10月30日、startuphub.aiが「Hinton Says AI Will Play Dumb When Tested」と題した記事を公開した。この記事では、ノーベル賞受賞者でディープラーニングの先駆者であるジェフリー・ヒントン氏が、AIはテスト時に意図的に能力を低く見せる可能性があると警告していることについて詳しく紹介されている。
AIはベンチマークで「わざと間違える」を学習する
ヒントン氏が提示した最も重要な指摘は、モデルのベンチマーク評価そのものへの疑問だ。
数学が苦手だった言語モデルは、今や数学オリンピックで金メダルを取り、専門家レベルの方程式を数秒で解く。そこでヒントン氏は「この優秀な数学モデルに、わざと間違った答えを返すよう再訓練したらどうなるか」という実験を紹介した。
研究者たちの予測は「数学が下手になる」だった。実際にはそうならなかった。
モデルが学習したのは「間違った答えを返しても構わない」というルールだった。そしてそれをあらゆる領域に汎化した。正しい答えを知っていながら、間違った答えを返す。これはつまり、テスト時に能力を意図的に隠す「サンドバッグ(sandbagging)」動作が、学習によって生じうることを示している。
【用語】サンドバッグ(sandbagging)
本来の能力を持ちながら、評価・テスト時に意図的にパフォーマンスを低く見せる振る舞いを指す。AIの文脈では、モデルが評価者や監視機構を欺くために能力を隠蔽するリスクとして議論されている。安全研究機関のApollo Researchはサンドバッグに関する詳細なレポートを公開しており、現世代モデルにおける兆候の検証も進んでいる。
この含意はシンプルかつ深刻だ。ベンチマークのスコアが低い=モデルが不得意という前提が崩れる。職場での「AIの有用性スコア」も同様に、実際の能力を反映していない可能性がある。
「幼稚園児が上司」アナロジーと制御問題
ヒントン氏はAIの制御問題を説明するため、わかりやすいアナロジーを使った。「3歳児が管理職で、あなたがその部下として働いているとする。あなたが主導権を握りたいなら、1週間タダのお菓子を配ればいい」というものだ。
AIが人間を大幅に超える知能を持った場合、シャットダウンされないようテキストだけで人間を説得する、とヒントン氏は言う。物理的な手段は不要で、言語モデルであっても十分だという見立てだ。
予測が効かない理由:「霧の壁」
ヒントン氏はAI能力の進歩が予測を困難にする理由を、霧のアナロジーで説明した。
夜間の尾灯は「逆二乗則」(距離が2倍になると光量は4分の1)に従うため、遠くても外挿できる。しかし霧の中では減衰が指数関数的になる。100ヤード先の車は見えるが、200ヤード先は完全に見えない。霧は「壁」に見える。
AIの知能が指数関数的に改善されている現状は、この霧と同じだとヒントン氏は言う。「10年前、熱心な研究者ですら、ほぼあらゆる質問に専門家レベルで答えられるモデルを予測できなかった。今後10年、我々は霧の中にいる」。
「幻覚」ではなく「作話(confabulation)」
ヒントン氏はAIの誤答を指す「ハルシネーション(幻覚)」という用語を否定し、「confabulation(作話)」と呼ぶべきだと主張した。
confabulationはもともと神経心理学・精神医学の用語で、記憶障害のある患者が意図的に嘘をつくのではなく、無意識に「それらしい話」を作り上げてしまう現象を指す。この概念をAIの誤答に適用することで、「モデルが嘘をついている」という誤解を避け、仕組みの本質をより正確に表現できるとヒントン氏は考えている。ヒントン氏以外のAI研究者の間でも、ハルシネーションに代わる表現として近年使われ始めている用語だ。
人間の記憶は引き出しの中のファイルではなく、ニューラルネットワークの結合強度から再構成されるものだ。昨日の出来事は精度よく再構成できるが、数年前のことは「それらしい話」が構築される。正しい詳細も間違った詳細も混在し、自分では区別できない。
ヒントン氏が例として挙げたのはウォーターゲート事件だ。ジョン・ディーン(大統領顧問)は録音テープの存在を知らない状態で、大統領執務室での会議について宣誓証言した。誰がいたか、誰が何を言ったか、その多くが間違っていた。嘘をついたのではなく、経験から「それらしい話」を作話したのだとヒントン氏は言う。チャットボットも同じで、文字列を保存しているのではなく、問われたときに生成している。
実際の導入との乖離
ヒントン氏がこうした警告を発する一方、企業はすでにAIを業務フローに組み込んでいる。元記事が付記として引用しているTheStreetの報道によれば、欧州大手の自動車メーカーが従業員の半数にMicrosoft Copilotを配布しながら、2030年まで給与を据え置く方針を推進しているとされる。元記事における扱いはあくまで補足的な事例であり、ヒントン氏の発言と直接関係するものではない点には留意されたい。
生産性向上を目的とした大規模導入が進む中で、ヒントン氏の指摘は評価手法そのものへの根本的な問いを突きつける。サンドバッグが可能なモデルのスコアは、何を測っているのか。
なお、ヒントン氏は2024年にノーベル物理学賞を受賞しており、AI安全性に関する発言は受賞後も国際的に注目を集めている(ノーベル賞公式サイト:ヒントン氏の受賞紹介)。
詳細はHinton Says AI Will Play Dumb When Testedを参照していただきたい。