大学卒業後、物販事業(中古カメラ・レンズのネット販売)で個人事業主として独立。年商4,000万〜6,000万円を一人で回しながら、扱う商材に特化したフリマアプリを独学で開発した──それが、エンジニアという仕事への入り口だった。以後はiOSエンジニアとしてフリーランスで活動し、大手銀行や大手航空会社の大規模アプリ開発に参画してきた、Nさん(37)。
そんなNさんが2026年、フリーランスから正社員への転換を決めた。子どもの誕生、大阪へのUターン、そしてAIによる開発現場の急変。"作る" も "売る" も自分の手で経験してきたエンジニアが、なぜいま「正社員」を選んだのか。フリーランスを続ける魅力と限界、AI時代に求められる力、そして同じ道を歩むエンジニアへの本音を、じっくり伺った。
物販からエンジニアへ。「作りたいもの」が独学の入り口だった
Q. もともとエンジニア志望だったわけではないと伺いました。
そうですね。大学を出てからは、ずっと物販をやっていました。きっかけは、当時ネットで調べると "せどり" のようなことができると流行っていたことでして。最初はお小遣い稼ぎのつもりで始めたのですが、やってみると、一人で食べていく分にはなんとかなるな、という手応えがあり、そのまま続けることにしました。
扱っていたのは主に中古のカメラやレンズで、ドイツ製の舶来ものから国産まで、メーカーを問わず幅広く扱っていました。年商で4,000万〜6,000万円ほどを、仕入れから販売、顧客対応、発送、資金繰りまで、すべて一人で行っていました。
Q. そこから、どのようにエンジニアに?
扱っている商材に特化したフリマアプリを、自分で作ってみたいと思ったんです。それで独学でプログラミングを勉強し、実際にアプリを作ってみました。これが思いのほか面白くて。
そのアプリをポートフォリオ代わりにしたところ、エンジニアのお仕事をいただけるようになり、業務委託として働き始めました。フリマアプリはiOSをSwift、AndroidをKotlinで、決済はStripe、DBはFirebaseで実装し、要件定義からストアリリースまで一通り一人で行いました。物販で "売る" 側は経験してきましたので、今度は "作る" 側を覚えた、という感覚でしたね。

「流れで」始まったフリーランス。単価と、やりたい領域に集中できる魅力
Q. 最初から正社員ではなく、フリーランス(業務委託)を選ばれたのはなぜですか?
実は、強い意志で選んだというより、流れでそうなった、というのが正直なところです。
最初に入った現場が、試用期間が業務委託のような形のところでして。創業1年未満の若い会社で、私のほかにも未経験から業務委託で入ったメンバーが2人ほどおりました。そこで正社員登用の話が社内でなくなってしまって。エージェントに相談したところ、すっと次の現場が決まったんです。しかも単価がぐっと上がりました。それで、そのまま業務委託を続けることになりました。
社員になりたくなかったわけではなく、本当に流れですね。もともと物販で個人事業主をしておりましたので、フリーランスという働き方そのものには、ハードルがありませんでした。
Q. フリーランスとして働く中で感じた、良さと課題は?
良さは、まず単価です。報酬はとても良かったですし、実装がメインで役割分担がはっきりしているので、自分がやりたい領域──プログラミングのスキルを伸ばすこと──に集中できる。これは大きな魅力でした。
一方で課題は、プロジェクト全体に関わるのが難しいことです。上流に寄っていくと、今度はコードを書く時間が減り、資料作成に追われる面もある。それはそれで、長くエンジニアを続けるには重要なスキルなのですが、業務委託ですと、その "幅" を持ちにくいんです。2、3年目くらいで、実装はできるけれど、バックエンドや上流工程の知識が乏しい。プロジェクトを幅広く理解する経験ができていないな、と。それが、少しずつ不安になっていきました。
Q. フリーランス期は、大規模なアプリ開発にも数多く参画されていますね。
そうですね。大手銀行のアプリでは、TCA(The Composable Architecture)を使ったプロジェクトに40名規模で入り、詳細設計や単体テスト、サブリーダー的にチケットを発行してメンバーにタスクを割り振ることもしておりました。
大手航空会社のアプリでは、地図上に提携店のピンを立て、近づいたら通知を出す機能を、調査から実装まで担当しました。Geofenceだけですとアプリ終了時に動かないので、Significant-Change Location Serviceと組み合わせ、アプリがどの状態でも位置情報を取れるようにしたんです。あれが一番苦労して、一番やりがいのあった仕事でしたね。実装力という意味では、かなり鍛えられたと思います。
子供の誕生、大阪へのUターン。「社員で、安定したい」と思った日
Q. 昨年の終わり頃から、転職を本格的に考え始めたそうですね。きっかけは?
大きいのは、プライベートで子どもが生まれたことです。それと、東京におりましたのを、大阪に戻ることにした。ここが結構効いていまして。
モバイルの案件は、東京が圧倒的に多いんです。それに、フルリモートの会社が今どんどん減っている。週1出社のハイブリッドは多いのですが、完全なフルリモートとなると、選択肢が限られてきます。大阪にいると案件数も減りますし、単価も東京の方が高い。そう考えたときに、社員になって安定したいな、と思ったんです。
