8月24日、The Decoderが「Thomson Reuters bets $40M on owning its AI instead of renting from OpenAI or Anthropic」と題した記事を公開した。Thomson Reutersが約4,000万ドルを投じて独自LLM「Thomson」を構築した経緯と、その企業AI戦略のリアルについて詳しく紹介されている。
「借りる」より「買う」——Thomson Reutersが独自LLMに賭けた理由
OpenAIやAnthropicのモデルをファインチューニングすればいいのでは? という問いに対して、Thomson Reutersは明確な答えを持っている。CTO Joel Hronの言葉を借りれば、「賃貸か持ち家か」の違いだ。
Thomson Reutersは2年以上かけて約4,000万ドル(人件費と計算資源の合計)を投じ、自社初の大規模言語モデル「Thomson」を開発した。よく引用される「45万ドル」という数字は、最終トレーニングランのコストにすぎない。
ベースモデルはAlibabaのオープンソースモデルQwenを採用。Imperial College Londonと共同でまず安全性・倫理・政治的中立性の観点から再トレーニングし、「Snowdon」(ウェールズの山の名)という中間モデルを作成。その後、自社コンテンツによる事前学習、ドメイン専門家によるポストトレーニング、自社ツール環境内でのエージェント強化学習を重ねた。
研究責任者Jonathan Schwartzは「重要なのは個々のモデルというより、我々が構築したモデルファクトリーだ」と述べている。CTOのHronは「オープンソースの出発点をすでに約6回変更した」とも話しており、特定のモデルへの依存ではなく、継続的に改善できる仕組みそのものが資産だという考え方が伝わってくる。
ベンチマークの実態——正直な数字
Thomson Reutersは「世界最高水準のモデル」と主張するが、自社公表の数字はより慎重に読む必要がある。元記事に記載されたベンチマーク結果は以下のとおりだ(モデル名は元記事の表記に準拠)。
- Stanford LegalBench: Thomson(0.823)はGemini 2.5 ProおよびGPT-4.5に劣る
- Harvey Legal Agent Benchmark: Claude Opus 4のわずか下
- Instruction followingとPrBench Legal(難易度の高い法律ベンチマーク)では首位
- 推論・コーディングでは大きく見劣りする
なお、比較手法にも偏りがある。Thomsonはテストタイム・スケーリングを使用しているのに対し、比較対象の一部モデルは推論モードなしで比較されている。
社内Deep Researchベンチマーク(ウェブアクセスのみ) では、Thomsonの事実精度は0.53に対し比較モデルは0.65。自社コンテンツへのアクセスを加えると、初めてThomsonが比較モデルを0.83対0.82でわずかに上回る。評価責任者Andrew Beanは「ウェブアクセスのみでは他モデルと同水準だが、リーダーではない」と率直に認めている。
興味深いのは、自社コンテンツへのアクセスによって比較対象モデルも同程度に性能が向上する点だ。つまり、専門的なトレーニングと同じくらい、データアクセス自体が性能を左右する。
なぜ外部モデルのファインチューニングではダメなのか
Thomson Reutersが自社モデル構築を選んだ理由は3点だ。
1. 経済性: 標準的なファインチューニングは「汎用能力を低下させる傾向が強い」(Jonathan Schwartz)。さらに推論コストやロードマップでプロバイダーへの依存が続く。大量の文書レビューのような高ボリュームワークでは、小型の自社モデルの方が経済的に合理性がある。
2. データ管理: Westlawなどの自社ツール内でのトレーニングこそが性能向上の源泉であり、そのアクセス権を外部に渡すことはしない。
3. 複利効果: 製品更新のたびに専門家によるレビューがトレーニングデータになる。HronはCTOとして「長期的に自分たちが所有するものに資産を積み上げており、それは時間とともに複利で増える。第三者モデルではその価値はプロバイダー側に蓄積される」と語る。
ただし、この戦略が機能する条件は限られている。独占的なデータ、数百人規模のドメイン専門家、客観的に品質を測定できるワークフロー——この3つが揃って初めて成立する。これらを持たない企業が自社モデルを構築しても、維持コストを払い続けるだけになりかねない。
実装と今後
初期リリースでは、CoCounsel Legalの「Tabular Analysis」機能に統合される。引用チェックなどのサブタスクを担うモデルとして機能し、オーケストレーターの役割は持たない。製品はマルチモデル構成を維持し、管理者がモデルを切り替えられる設計だ。顧客データはトレーニングに使用しないとしている。
小型版が非商用ライセンスのオープンウェイトモデルとしてHugging Face Hubで公開予定で、テクニカルレポートと開発者ポータルも続く予定だ。法律事務所への直接ライセンスについても、非拘束的な初期交渉が始まっているという。
今後の課題として、Jonathan Schwartzが指摘するように、Thomsonが学習に使用した自社コンテンツはまだ利用可能なコンテンツの10%未満にとどまる。より強力なQwenバリアントへの移行と合わせて、現在のわずかなリードが今後拡大するかどうかが試される。自社モデルへの投資が「複利で増える資産」になるのか、それとも継続的なコストになるのか——その答えは、データ活用の深化にかかっていると言える。
詳細はThomson Reuters bets $40M on owning its AI instead of renting from OpenAI or Anthropicを参照していただきたい。