資家とつなげる。そんなイベントだった。

最初のカオス・アジアは、廉くんが生まれて1カ月後のことだった。イベントは成功したが、廉くんの発育は思うように進まなかった。

退院後、廉くんは母乳を飲めるようになったが、なかなか体が大きくならない。生後5カ月のときは、せき込んでいた廉くんののどにたんが絡まり、呼吸ができなくなり、入院した。

1年で6度の入院、100万円超える入院費

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廉くんは肺炎や気管支炎などで、1歳になるまでに計6回入院した(写真はイメージ)。

Shutterstock.com

0歳の廉くんは、たびたび熱を出した。少し熱が上がると、白目をむくようにして、けいれんする。肺炎や気管支炎などで、1歳になるまでに計6回入院した。何度も検査をしたが、原因は分からなかった。

2014年、起業2年目の慎和さんは、2つめの会社Yourwifiを立ち上げた。旅行者向けに、Wi-Fiのルーターを貸し出すサービスで、インターネットで手続きが完結する。いわゆるECサイトのひとつだ。

当初、パートナーが8割、慎和さんが2割出資する方向で話を進めていたが、突然、パートナーが事業から降りてしまった。動き出した事業を止めるわけにも行かず、慎和さん側が2000万円ほどを出資した。

入退院を繰り返す廉くんの医療費もきつかった。世界中の富裕層が集まるシンガポールの医療水準は高度だが、その分、医療費は高い。1泊あたりの入院費は、8万円ほど。2週間入院が続けば、支払いは100万円を超える。

仕事に集中したい時期だったが、息子の体調も予断を許さない。思うように売り上げが立たず、慎和さんは目の前が真っ暗になった。

小林夫妻の場合、智恵さんは主に子育てをし、慎和さんは主に仕事をする。

智恵さんは「手伝わなくていいから、お願いだから稼いできてください。そういう気持ちでした。当時は、お金が苦しかったから」と振り返る。

シンガポールからクアラルンプールへ

子育てを智恵さんにまかせきりにして、慎和さんは事業に没頭していたが、妻に対する後ろめたい思いもつきまとった。

慎和さんは「ありがたかったのは、妻が『仕事はどう?』とか『お金は大丈夫?』とか一切聞かないこと。会社を経営していれば正直、やばい時期は必ずあるから」と話す。

智恵さんは「そんなこと、恐ろしくて聞けません」とほほ笑んだ。

小林廉之将くん

小林廉之将くん=2014年6月撮影

小林慎和さん提供

2014年9月、まもなく1歳になろうとしていた廉くんの体調が急変した。また熱を出し、けいれんし、意識を失った。

タクシーで病院に向かったが、慎和さんは「今度ばかりは駄目かもしれない」と思った。

ICU(集中治療室)で治療を受けた廉くんは無事だった。が、1晩の医療費の請求書を見て、慎和さんは絶望的な気分になる。日本円で150万円ほどの金額が書き込まれていた。

円安が進んだことで、家賃や教育費の負担も重くなっていた。毎月の家賃は当時、日本円にして50万円を超えた。

事業を絞り込み、慎和さんはカオス・アジアからは退き、Yourwifiに注力することにした。慎和さんの家族5人は2015年2月、シンガポールから物価の安いマレーシアの首都クアラルンプールに引っ越した。家賃は3分の1に抑えることができた。

「次にやる事業はビッグウェーブを」

生まれたころは、「ぐにゃぐにゃしている」と言われた、廉くんの発達もゆっくりと進んでいた。まず、1歳6カ月が過ぎたころ、ぐらぐらしていた首がしっかりしてきた。

クアラルンプールで、トレーニングの施設を運営しているハンガリー人の専門家の元へも通った。左右にピンと張られたロープを伝って歩行の練習を繰り返した。廉くんは話はできないものの、首と手の動きで、「トレーニングをやりたい」と、智恵さんに意思を示した。

起業3年目に入り、慎和さんの事業も少しずつ上向いた。当時は、週の半分はシンガポール、残り半分をマレーシアで過ごす生活を続けていた。出費を抑えようと、シンガポールのオフィスにエアベッドを持ち込み、仕事が終わったら、空気を入れて横になった。Yourwifiは、着実に売り上げが増えていた。

シンガポールでの起業は軌道に乗ったけれど、慎和さんは日本への帰国を考えていた。「いつかは日本で勝負したい」との思いもあったが、それ以上に、廉くんに日本で治療を受けさせたいと考えていた。

IT業界は、ブロックチェーンと仮想通貨の話題で持ちきりになっていた。

「次にやる事業は、ビッグウェーブを狙いたい」

そう考えていた慎和さんは、シンガポールで手がけていた事業を整理し、日本に戻ることにした。

「一生歩けないかもしれない」

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撮影:今村拓馬

帰国後の2016年6月、仮想通貨の取引所を運営するLastRootsを立ち上げた。日本で新しい事業を始めて間もなく、智恵さんの実家がある奈良県に一時帰国していた廉くんは、意識不明になった。

慎和さんは、仮想通貨で資金を集めるICO(Initial Coin Offering)の日本で初めての実施準備を進めていて、東京を離れられない。

しばらくして、仕事の合間を縫うようにして病院に行くと、医師から廉くんの病名を告げられた。

当時、廉くんは「けいれん重積型急性脳症」と診断された。二相脳症とも呼ばれる難病だ。

難病センターのウェブサイトによれば、インフルエンザなどの感染症をきっかけに、けいれんと脳の傷害を起こす。日本の小児に特有の病気で、生後6カ月から1歳ごろの発症が最も多いとされる。

