7月29日、Matthew Greenが「Some notes about Anthropic's new results」と題した記事を公開した。この記事では、AnthropicのAIモデル「Claude Mythos」が生成した2つの暗号解析結果の技術的内容と、その意味合いについて詳しく紹介されている。
Anthropicは2026年7月28日、未公開の上位モデル「Claude Mythos」による暗号解析の成果として、2本の論文を公開した。対象はポスト量子署名方式「HAWK」への攻撃と、減少ラウンドAESへの改良攻撃だ。Johns Hopkins大学でセキュリティと暗号を研究するMatthew Greenが、これら2つの結果を技術的に分解して解説している。
HAWKへの攻撃——実際に動くコードが出た
2つの結果のうち、暗号研究の世界に対して意味を持つのはHAWKへの攻撃だ。
HAWKは「モジュール格子同型問題(module-LIP:Module Lattice Isomorphism Problem)」を安全性の根拠とするポスト量子署名方式の候補で、将来の標準化に向けた評価プロセスがある程度進んでいた。LIPとは、2つの格子が線形変換によって同型かどうかを判定する問題であり、その困難性がHAWKの安全性を支えている。なお、関連するFalcon署名方式は別の困難問題(最短ベクトル問題:SVP)に基づいており、今回の攻撃は移転しない。
攻撃の中身を整理すると:
- 攻撃は指数時間のままで、HAWKを「完全に破った」わけではない。ただし、セキュリティビット数をおおよそ半減させる。
- 対策として鍵サイズを2倍にする選択肢はあるが、HAWKの存在意義は代替手法より効率的である点にある。効率性が失われれば、スキームを採用する根拠も消える。
- 論文には実際に動くコードが含まれており、著者らが提供した弱体化チャレンジインスタンスに対してウォールクロック時間で数時間内に鍵を回復できる。提案パラメータそのままではないが、暗号解析上の弱点は十分に示されている。
Greenが特に注目するのは次の点だ。「新しい数学は何も必要ない」。既知のツールを組み合わせただけで、今まで誰もやらなかっただけだ。Greenがこの点をClaudeに問うと、「本当に興味深い点は、何一つ珍しい材料を使っていないことだ。正直、この分野にとっては少し恥ずかしい」と返ってきたという。
「既存の知識を徹底的に組み合わせる」という作業は、まさにAIが得意とするものだ。
AESへの攻撃——技術的には面白いが実害なし
もう一方の成果は7ラウンドAESへの攻撃改良だ。「AESへの攻撃」と聞くと警戒したくなるが、実態はかなり限定的だ。
フルAESは鍵サイズに応じて10・12・14ラウンドで動作する。7ラウンド版への攻撃自体は2013年の先行研究(1、2)が存在しており、今回の結果は定数倍の改良にとどまる。
定量的に確認しておくと:
- 必要な計算量:2⁸⁹回の暗号演算
- 前提条件:攻撃対象が2¹⁰⁵回の選択平文暗号化を実行していること
どちらも現実的に達成できる数値ではない。さらに、実際に攻撃を「走らせる」ことができないため、高速化の主張は紙上の解析に基づくものであり、実際の実行時改善に直結するかどうかも不明だ。Greenは「小さな知識の増分であり、HAWKのような実用的な新攻撃ではない」と評価している。
「どうやって出したか」が衝撃的
AnthropicがどうやってこれらをClaudeに生成させたかについて、Anthropicのブログ記事が詳細を公開している。Greenいわく「正直少し恥ずかしい内容」だ。大規模な専門家チームが精緻なプロンプトを設計したわけではない。以下は実際に使われたプロンプトの例だ。
Greenが記事中で紹介しているこの画像は、Anthropicのブログが公開したプロンプトのスクリーンショットだ。タイトルで「やってみろ」と表現したのは、その内容を踏まえたGreen自身の要約によるものであり、厳密な引用ではない点は留意されたい。要するに、大仰な設計なしに「取り組んでみよ」と指示したら、実際に結果が出た、ということだ。
検証がボトルネックになる
Greenが現在の最大の課題として指摘するのが「検証」だ。モデルが新しい結果を出力したとしても、それが正しいとは限らない。むしろモデルは、正しく見えるが誤った結果を生成することに長けている。
HAWKのように実際にコードが走る攻撃は検証が容易だ。コードを渡せば誰でも確認できる。一方、AESのような「改良速度の主張」は検証が難しい。
形式検証ツールのLeanによるプルーフが有効な場合もあるが、Leanはあくまで「与えられた定理の記述が論理的に無矛盾であること」を検証するに過ぎない。定理の記述自体が現実の問題を正しく捉えているかどうか、つまり「何を証明したかったのか」と「何を証明したか」のギャップは、結局のところ人間の専門家が確認する必要がある。さらにGreenは、AIが生成した証明のステップが人間の直感と大きく異なる場合、その妥当性を判断できる専門家の数自体が限られるという点も懸念として挙げている。
Greenは「モデルが役立つ段階から突然何も分からなくなる地点がある。今はまだ人間がその境界線を見つけられる。ただし、その境界線は動いている」と表現している。
公開鍵暗号への長期的影響
現在、業界はECDSAやRSAといった従来の公開鍵アルゴリズムから、格子問題や符号理論に基づくポスト量子アルゴリズムへの移行を進めている最中だ。HAWKもその候補の一つだった。
Greenは「今がまさに最良のタイミング」と評価している。大規模な暗号解析能力がポスト量子移行と同時に登場したことで、移行先アルゴリズムの弱点が標準化前に発見される可能性が高まるからだ。ただし、コード理論や格子ベース暗号のような新領域は、従来の公開鍵暗号と比べてまだ解析が薄く、AIが進展を出せる余地が残っている点には注意が必要だ。
一方、AESのような対称暗号については、Greenの記事中でその設計の堅牢さを表す比喩として「クイックサンドに埋めたトラクターをさらにセメントで固めた農場」という表現が登場する。これはGreenがClaudeに対称暗号の難しさを説明させた際に返ってきた言葉であり、意図的に複雑に設計された構造には、知性を単純に追加しても突破できないという性質があることを指している。
詳細はSome notes about Anthropic's new resultsを参照していただきたい。
