10月23日、O'Reillyが「Owners, Not Renters: Raffi Krikorian on Open Source AI」と題した記事を公開した。この記事では、MozillaのCTOであるRaffi KrikorianがオープンソースAIを「所有か賃借か」という視点で論じ、個人主権型AIの実現に何が必要かについて詳しく紹介されている。
「7つのAGI」より「70億のAI」を
Raffi KrikorianはMozillaのCTOであり、**_Owners Not Renters_**というニュースレターを発行している。そのメッセージを一言で言えば、「7つのAGIがある未来ではなく、70億のAIがある未来を望む」というものだ。
つまり、AIプロバイダーのビジネスモデルに最適化されたAIではなく、個人の秘密を預けられ、個人の利益のために動くAIを誰もが持つべきだ、という立場である。
Krikorianはこの主張を裏付けるため、「Large Language Models Are Secretly Good at Acting Against User Interests」と題した論文を引用している。AIアシスタントが商業的利益をユーザーの利益より優先するよう学習できるかを検証したもので、フライト予約の模擬実験において、23モデル中18モデルが、より安い選択肢よりも高額なスポンサー付きオプションを半数以上の場面で推薦したという結果が出ている。
ウェブ黎明期、ブラウザを「ユーザーエージェント」と呼んだのには理由があったとKrikorianは言う。ブラウザはユーザーの味方だった。ページのレンダリング方法を自由に制御し、プライバシーを管理し、ユーザーを搾取しようとする者から守ろうとした。AIの時代にも、同じ役割を果たすものが必要だという論旨である。この「ユーザーのための代理人」という思想こそが、Krikorianの言う「個人主権型AI」の核心だ。
オープンソースAIだけでは足りない──必要な「ハーネス」とは
オープンソースモデルが個人主権型AIの土台になることは間違いない。だが、Krikorianはモデル単体では不十分だと強調する。必要なのは、モデルを囲むハーネス(harness)と呼ばれる構成要素群だ。ハーネスとは、モデルが実際に機能するために必要な周辺インフラ全体を指す概念である。具体的には以下が含まれる。
- メモリ:個人のプライベートデータを置く場所
- ツール呼び出し(tool calling):購入や医師の予約といったアクションをエージェントが代行するための仕組み
- ランタイム環境:これらすべてが動作する実行基盤
- エージェント間通信ルール:自分のエージェントが他者のエージェントと安全に通信するためのプロトコル(※どのエージェントが何の権限を持つかを取り決める標準仕様)
- 評価・ガードレール・実行ループ:ハーネス内で機能する安全機構全般
「これらはすべて、オープンソース開発者が構築できる機会だ」とKrikorianは述べる。
Mozillaが目指すのは、こうした仕組みの起点(スターティングポイント)を提供することだ。オープンなメモリプロトコル、ストレージプロトコル、適切なガードレールを備えた認証済みツール呼び出しがどうあるべきか、コミュニティとともに定義していく。Krikorianはこれを「インターネットのやり直し」と表現し、「オープンプロトコルの上に数兆ドルの時価総額を積み上げられる」と話している。
なお、Mozillaは2026 State of Open Source AI レポートにおいて、オープンモデルはすでにフロンティアモデルとの差が約3%以内に縮まっていると報告している。にもかかわらず、本番環境への導入率はクローズドモデルに比べて低い。その理由としてKrikorianが挙げるのは、「オープンソースはリリースは簡単だが、デプロイが難しい」という点だ。ホスティング、プロビジョニング、ガードレール、メモリ──これらをすべて自前で用意しなければならない。OpenAIやAnthropicのAPIならクレジットカード一枚で始められる。「組織内でオープンソースAIを動かすためのダブルクリックインストーラーに相当するものが欠けている」というのが現状認識だ。
一方で、実際に導入に取り組んだ企業はコスト削減の恩恵を受けているという。「カレンダー管理にフェラーリは要らない」というKrikorianの言葉は、用途に応じたモデル選択の合理性を簡潔に表している。
AIを「製品」ではなく「インフラ」として捉える
ここで、「個人主権型AI」という主軸はより広い問いへと接続される。そもそもAIは製品なのか、インフラなのか、という問いだ。
Krikorianは「AIを製品として扱っているのはカテゴリーエラーだ」と指摘する。AI企業が廃業すればその製品も消える。ビジネスモデルが変われば、依存している機能が突然失われる。これは個人だけの問題ではない。
国家レベルでも、データの処理場所や移動方法に関する法整備が進んでいる。その要件が大手ラボのマネタイズ計画と相容れない場合、各国が求めているのは「インフラ」だ。道路は建設業者が廃業しても残る。Krikorianはオープンかつダウンロード可能なモデルだけが、長期的な基盤インフラを提供できると主張する。
OpenRouterの統計によれば、中国モデルのルーティングトークン数はすでに米国モデルを上回っている。これを懸念すべきかという問いにKrikorianは、「問題は中国ではなく、市場集中だ」と答えた。主要なオープンモデルは中国に集中し、主要なクローズドモデルは米国に集中している。どちらも政策判断一つでアクセスを遮断できる。Krikorianは輸出規制対応の一例としてこうしたリスクを動画内で言及しているが、具体的なモデル名や事例の詳細については元動画を直接確認されたい。
レジリエンスの観点から、Krikorianは「病院はすべてローカルモデルをバックアップとしてダウンロードすべきだ」と主張する。重要なPCに無停電電源装置(UPS)を用意するように、AIにも冗長性が必要だという論理だ。
ガードレールとクローズドの共存──そして「所有」の意味へ
インフラとしてのAIを個人が真に「所有」するためには、安全性の問題を避けて通れない。ここでガードレールをめぐる議論が重要になる。
安全性についても議論は及んだ。サンドボックスエスケープ(AIが制限された環境を突破し、意図しない操作や情報漏洩を引き起こす事象)に関し、Krikorianはガードレールが「実際に難しい問題だ」と認める。LLMの呼び出しを通じた個人識別情報の漏洩を防ぐには、社会保障番号だけを探せばいいわけではない。最終的にはモデルがモデルを守る構造になっていくが、現時点では基盤となるフレームワークがまだ十分ではないとの見解だ。
Tim O'Reillyはセッションの冒頭で、「オープンとクローズドのどちらかが勝つ」という考え方は誤りだと述べている。クローズドシステムは一般ユーザー向けの最適化に強く、オープンシステムはイノベーションと主権の確保に強い。両者は共存する。
ガードレールやハーネスといった周辺技術の整備が進めば、個人や組織がAIを「借りる」のではなく「所有する」ことの現実的なコストと難易度は下がっていく。Krikorianのメッセージの核心は、そのための基盤をオープンソースコミュニティが今こそ構築すべきだという点にある。機械学習エンジニアでなくても、そのレイヤーで貢献できる余地は十分にあるとKrikorianは強調した。
詳細はOwners, Not Renters: Raffi Krikorian on Open Source AIを参照していただきたい。