8月21日、SAPが「Agentic AI Could Rewrite the Economics of SAP Transformation」と題した記事を公開した。SAP ECC(ERP Central Component)からSAP S/4HANAへの移行は、2027年にECCの標準保守が終了することを背景に、多くの企業にとって待ったなしの課題となっている。その高コスト・長期化・複雑化という三重苦を、アジェンティックAIが根本から変えられるか——その議論が具体的な数字を伴って浮上してきた。
「速く・良く・安く」は本当に不可能か
「プロジェクトマネジメントの鉄の三角形」として知られる「速い・良い・安い」は通常トレードオフの関係にある。独立系SAPコンサルタント会社Resulting ITの創業者兼CEOであるStuart Browne氏は、この前提に疑問を呈する。
「将来の納品方法を変えるには、過去の納品方法を変えるしかない。AIはその最善策だ」とBrowne氏は述べた。
同社はSAP ECC→S/4HANA移行に関わる約180のタスクを分析した結果、AIの活用によって約60%のコスト削減が可能だという結論に達した(Resulting IT試算)。工数を圧縮するだけでなく、これまで高度な経験者が担っていた作業を、AIで補強された経験の浅い担当者が代替できるようになるためだ。
「月間コストが100万ドルなら、プログラムを数ヶ月短縮するだけで経済性が劇的に変わる」とBrowne氏は指摘する。
"デッショアリング"という新概念
コスト削減策としてSAP業界が長年頼ってきたのがオフショアリング——作業を人件費の低い地域に移すモデルだ。しかしBrowne氏は、この手法の盲点を指摘する。オンショアとオフショアの間で発生するハンドオフ、コミュニケーションロス、手戻りが、結果的に作業量全体を増やしているというのだ。
アジェンティックAIが提示するのは「どこで人が作業するか」ではなく「そもそもその作業を人がやる必要があるか」という問いだ。Browne氏はこれを「デッショアリング(deshoring)」と呼ぶ——元記事内でBrowne氏が提唱している造語であり、場所ベースのコスト最適化から、作業量そのものの削減へのシフトを指す。オフショアリングの対概念として、移行業界の構造変化を端的に言い表した表現だ。
カスタムコード分析:最も早い成果が期待できる領域
Browne氏が特に注目するのがカスタムコードの分析だ。
従来のS/4HANA移行では、既存のカスタマイズをまず新環境に持ち込み、後から改修方針を検討するのが一般的だった。アジェンティックAIはこのアプローチを逆転させる可能性がある。
AIはカスタムコードベース全体を解析し、機能仕様をリバースエンジニアリングした上で、「そのカスタマイズは標準SAP機能で代替できるか」を判断できる。Browne氏は言う:
「システムインテグレーターを選定する前の段階で、カスタムコードのfit-to-standard(標準適合性)を計画できるようになる」
顧客がすでに料金を支払済みの標準SAP機能でカバーできるカスタマイズが判明すれば、移行後の保守コストも低減できる。
AIが出すのは「80%の答え」——残り20%は人間が担う
AIが数時間で叩き台を作り、経験者がレビュー・修正する——このモデルが現実的な着地点としてBrowne氏は提示する。
「AIが出力するものは、レビューなしに完全に信頼すべきではない」と明言した上で、経験豊富なSAPプロフェッショナルをなくすのではなく、その専門性を「最終マイル」——判断、設計決定、バリデーション——に集中させる形を描く。
SAPが狙う35%の工数削減
ここで注意が必要なのは、本記事に登場する2つの削減数字の出所と前提条件が異なる点だ。前述の60%削減はResulting ITによる独自試算であり、対象は移行に関わる約180タスク全体のコストである。一方、以下で紹介する35%削減はSAP本社が掲げる公式目標であり、エージェント群を活用した移行ライフサイクル全体の工数削減を指す。両者は補完的な文脈で語られているが、前提が異なるため直接比較はできない。
SAP本社でビジネストランスフォーメーションのSVPを務めるRanjeet Panicker氏は、SAP自身がエージェント群を移行ライフサイクル全体に展開していると説明した。対象領域は以下の通りだ:
- システム分析:移行全体の概況把握
- データ管理:データ品質の改善
- カスタムコード:分析・推奨・自動修正
- 構成管理:現行・目標状態の評価
- テスト:テストスクリプトの自動化
これらはSAP Cloud ALMおよびSAP Business Technology Platform上で連携する。SAPが掲げる目標は、移行工数を約35%削減することだ。
コンテキストの欠如がエージェントを"ハイプ"に変える
Browne氏が「勝負の分かれ目」と表現するのがコンテキストの問題だ。SAP移行プログラムは、アーキテクチャ決定、リスク登録簿、テストスクリプト、要件定義など膨大な組織固有の情報を生み出す。これが静的なLLMではなく、常に更新される知識環境と結びついて初めて、エージェントは実用的になる。
「静的なLLMと会話するのではなく、そのリアルタイムの世界と対話できること——それが良いエージェントをさらに良くする」とBrowne氏は述べた。
Excel、Word、SharePointに散在する情報をAIネイティブな知識環境に再整備する必要が生じるかもしれない。
知識の非対称性が崩れる
技術的側面とは別に、Browne氏が指摘する構造的変化がある。従来のSAP実装では、顧客側は経験豊富なコンサルタントやSIに依存せざるを得ない「知識の非対称性」があった。
AIの登場により、「6ヶ月のSAP経験しかない人材が、かつては数年かかっていた知識習得を数週間で達成できる可能性がある」とBrowne氏は言う。Panicker氏もこれに同意し、技術とビジネスの文脈を分断していた従来の「スイムレーン」がAIによって越境しやすくなると述べた。
両氏は「変革はすでに始まっている」という点で一致している。Browne氏は「ボタン一つでプログラム全体を納品できると言うつもりはない。テスト、チェンジマネジメント、設計決定の複雑さは残る」としつつも、「その世界はもう来ている」と断言した。2027年のECCサポート終了を前に、移行の経済学そのものが書き換えられようとしている。
詳細はAgentic AI Could Rewrite the Economics of SAP Transformationを参照していただきたい。