9月10日、IBMが「IBM and NASA Release Open-Source AI Model to Support Lunar Exploration」と題した記事を公開した。IBMとNASAが共同開発した月探査向け基盤モデル「NASA-IBM Lunar Foundation Model」をオープンソースで公開したというもので、水氷探索の誤差を最大22%削減するなど、手作業や単一タスク向けMLモデルが抱えていた精度・効率の限界を突破する成果として注目に値する。
数十年分の月観測データをAIで統合
IBMとNASAは2026年9月10日、「NASA-IBM Lunar Foundation Model」をオープンソースで公開した。月の科学探査を目的とした基盤モデル(Foundation Model)としては、公開されているものの中でも初期の部類に入る。
月の表面は長い時間をかけてクレーターが形成され、水氷が分布し、火山活動の痕跡も残している。NASAはこれまで数十年にわたってセンサーや観測機器でデータを収集してきたが、そのデータ量はペタバイト規模に達する。これほどの量になると、科学者が地図や画像を手作業で調べるか、低解像度・単一タスク向けの機械学習モデルに頼るほかなく、どちらも精度や効率の面で限界があった。
今回公開されたモデルは、こうした状況を打開するために設計されたものだ。複数の機器・解像度にまたがる観測データを統合し、単一の機器では見えてこなかったパターンを浮き上がらせることができる。
Prithviファミリーとしての位置づけ
本モデルを理解するうえで欠かせないのが、IBMとNASAが進めてきた基盤モデル連携の歴史的文脈だ。両者はすでに地球観測向け基盤モデル**Prithvi**シリーズを共同で開発・公開している。Prithviは地理空間・気象・太陽物理といった地球科学の複数ドメインをカバーするモデル群であり、衛星画像を用いた洪水検知や農地マッピングなど実用的なタスクで実績を積み上げてきた。
NASA-IBM Lunar Foundation Modelはこのプロジェクトの延長線上に位置するものであり、Prithviで確立した「複数モダリティの観測データを統合し、汎用的な特徴表現を学習する」というアプローチを月面ドメインへ移植・拡張したものだ。地球観測で得られたノウハウを宇宙探査へ展開するという点で、単なる新モデルの公開にとどまらず、IBMとNASAの科学AIパートナーシップが地球圏を越えた段階に入ったことを示す一歩といえる。これらはいずれもHugging Face上で公開されており、科学の各ドメインで「ゼロからモデルを作る」必要なく、共通の基盤から出発してタスクごとに適応できる体制を目指している。
何ができるのか:3つの主要タスク
モデルが対応する主な科学的タスクは以下の3つだ。なお、比較対象として登場するSwinV2-Bは、Microsoftが提案したVision Transformer(ViT)ベースの画像認識モデルであり、大規模な一般画像データセットであるImageNetで事前学習されたもの。月面という極めて特殊なドメインのデータを持たない汎用モデルとの比較は、ドメイン特化型基盤モデルの有効性を測るうえで標準的なベースラインとして機能する。
1. 月面の水氷探索
月の永久影領域(太陽光が一切届かない極域の谷や窪地)には、水氷が地下に存在する可能性がある。水と酸素は将来の月面基地や火星への往路で必要なロケット燃料の原料として重要視されており、その探索は実用的な意味でも大きい。
NASA-IBM Lunar Foundation Modelは、この氷の存在可能性が高いエリアの特定において、比較対象モデルであるSwinV2-B(ImageNetで事前学習済み)と比べてRMSE(二乗平均平方根誤差)を最大22%削減した。複数モダリティ・複数解像度の観測データを組み合わせることで実現したものだ。
2. 火山地形の検出
月の火山地形(Irregular Mare Patches:不規則な玄武岩質平原の断片)の把握は、月の熱進化の理解や将来の地表活動の計画に役立つ。地球の火山地形とは異なり、月面のIrregular Mare Patchesは現在も熱的に活動している可能性が指摘されており、その正確なマッピングは月の地質史を解明するうえで重要な課題だ。月面の場合、ラベル付きの教師データは地球上の地物に比べて圧倒的に少ないため、限られたアノテーションで高精度を達成できるかどうかがモデルの実用性を左右する。
今回の結果では、不完全なラベルデータを用いた学習においても、SwinV2-Bより3%高い精度で火山地形の範囲を捉えられ、かつファインチューニングのコストも低いことが示された。ラベル不足という現実的な制約のもとでの性能向上は、月面という特殊ドメインにおいて特に意義が大きい。
3. クレーター検出
クレーターは地形の年代推定や地質調査、安全な着陸地点の選定に不可欠な要素だ。メートルスケールの解像度ではSwinV2-Bと同等の精度を保ちながら、約100メートルのコンテキストスケールではわずか半分の学習データでSwinV2-Bを約19%上回る精度を達成している。
学習データ量を半減させても精度が向上するという結果は、ドメイン特化型の事前学習がもたらす表現力の優位性を端的に示すものだ。アルテミス計画を含む今後の有人月探査ミッションでは、着陸地点の安全評価が極めて重要になることを踏まえると、このタスクの精度向上は直接的な実用価値を持つ。
モデルと合わせて、初のオープンソース統合月面データセットも公開
モデル単体の公開にとどまらず、IBMとNASAの研究者たちはあわせて初のオープンソース統合月面データセットも整備した。
このデータセットは、以下の観測ミッションから収集した9機器・30以上の空間的に位置合わせされたレイヤーを統合したものだ:
- NASAのLunar Reconnaissance Orbiter(LRO)
- NASAのGRAILミッション
- JAXAのSELENE/かぐやミッション
数万枚の画像と地図を含み、機械学習にすぐ使える形式(ML-ready)で提供される。月の地表・地下の地球物理特性を多角的に捉えたデータとして、研究コミュニティへの開放が狙いだ。
研究者・開発者のコメント
NASAのケビン・マーフィー最高科学データ責任者は次のように述べている。
「NASAはデータ収集だけでなく、そのデータを科学者がより簡単に活用できるようにしなければならない。NASA-IBM Lunar Foundation Modelは、AIがNASAのペタバイト規模の科学データに何をもたらせるかを示した。」
IBM Researchのフアン・ベルナベ・モレノ欧州・英国・アイルランド担当ディレクターは以下のように語っている。
「このモデルは、科学者が複数の機器をまたがる観測を結びつけ、単独では見えにくいパターンを発見するための基盤を提供する。また、グローバルな研究コミュニティが構築できるオープンなプラットフォームでもある。」
詳細はIBM and NASA Release Open-Source AI Model to Support Lunar Explorationを参照していただきたい。