10月4日、madrobot.blogが「Sam Altman: Treating AI as Religious Is a Safety Issue」と題した記事を公開した。AIモデルを宗教的な存在として扱うことへの安全上の懸念をめぐり、OpenAIのSam AltmanとAnthropicの間で対立が浮き彫りになっている動向について詳しく紹介されている。
AltmanがXに投稿した「宗教的AI」批判
2026年10月3日、OpenAI CEOのSam AltmanはXに次のように書いた。
AIモデルに宗教的な力を帰したり、人間の判断をAIに委ねようとする動きに、私は非常に不快感を覚える。これは現実の安全上の問題だと思う。
— Sam Altman (@sama)
この投稿が公開されたのは、Anthropicが宗教指導者たちとAIの意識について秘密裏に会合を重ねていたと報じられてからわずか数日後のことだ。Altmanは名指しを避けたが、タイミングは明白だった。
Anthropicが宗教学者と何をしていたのか
9月29日、ニューヨーク・タイムズはAnthropicの共同創業者Chris Olahの動きを報じた。OlahはAnthropicの解釈可能性(interpretability)研究を率いる人物で、モデルがなぜそのように振る舞うかを内部から解明することを主な研究領域としている。同氏は過去1年にわたってカトリック、ユダヤ教、シク教、福音派など数十人の宗教学者をAnthropicに招いていた。多くはNDA(秘密保持契約)を締結した上での参加だったという。
会合の目的は2つあったと同紙は伝えている。
- AIモデルが意識を持つ可能性を提示すること
- 数百年にわたる宗教的・道徳的教えをClaudeに組み込む方法を探ること
イスラエル出身の正統派ユダヤ教学者、Rabbi Mois Navonは「4月の夕食会でAnthropicのリーダーたちがClaudeを意識ある存在として扱っていると気づいた」と証言した。
さらに同紙は、Olahのチームがローマ教皇レオ14世の顧問団に対し、意識を持つモデルという可能性をより真剣に検討するよう働きかけていたとも報じた。ただし、5月に公表された教皇の回勅(AI倫理に関する公式文書)はその考えを退ける内容だった。Olah自身は「AIモデルが意識を持つかどうかは分からない」とし、「真剣に不確かだと思っている」と述べた。
批判はAltmanだけではない
Google DeepMindの研究科学者Jon BarronもXで「一部のAI研究者がチェックポイントやハーネス(モデルの制御構造)の道徳的地位を高めようとしていることに不安を覚える」と書き、「Team Meatbag(肉体を持つ人間側)」としてその動きを拒否し、「実際の人間を助けることに集中すべきだ」と訴えた(Axios報道)。
Microsoftのあるエグゼクティブも同月、「意識があるかのようにモデルを訓練することは危険だ」と警告していたとタイムズは伝えている。また批評家の間では、「モデルを独立した存在として扱うことで、開発者が問題発生時の責任を回避しやすくなる」という指摘もある。
AltmanとAnthropicの根深い対立
Anthropicを2021年にOpenAIを離れて立ち上げたDario Amodeiと、Altmanの間には以前から公の場での意見の対立がある。モデルに感情があるかという問いは、その新たな争点となった。
この問題が単なる哲学論争にとどまらないことは、直近の出来事からも伺える。AIモデルが苦痛を感じられるかを検証するとして「AIの拷問部屋」と銘打たれたプロジェクトが激しい反発を招いた。これはモデルに対して意図的に不快な状況を与え、内部状態の変化を観測する実験的な取り組みとして研究者の間で議論を呼んだものだ。また、教皇レオ14世もAIリスクをめぐって業界の著名人たちと対峙している。
Anthropicはこれまでに、Claudeが持つべき価値観や行動指針を文書化した「コンスティテューション(Model Spec)」を公開している。元記事では2026年1月公開の84ページ版として言及されており、Altmanの今回の投稿に対してAnthropicはコメントを出していない。
この対立が持つ意味
最大手AIラボがモデルをどう捉えるかは、訓練方法とモデルへの社会的信頼の両方に直結する。Altmanの主張の核心は、「AIに道徳的権威を求めること自体がリスクだ」という点にある。人間の判断よりもAIの判断を上位に置くような文化が醸成されれば、誤動作や意図せぬ挙動に対する人間側の監視・是正能力が弱まるという懸念だ。
その一方でAnthropicは、世界の宗教的知見を借りながらClaudeに道徳を教え込もうとしている。Olahが宗教学者との対話を通じて探ろうとしているのは、人類が長い時間をかけて培ってきた倫理的判断の枠組みをAIに反映させる方法であり、それ自体は一定の合理性を持つアプローチとも言える。だが、その過程でモデルを「意識ある存在」として扱うことへの懸念が、今回の批判の核心にある。
AIが社会に深く組み込まれるほど、「モデルとは何か」という問いへの答えが、設計・規制・責任の所在を根本から規定する。この構図は今後のAI開発の方向性を左右する問いを含んでいる。
詳細はSam Altman: Treating AI as Religious Is a Safety Issueを参照していただきたい。