7月15日、Alex Turntroutが「Why I Left Google DeepMind」と題した記事を公開した。Google DeepMindのAI安全性研究者として在籍していた著者が、同社の軍・移民執行機関向けAI契約に反対して社内活動を展開し、最終的に退職するまでの詳細な経緯を記録したものだ。
この記事が注目を集めているのは、その行動の具体性にある。Turntroutは上位マネジメントへのDMやロビー活動にとどまらず、法律専門家と協力して25ページの対案提案書まで作成した。著名なAI倫理研究者やGoogleの幹部に直接働きかけたが、ほぼ全員が実質的な行動を取らなかった——その一部始終を実名で記している。
退職の引き金:DHSへのクラウドサービス提供
2026年1月、米国土安全保障省(DHS)の捜査官が少なくとも2名の市民を路上で射殺した。この事件をきっかけに、TurntroutはGoogleがDHS傘下の移民・税関執行局(ICE)などにクラウドサービスを提供していることを知り、内部から変えようと動き始める。
さらに問題は広がった。米国防総省(ペンタゴン)がAI企業に対し、殺傷ロボットや大規模監視への利用制限を設けない軍事AI契約への署名を求め始めたのだ。Turntroutが特に守ろうとしたのは、Google DeepMindがすでに掲げていた「自律型致死兵器システムを支援しない」という公約だった。この種の公約は、2018年にFuture of Life Instituteが主導した自律型致死兵器への反対誓約(Lethal Autonomous Weapons Pledge)として業界に広まったもので、多くのAI研究者・企業が署名していた。
ペティションは意味がない——ならば「1人」を動かす
Turntroutはペティション(署名活動)を選ばなかった。GoogleはすでにICE・CBP関連の大規模署名(約1000人)を無視していた実績があったからだ。彼の考えはシンプルだった。
AI業界ではタレントは上位集中型で、チームは少数の代替困難な人材によって動いている。100人のエンジニアを動員する必要はない。10人でいい、いや、もしかしたら1人で足りる。
その「1人」として浮かんだのがJeff Deanだった。Googleの30番目の社員にして最高科学責任者(Chief Scientist)、Geminiプロジェクトの共同リード。2018年には自律型致死兵器の開発・使用を支援しない誓約に署名しており、ICEへの批判的な発言も繰り返していた人物だ。「Jeff Deanが辞めれば、Googleには大打撃」というのが社内での共通認識だったという。
DMで直接接触に成功したTurntroutに、Jeff Deanは「Sundar Pichai(Google CEO)、Demis Hassabis(Google DeepMind CEO)、Thomas Kurian(Google Cloud CEO)にメールしろ」と助言した。
AI倫理の著名人たちが実質的に沈黙した
Turntroutは複数の著名人にも働きかけた。なかでも象徴的なのがStuart Russellとの一件だ。
Russellは自律型兵器に反対するキャンペーンを10年以上続けてきたAI研究者で、カリフォルニア大学バークレー校教授、AI教科書『Artificial Intelligence: A Modern Approach』の共著者としても知られる。彼は国際的なAI倫理イベントのステージ上で、AI企業への政府圧力に反対する声明を出すと約束し、会員向けアンケートも実施すると言った。しかし声明もアンケートも実現しなかった。
Jeff Deanについては、一定の成果はあった。ペンタゴンがAnthropicに対して軍事AI契約への参加を迫ったとされる件において、Deanはアミカス・ブリーフ(法廷意見書:訴訟当事者以外が裁判所に提出できる専門的意見書)に署名するという公的な行動を取った。しかしTurntroutが最も求めていた「GoogleをペンタゴンとのAI契約に署名させない」という核心部分では、Deanが実際に動いたとは言えない、と記事は述べている。
25ページの提案書と、CEOへのDM
Turntroutはさらに行動をエスカレートさせた。軍事・監視法の専門家の協力を得て、契約文言と監視メカニズムを含む25ページの対案提案書を作成。Googleが原則に基づいて政府側に提示できる具体的な代替案として設計されたもので、専門家からは高く評価されたという。
Demis Hassabisに送ると、上級ポリシースタッフに転送された。しかし提案書は放置され、Googleは最終的に契約に署名した。その間、TurntroutはSundar Pichaiにもダイレクトメッセージを送るという手段にも出た。返答はなかった。
Googleは署名した。Demisは「原則は変わっていない」と言った
Googleが署名した軍事AI契約は、殺傷ロボットや大規模AI監視への利用制限を含まないものだった。Fortuneの報道によれば、Googleの契約制限はOpenAIのそれよりも緩かったとされている。
Demis HassabisはGDM社員向けに「GoogleのAI原則は変わっていない」と発言。「西側民主主義国と協力して中国に勝つ」ためにトランプ政権の全要求に応じる必要はない、とも述べたという。
Turntroutはこの状況を「世界を変えうる技術を、個人の信頼に基づいて構築している」と批判的に総括し、退職を決断した。
記録として書かれた退職エントリ
Turntroutの結論は明快だ。
良心に従えば、Googleに留まることはできなかった。
なお、この記事はTurntrout本人の視点から書かれたものであり、登場する人物や組織の側の見解は反映されていない点は留意が必要だ。
AI安全性研究者が倫理的懸念を理由に大手AI企業を去るケースは近年増えており、OpenAIでも2023〜2024年にかけて複数の著名研究者が同様の理由で退職している。個人の行動記録として書かれたこの文書は、AI企業のガバナンスと軍事契約の関係が各社で問われている現在、業界全体への一次資料として読める。
詳細はWhy I Left Google DeepMindを参照していただきたい。