9月10日、Scientific Americanが「The summer AI ate math」と題した記事を公開した。AIが数学の難問を次々と攻略する中、数学者たちが自らの存在意義を問い直している状況を詳しく伝えている。
フィールズ賞受賞者がOpenAIへ
2026年7月、フィラデルフィアで国際数学者会議(ICM)が開催された。ICMは4年に1度開かれる数学界最大の祭典だ。その開幕直前、Anthropicのモデル(元記事では「Claude Fable」という名称が使われているが、現時点でこの名称の正式な確認は取れていない)が、長年「真である」と予想されてきた「ヤコビアン予想(Jacobian conjecture)」に対し、ツイート1件の長さの数式で反例を示したと報告された。
ここで重要な文脈補足が必要だ。ヤコビアン予想は1939年に提唱されて以来、数学者たちが「予想は真である」と信じて証明を目指してきた未解決問題だ。もし反例が数学的に正しいと確認されれば、80年以上にわたる研究の方向性そのものが覆るという、数学史上きわめて重大な出来事になる。ただし、AIが出力した数式が本当に正しい反例であるかどうかは、現時点では数学者による厳密な検証が必要であり、「反証された」と断定できる段階にはない点には注意が必要だ。
さらにChatGPTは別の巨大未解決問題を2つ解いていたと報告され、会議期間中にはAnthropicとOpenAIのモデルを組み合わせて「ミレニアム懸賞問題」の1つが解決されたという報告まで届いた。ミレニアム問題はクレイ数学研究所が2000年に提示した7つの難問であり、2026年時点では26年越しの解決となる。元記事では「20年ぶり」という表現が使われているが、これは概数表現と解釈される。
こうした状況の中、会議の開幕を告げたのはフィールズ賞(数学のノーベル賞に相当。40歳未満の数学者に4年ごとに授与)の発表だった。受賞者の一人、Jacob Tsimerman(数論と幾何学の境界領域で受賞)は授賞式の直後、学術界を離れてOpenAIのAIセーフティ部門に移ることを発表した。
Tsimermanの見立ては明快だ。「AIは近いうちに研究数学において数学者を超える」。彼自身、AIが人類に与えうる絶滅リスクの「分類学」を論文として著している。OpenAIの内部から歯止めをかけるのが目的だという。
しかし学界の反応は厳しい。会議中、複数の数学者が「若い世代の不安を煽っている」「企業の中から変革しようというのは甘い」と批判した。フィールズ賞を与えたこと自体が誤りだったと言う声さえあった。Tsimerman本人はこうした批判に動じる様子を見せず、「怖いからといって真実から目を背けるのは間違いだ」と述べた。
テレンス・タオの警告と処方箋
会議の目玉は、テレンス・タオ(フィールズ賞受賞者で現代最高の数学者の一人)の講演「数学とAIの時代」だった。普段は穏やかな語り口のタオが、この日は異例に重い言葉を選んだ。「今は非常に混乱した状況だ。数学の価値観と慣行に危機が生じている」。
タオは1900年のダフィット・ヒルベルトの講演を引き合いに出した。当時、数学の基礎に矛盾が発見されるという危機があり、ヒルベルトが公理系の構築という方針を示して乗り越えた。「今も同様に激動の時代に入りつつある」とタオは言い、しかし「最終的に数学はより健全で強靭になる」と続けた。
タオが数学者たちに求めたのは、自分たちがルールを決めることだ。「どのようなAI利用が許容され、どれが許容されないかを、われわれ自身が決めるべきだ。外部のアクターに定義させてはならない」。彼は数学者たちがAIの使用規範をまとめた**ライデン宣言(Leiden Declaration)**を支持した。宣言の柱の一つ「証明の著作権をAIモデルに帰属させない」という規範は、すでにOpenAIなど一部のAI企業や数学者から反発を受けている。
「数学者は炭鉱のカナリア」
MIT数学者のAndrew Sutherlandは会議の場でこう述べた。「数学者は、多くの職業にとっての炭鉱のカナリアかもしれない」。AIが「客観的な真実」を扱う数学を攻略することは、AI企業が投資家に対して超知性(superintelligence)への道筋を示す手段として機能している。複数のAI企業が数学の攻略を最優先事項に掲げており、あるAI数学スタートアップはスローガンに「数学を解けば、すべてを解ける」と掲げている。
Brown大学のJavier Gómez-Serranoは今や講演の冒頭に「AIの悲嘆の5段階」を示すスライドを入れている。「システム全体が崩壊する。手遅れになる前に動いた方がいい」と言い切る。
一方、スタンフォード大学教授でアメリカ数学会(AMS)とも関係の深いRavi Vakilはより楽観的な立場を取る(※元記事ではAMS会長として紹介されているが、肩書きの詳細は元記事を参照のこと)。ヤコビアン予想の反例報告についても、「AIが数学者の仕事を奪ったのではなく、より面白くした」と言う。人気ブログで複数のトップ数学者が集まり、「なぜ予想が偽なのか」を理解しようとし、その答えに魅力を見出した。「AIが問題を解いても、数学者が意味を解釈し続ける限り、数学は人間の営みであり続ける」というのが彼の見解だ。
ただしVakilは若者の不安を軽視していない。現在、数学の大学院プログラムの定員は削減傾向にあり、「AIが数学を食べている」というナラティブが資金削減の口実になることを懸念している。また、AIに頼りすぎた学生が「困難な問題に長時間向き合う」経験を積まずに育つことも危惧する。「数学に王道はない」と彼は言う。
会議に参加していた数学系のPhD学生に「今すぐAIの数学進出を止めるボタンがあったら押すか」と聞いて回ったところ、答えはほぼ半々に割れた。ただ全員が一致したのは「AIは数学がうまくなり続ける」という点だ。ある匿名の学生はこう漏らした。「使わないと自分が損をする。Claudeの"Max"プランを払ってついていくしかない」。
詳細はThe summer AI ate mathを参照していただきたい。