8月6日、Constraint Labが「AI is a bubble, just like dot-com」と題した記事を公開した。AIバブル論をドットコムバブルと比較しながら、技術の本質的価値をどう見極めるかを論じた内容だ。
「新しいパラダイム」と「昔のKarpathyが懐かしい」
記事の出発点は、Andrej Karpathyのポストだ。KarpathyはOpenAIの創業メンバーであり、TeslaでAI部門を率いた人物として知られる。nanoGPTやllm.cの作者でもあり、LLMの仕組みを端から端まで学ぶための読みやすいコードベースを世に出してきた。
そのKarpathyが、AnthropicがClaudeをSlackに統合したことを受けて「第三のパラダイム」と呼んだ。ウェブサイトでもなく、インストール型アプリでもなく、「組織全体のツールとコンテキストを持ち、人間のチームと並走する自律的・永続的・非同期的なエンティティ」だと。
返ってきたリプライの一つは、「昔のAndrejが懐かしい」だった。
記事の著者はこの対比を「誰も馬鹿ではない。だからこそ理解する価値がある」と整理する。
ドットコムバブルが示す「4つの立ち位置」
2000年3月、NASDAQは5,000を超えてピークをつけた。2002年10月までに**78%**の価値を失った。Pets.comは2月にIPOし、11月には消えた。ソックパペットのマスコットだけが会社より長生きした。空売りは「正解」だった。
同じ年、Amazonも株価の90%超を失った。それでも出荷を続け、10年以内に小売・ニュース・音楽・求人の構造を変えた。Amazonへの投資も「正解」だった。
同じ年。同じ技術。「過大評価の塊」と「すべてを変える」は、両方とも正しかった。
著者はここから「4つの立ち位置」を導く。
- 全空売り:すべてバブルだ
- 全買い:すべてが未来だ
- Pets.com買い・Amazon空売り:二度間違える
- Amazon買い・Pets.com空売り:二度正解する
最初の二つは技術に対する「気分」だ。後の二つは個別ケースへの「判断」だ。「二度正解」と「二度間違い」を分けたのは、理解だけだった。
情報はずっと公開されていた。難しかったのは、何を問うべきかを知ることだ。「インターネットにしかできないことは何か?」——絶版のない書店は「yes」、40ポンドのドッグフードの無料配送は「no」。多くの人は同じ画面を見ながら、その問いを立てなかった。
今、AIに同じ問いを立てる
元記事の著者は、約1年間コードを一行も書いていないと明かす。ClaudeがすべてのコードをWriteし、この記事もそうだという。コードはすべて読んでからリリースしているが、「理解」がかつてとは違う仕事になったと述べる。以前は書くことの副産物として理解が生まれた。今は理解が独立した作業だ。
現場でも同様の分断が起きている。「モデルが書いたコードを一行ずつ読むべきか」「理解していないコードをシップしていいか」「テストが通れば動くと言えるか」「AIレビューはレビューとして数えるか」——チームごとにルールを再設定し続けている。
元記事の著者はひとつの仮説を明示する:「モデルの品質が近い将来に十分高くなって、これらの問いが自動的に解決される」ということにはならない。もしあなたが「1〜2年以内に完璧に近い出力が来る」と確信しているなら、この記事を読む必要はない。そうでなければ、問いは残る。
「AIはバブルだ、ドットコムと同じように」
タイトルはそのまま結論でもあり、問いでもある。驚く側も冷めた側も、唯一合意できる点がある——これは大きい、ということだ。
著者が求めるのは、フィードに割り当てられた「気分」(感動するか、恐れるか)ではなく、自分で問いを立てて検証することだ。その問いとはつまり:「これによって、以前はできなかった何ができるようになったのか?」
ドットコム時代、「インターネットはバブルだ」と言った人も「インターネットはすべてを変える」と言った人も、どちらも間違ってはいなかった。正確には、どちらも半分しか正しくなかった。著者の論点はシンプルだ——AIについても同じ構造が成り立つなら、問うべきは「バブルかどうか」ではなく「どれがAmazonで、どれがPets.comか」だ。その判断は、感情でも直感でもなく、個別ケースへの具体的な問いからしか生まれない。
詳細はAI is a bubble, just like dot-comを参照していただきたい。