8月3日、Matthias Bastianが「Two teams solved the same quantum crypto problem using GPT-5.6 just three hours apart」と題した記事を公開した。2つの研究チームがOpenAIのGPT-5.6を使い、同じ未解決の量子暗号問題をわずか3時間差で独立に解いた——この事実が科学コミュニティに波紋を広げている。「独立した発見」とは何か、先行投稿権や査読基準はこれからどうあるべきか。問いは技術論を超えて、研究という営みの根幹に及ぶ。
3時間差で同じ問題を解いた2チーム
MITの博士課程学生Seyoon Ragavanと、UCサンタバーバラの教授Prabhanjan Ananth・UCLAの教授Amit Sahaiの2チームが、それぞれ独立して同一の量子暗号問題を解いた論文をarXivに投稿した。その投稿時刻の差はわずか3時間だった。
2チームが使ったのは、いずれもOpenAIのGPT-5.6 Sol Ultraだ。GPT-5.6 Sol Ultraは、OpenAIが2025年に公開したGPT-5系列のモデルであり、特に数学・科学的推論タスクにおいて従来モデルを大きく上回る性能を示しているとされる。今回の事例はそのベンチマーク的な意味も持つ。
対象となった問題は「unclonable encryption(複製不可能暗号)」と呼ばれるものだ。これは量子力学の「no-cloning定理」——未知の量子状態を完全にコピーすることは物理的に不可能であるという原理——を暗号技術に応用し、暗号文を物理的に複製不可能にする手法である。攻撃者が暗号文を丸ごとコピーして複数の場所で試行錯誤するような攻撃を原理的に排除できるため、量子暗号の実用化において長年の課題とされてきた。
なぜ長年未解決だったかといえば、「量子状態として安全性を保証しながら、通常の暗号スキームとしての機能性を両立する構成」を数学的に証明することが非常に困難だったからだ。量子情報理論と暗号理論の双方に深い知識を要するうえ、証明の構造が極めて複雑になる。この障壁を、2チームは同じAIモデルを用いてほぼ同時に突破した。
2チームはGPT-5.6という同じツールを使いながらも、アプローチはそれぞれ異なっていた。現在、両チームは論文を統合することを検討中だという。この事例はScientific Americanも報じており、数学・理論系研究への影響という観点でも注目を集めている。
「2ヶ月前とは研究のやり方が全く違う」
この事例が示すのは、AIツールの普及が科学的発見のプロセスそのものを変えつつあるという現実だ。
Ragavanは率直にこう述べている。
「今の自分の研究スタイルは、2ヶ月前とは全く関係がない」
Ananth教授はGPT-5.6を使う姿勢についてこう説明する。
「誰かが未解決問題に言及したら、まずGPTが解けるかどうか試す」
研究者がAIを「最初に当たるオラクル」として使い始めているという変化は、特に数学・理論系の分野で顕著だ。証明の構造を探索する段階でAIが人間の直観を大幅に補完・加速できるとすれば、これまで数年単位を要していた未解決問題の攻略サイクルが根本から変わる可能性がある。
「独立した発見」の意味が揺らぐ——先行投稿権・査読・独自性への影響
この事例が突きつける本質的な問いは、「同一のAIモデルを全員が使える時代に、独立した発見とは何か」という点だ。
科学における先行投稿権(priority)は、arXivへの投稿タイムスタンプがしばしば基準となる。しかし今回のような3時間差の同時解決が常態化するとすれば、タイムスタンプの数時間差に研究者のキャリアを左右する重みを持たせることが合理的かどうか、改めて問われる。
査読の観点でも問題は深刻だ。両チームが同じAIモデルを使い、異なるアプローチで同じ答えに至った場合、それぞれの論文の「独自の貢献」はどこにあると評価されるべきか。AIが生成した証明の骨格をどこまで「著者の知的寄与」と見なすかという判断基準は、現時点では査読者によって大きく異なる可能性が高い。
研究の独自性(originality)という概念そのものも揺らいでいる。2チームは異なるアプローチを取ったとはいえ、同じツールを使いほぼ同時に同じ答えにたどり着いた。AIが「未解決問題を解く方向性を収束させる装置」として機能するとすれば、複数チームが同時到達する事例は今後も繰り返されるだろう。
こうした状況に対し、数学・理論科学のコミュニティがどのような規範を打ち立てるかは、現時点では流動的だ。元記事でも研究者たちの受け止め方の差異が示されており、興奮と戸惑いが入り混じった状況が続いている。
詳細はTwo teams solved the same quantum crypto problem using GPT-5.6 just three hours apartを参照していただきたい。