7月3日、The Next Webが「ElevenLabs in talks for tender offer at $22bn valuation, doubling February mark」と題した記事を公開した。音声AI企業ElevenLabsが約220億ドルの評価額でテンダーオファー(従業員株式売却)交渉を進めており、5ヶ月前の評価額を2倍に更新しようとしているという内容だ。注目すべきは、2025年1月時点の33億ドルから、わずか18ヶ月で約7倍に達しようとしている点である。
わずか18ヶ月で評価額が約7倍に
ElevenLabsの評価額の推移が異常なペースで進んでいる。
- 2025年1月:Series Cで評価額33億ドル
- 2025年9月:初の従業員テンダーオファーで66億ドル(Series Cの2倍超)
- 2026年2月:Sequoia主導のSeries D(5億ドル調達)で110億ドル
- 2026年9月ごろ:今回のテンダーオファーで約220億ドル(Series Dの2倍)を目指す
つまり、33億ドルから220億ドルへの到達が約18ヶ月という計算になる。AI業界全体が高騰している中でも、このペースは突出している。
なお、タイトルおよび冒頭で言及した「約3.2兆円」という円換算は、2026年7月4日時点の為替レート(1ドル=約145円)をもとに編集部が算出したものである。元記事に円換算の記載はなく、為替変動によって実際の数字は変わる点に注意されたい。また、「2026年9月ごろ」というタイムラインは元記事における見込みの言及であり、確定したスケジュールではない。
2月のSeries DにはBlackRock、Nvidia、a16z、Iconiq Growthが参加しており、同ラウンドのクローズ時点で2025年の年間経常収益(ARR)は約3億3000万ドルだったとTechCrunchは報じている。CEOのMati Staniszewski氏によれば、ARRが2億ドルから3億ドルに達するまでわずか5ヶ月だったという。
テンダーオファーを選ぶ理由
今回の評価額更新が「新規資金調達ラウンド」ではなく「テンダーオファー」であることには、明確な理由がある。
テンダーオファーは既存株主(主に従業員)が持つ株式を外部投資家に売却する仕組みで、会社の貸借対照表に新たな資本を積み上げるわけではない。メリットは以下の通りだ:
- 既存株主の希薄化なし:新株を発行しないため、既存投資家の持分比率が下がらない
- 開示義務が軽い:一次ラウンドのような詳細な財務開示が不要
- 従業員の流動性確保と人材引き止め:後述するが、これが今回の文脈では特に重要な要素となっている
人材引き止め策としての側面
「人材流出も防ぐ」という点については、テンダーオファーの構造そのものが引き止めのメカニズムとして機能している点を押さえる必要がある。AI人材は数週間で競合他社に移れる市場環境の中、従業員にとって「株式を現金化できる機会」は報酬パッケージの実質的な価値を高める。上場前の企業では株式の流動性が乏しいため、テンダーオファーがなければ従業員は評価額の上昇を数字の上でしか享受できない。今回のように高い評価額でのテンダーオファーを定期的に実施することは、金銭的なインセンティブを維持しながらIPOまでの期間をつなぐ手段として機能する。元記事もこの点をElevenLabsがテンダーオファーを選ぶ理由の一つとして明示している。
ただし、この仕組みには情報の非対称性という問題もある。220億ドルという数字は、一次ラウンドほどの精査を経ずに独り歩きする。元記事でも、どの投資家が買い手になるか、従業員がどこまで売却できるか、この評価額を支える具体的な収益根拠は何かについては明らかにされていない。元記事はThe Next Webによる報道であり、元記事内で他メディアの報道を引用している部分については、元記事の記述に基づいて紹介している。
競合状況と政府との関係
音声AI市場では資金と競争が同時に激化しており、ElevenLabsの動向を読む上でこの文脈は欠かせない。
競合のDeepgramは2026年1月に13億ドル評価額で1億3000万ドルを調達しており、音声AI領域への資金流入は同社に限った話ではない。GoogleはElevenLabsとのクラウドパートナーシップを拡大する一方で、他の音声AIスタートアップからの人材獲得も進めている。つまりElevenLabsは、巨大テック企業と提携しながらも、同時にその企業と人材獲得競争を繰り広げるという二重の関係にある。
こうした競争環境の中で、ElevenLabsは民間投資家だけでなく政府セクターとの関係構築にも力を入れている。これはビジネスの安定性と信頼性の担保という点で、評価額を支える材料の一つと見ることができる。英国政府との公共サービスアクセシビリティおよびAI安全研究に関するMOU(覚書)締結は、規制当局との関係を先手で構築する動きとして注目される。先月にはポーランドの国家投資ファンドが1100万ドルの出資を行っており、欧州の公的セクターからの関与が広がっていることも見て取れる。
IPOへの道筋
Staniszewski氏は2026年3月、2〜3年以内のIPO準備を目指すと述べている。今回の220億ドルという評価額が確定すれば、そのプレッシャーはさらに高まる。
ElevenLabsは2022年にPiotr DabkowskiとMati Staniszewskiが設立。テキスト読み上げ、音声クローン、吹き替え、オーディオブック、会話AIエージェント向けのツールを手掛けるロンドン拠点の企業だ。
今回の交渉はまだ初期段階であり、条件は変更される可能性がある。買い手となる投資家の名前と条件が固まるかどうかが、次の焦点となる。
詳細はElevenLabs in talks for tender offer at $22bn valuation, doubling February markを参照していただきたい。