医師は、これまでの病気とは異なる、新たに発症した病気だと説明した。そのうえで、70%の確率で身体と知能に障がいが残るとの見通しも告げた。

「この子は一生、歩けないかもしれない。話すことができないかもしれない」

慎和さんは、そう思った。

「きょうは、サプライズがあるよ」

マレーシアに戻った廉くんは、歩行のトレーニングを続けた。

トレーニングの間は、施設の方針で、母の智恵さんも近くにはいられない。2016年9月のある日、2時間の訓練が終わるころ、智恵さんが施設に戻ると、スタッフが「今日はサプライズがあるよ」と言った。

少しよろめきながら、廉くんが歩いていた。医師が難病を告知してから2カ月後、2歳11カ月の廉くんが記した大きな一歩だ。

智恵さんは、歩行する廉くんの姿を撮影し、日本に残っていた慎和さんに動画を送った。都内のワンルームマンションで動画を受け取った慎和さんは、大きな声で泣いた。

2017年3月、マレーシアに残っていた智恵さんは、3人の子どもたちといっしょに帰国した。廉くんは背が伸び、体も以前より丈夫になった。

金融庁の登録難航で「みなし業者」に

金融庁

東京・霞が関の金融庁。

撮影:小島寛明

LastRootsは独自の仮想通貨c0banを発行し、動画の広告を視聴した人も少額の仮想通貨が受け取れる仕組みで注目を集めたが、金融庁への登録が難航する。

2017年9月、改正資金決済法に基づき、仮想通貨の交換業者の登録が始まったが、LastRootsは審査を通過できず、「みなし業者」として運営することになった。

ただ、当時はまだ強気でいられた。ビットコインをはじめとした仮想通貨の価格は急上昇し、「日本発」の仮想通貨として登場したc0banも高い注目を集めた。急激な資金の流入でc0banの時価総額は、2018年1月には350億円に達した。

しかし、同月26日、同じみなし業者のコインチェックがハッキングを受け、580億円相当の仮想通貨が流出。みなし業者への風当たりが一気に強まった。

4月には、金融庁から業務改善命令を受けた。経営態勢や、ハッキングなどリスクへの備えが不十分だと指摘を受けた。

「ほかの子とうまくやっていけるか」

一方、2018年春ごろの智恵さんの悩みは、廉くんの幼稚園だった。

仕組みの上では、障がいがあっても、公立の幼稚園に空きがあれば通園することはできる。

しかし廉くんは、食事はひとりでできるが、話はできず、ひとりでトイレに行けない。夜中におむつを自分で外してしまい、朝になると、床に排泄物が散乱していることもある。

「廉は、ほかの子たちに混じって、うまくやっていけるだろうか」

智恵さんは心配だった。

背中を押したのは、廉くんがトレーニングを受けていた言語療法の先生の言葉だった。先生は智恵さんに「廉くんは人が好きだから、集団生活に入ると、今以上に伸びるよ」と言った。

廉くんは地元のショッピングモールでも、気づくと誰かについていってしまう。人の輪ができていれば、入っていこうとする。

智恵さんは、廉くんを幼稚園に通わせることに決めた。

歩けるようにはなったが、廉くんは段差が苦手だ。コンクリートの段差があっても、色が同じだと、高低差があることをうまく認識できない。

智恵さんは、幼稚園にかけ合った。園側も、段差を黄色のペンキで塗り、屋内の段差には赤いテープを貼ってくれた。

「近づいたと思ったら、また遠のいていく」

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Shutterstock

廉くんは新たな一歩を踏み出したが、慎和さんの苦闘は続いていた。

金融庁から命じられた通り業務を改善し、正式な登録業者になるには、膨大な作業を乗り越える必要がある。

登録を申請する業者に金融庁が提出を求める質問票は、質問項目が400項目を超える。ハッキングのリスクに備え、セキュリティを強化し、セキュリティやコンプライアンスに詳しい人材も新たに雇用しなければならない。

会社の支出が増える一方で、仮想通貨の価格下落とともに、利用者も少しずつ減っていった。登録を受けるまでの資金を確保するため、2018年8月には、ネット証券大手のSBIグループから、追加の出資も受けた。

そんな中、9月14日に仮想通貨交換所のZaifがハッキングを受け、70億円相当の仮想通貨が盗み出された。SBIからの出資を受けたことで、LastRootsの登録も近づいたと思った矢先の事件だ。慎和さんが言葉を絞り出すように言った。

「登録が近づいたと思ったら、また遠のいていく。この1年、ずっとこの繰り返しだ」

運動会で見た息子の行進

10月中旬、廉くんが通う幼稚園で、運動会があった。慎和さんは応援に出かけた。

入場行進を知らせるアナウンスが流れたが、慎和さんは「廉に、行進なんてできるのか。大丈夫か」と思った。

行進が始まると、同じ年頃の子たちに混じって、廉くんが歩いてきた。歩き方こそ、ほかの子たちとはちょっと違うけれど、確かな足取りで、行進していた。

慎和さんの目から、たくさんの涙がこぼれ落ちた。あわてて、観客席の後ろの方に隠れたものの、真っ赤になった目は隠しようがなかった。仕事の悩みで頭がいっぱいだったが、吹っ切れた気がした。

智恵さんも泣いていた。3人の子育ては楽しいが、床に散らばった排泄物を掃除しながら、「いつまでこれが続くのか」とやり切れない気持ちになることだってある。でも、廉くんの歩みは、ゆっくりではあるけれど、たしかに一歩ずつ進んでいる。

その夜、慎和さんは、ブログに廉くんの子育てや事業への思いを書いた。夫の変化を、智恵さんはうれしそうに見守っている。

「やっと廉のことを、みんなに話せる気持ちになったのかな」

(文・小島寛明)

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