9月19日、Scientific Americanが「Why AI is speeding up scientific research but not lab experiments」と題した記事を公開した。AIが科学研究の情報処理を加速させる一方で、実験室での物理的作業には効果が及んでいないという現実を、大規模な共同調査をもとに論じた内容だ。
Google・Google DeepMind・MITの共同レポートが示した「加速の非対称性」
AIは数学の証明を解き、タンパク質の構造を予測する。しかし新薬の発見には、なぜ結びついていないのか。
Google、Google DeepMind(Googleの傘下にあるAI研究部門)、MIT FutureTechが共同で発表したレポートは、その問いに対して定量的な答えを示した。調査対象は637名の科学者、1500万件のGemini会話ログ、2600以上の専門モデルのカタログ。スケールの大きな調査だ。
結果として浮かび上がったのは、「ボトルネックの移動」という現象だ。
- 44%の科学者が「過去2年間で主要なボトルネックが下流(物理的な実験やデータ収集などの後工程)に移動した」と回答
- **41%**が「未検証の仮説のバックログが増えた」と回答
つまりAIは「考える」部分を速くしたが、「手を動かす」部分は速くなっていない。仮説は量産されても、それを実験で検証するスピードが追いついていない構図だ。
「確認作業」のコストが見落とされている
レポートの主著者でGoogle所属の研究経済学者、Mihai Codreanuは重要な数字を示している。
「AIで時間を節約できている人のうち89%は、節約した時間の10分の1以上をAIの出力の確認に費やしている。46%は4分の1以上を費やしている」
AIが出力を生成するだけでは仕事は終わらない。その結果が正しいかどうかを人間が確かめる必要があり、その検証コストがどれだけかかるかが、分野ごとの有用性の差を生んでいる。
数学の証明は形式的なルールに照らして機械的に検証できる。一方、AIが予測したタンパク質の機能は、実際に合成して生体システムで試さなければ確かめられない。この「検証の非対称性」が、数学とバイオの差を説明する。
自動化ラボの限界
スタンフォード大学のバイオメディカルデータサイエンティスト、James Zouは、LLMやDeepMindのAlphaFoldを組み合わせた完全仮想の自動化ラボを構築してきた研究者だ。その彼でさえ、現実世界への展開には壁があると認める。
「自動化できる実験の種類はまだかなり限られている。主に一部の化学実験だ。動物が関わるものになると、はるかに難しくなる」(Zou)
実験規模が大きくなるほど、シミュレーションに必要なモデルも複雑化し、学習データの調達も困難になる。実物を扱うロボットはソフトウェアには存在しない安全上の問題を抱え、既存の自動化ラボはコストが法外に高い。
「グラウンドトゥルース」がない領域では機能しない
MITのノーベル経済学賞受賞者で、AIの労働影響を研究するDaron Acemogluは、問題の本質を別の角度から指摘する。
「AIが大きな進歩を遂げたタスクを見ると、正解(グラウンドトゥルース)が存在するものばかりだ。医学の大部分には、正解がない」
グラウンドトゥルースとは、モデルの出力を検証するための正解データや基準値のことだ。チェスの勝敗や数学の証明のように客観的な正誤が定まる領域では、AIの性能評価も自動化しやすい。しかし医学的な判断や生物学的な因果関係の解明など、正解そのものが定まりにくい領域では、AIの出力を評価する基盤自体が存在しない。
また、臨床試験が遅い理由はAIとは無関係の部分も大きい。規制審査のペース、そして人間を対象とする実験に課される安全確認のプロセスは、AIが介入しても圧縮できる性質のものではない。
それでも前進しようとしている現場
ノースウェスタン大学のDREAM Cloud LabでPIを務めるJulius B. Lucksは、タンパク質工学サイクルの自動化に取り組んでいる。今夏、NSFから2000万ドルの資金提供を受け、プログラマブルなクラウドラボのネットワーク整備の一環として、研究者が遠隔で設計・合成・検証を行えるシステムを構築中だ。Lucksは一歩ずつ進めながらも、次に自動化すべきものを模索し続けている。
AIが科学研究にもたらしている変化は本物だが、その恩恵が届く場所は均一ではない。情報処理と物理世界の間にある壁は、まだ崩れていない。詳細はWhy AI is speeding up scientific research but not lab experimentsを参照していただきたい。