Q. 転職に踏み出すこと自体への、心理的なハードルは?
それは、特にありませんでした。「一度やってみようか」くらいの感覚でした。妻には話しましたが、誰かに相談して決めた、という感じでもなくて。とりあえずエージェントに登録して、始めてみました。
37歳の壁。「実装はできる」では、もう評価されなかった

Q. 実際に活動してみて、気づいたことは?
正社員の選考ですと、もちろん「何ができるか」=スキルシートの中身が一番大事なのですが、それに加えて、上流工程やマネジメント、設計の領域がかなり問われる、ということが分かりました。私はそこがほぼ未経験の状態でしたので、結構苦労しました。任される領域が、業務委託と正社員ではやはり変わってくるんですよね。
あと、これは年齢も大きいと思います。私はいま37で、もしこれが27でしたら、おそらく話は全然違うんです。「実装だけでもいい」という形で採っていただける。ですが、この年齢になりますと、マネジメントの経験がないと、結構厳しく見られるのだな、と実感しました。
Q. 年収面では、どのような着地に?
正直に申し上げると、下がりました。業務委託のときは月70万円ほどいただいていて、今回のオファーは年収450万円。福利厚生や社会保険を考慮しても、トータルでは下がっています。
ただ、これは元々分かっていたことですので。メンバー採用、つまりPL/PMより下の枠で入りますので、この金額なんです。もしマネジメント経験があれば、いきなりリードはできなくても "リード枠" のような形で入れて、給与もまた変わってくる。正社員は、評価制度のテーブルそのものが違うのだな、と。妥協というより、納得して選んだ部分です。
上流・設計に、確実に関われる環境を。転職の軸と、新天地を選んだ理由
Q. 転職活動で、大切にされていた軸は?
今回いちばん大事にしたのは、"上流や設計に、確実に関われる環境かどうか" でした。業務委託のときは、上流に携われるかどうかが現場ごとに変わってしまい、自分の意思だけではコントロールしきれませんでした。今回の転職では、そこを解決したかったんです。ですから、上流やマネジメント領域にしっかり関われる、受託の内製や自社開発の会社に絞って探しておりました。
Q. 最終的に、いまの大手IT企業に決められた理由は?
案件が多い会社ですので、自分のやりたいことがやれそうだ、という感触があったのが一つ。それと、働き方ですね。リモートで、子どもが小さいうちはありがたい。条件が良かったので、あまり悩まずに、わりとすぐ承諾いたしました。
大手なので働き方は硬いのかな、と思っていたのですが、最初の1週間ほどは出社で、あとは基本リモートだそうで。意外と柔軟だな、と。入社は7月からです。
AIが書く時代。「実装だけだと、厳しい」
Q. AIの登場で、エンジニアに求められるものは変わってきていると感じますか?
とても感じます。実は、AIを使って開発する現場にあたったのが、今の現場と、一つ前の最後の方だけなんです。一度しっかり触ってみて、「これはすごいな」と思ったのと同時に、「実装だけだと、厳しいな」と思いました。
今振り返りますと、これも正社員に転職した理由の一つだったな、と。"危機感" というと大げさかもしれませんが、確かにありました。
Q. 現場で、人の数が変わってきている実感は?
ありますね。今の現場は、モバイルは私一人で、実装者もほぼ私一人でやっているような状態なんです。これは、ClaudeやChatGPTが出る前でしたら、一人では絶対に無理でした。今はバックエンド側も少し見て一緒に開発しておりますので、以前なら3、4人は必要だった規模だと思います。
採用人数も、現場の感覚としては減っていると感じます。もちろん、腕のある、いろいろできる方は引っ張りだこですが。
Q. その変化は、フリーランスという働き方にも影響しそうですか?
そう思います。今はまだ「実装だけできれば仕事がもらえる」フェーズが残っていますが、これがどんどん変わっていく。コードはAIが書いてくれますので、設計書を作るといったことができないと、業務委託でも案件が決まりづらくなる未来があるのではないかと。
これは、実装が中心の働き方であれば、雇用形態を問わず起きていくことだと思います。ここに脅威を感じて、社員という選択肢を考える人は、これから増えていくのだろうな、と思います。
業務委託と正社員、そしてフリーランスを続けるべき人
Q. 振り返って、「もっとこうしておけば」と思うことは?
機会があれば、上流やマネジメントを、業務委託のうちからもっと早く取りにいけばよかったな、と思います。「上流をやらせてください」と自分から働きかけると、社員の方は皆さんお忙しいので、意外と通るんですよ。今の現場でも、たまたまですが要件定義のようなことをやらせていただいていて。「意外とやらせてくれるのだ」と分かりました。これを、もっと早く発信していれば、と思いますね。
Q. では、フリーランスを続けるのが向いているのは、どのような人でしょう?
スキルのある方ですね。上流から実装まで満遍なくできる方なら、引く手あまただと思いますし、ずっとやっていけると思います。
ただ、先ほどのAIの話とも重なりますが、"実装だけ" の方は、これから厳しくなっていく可能性が高い。ですから、もし社員も考えているなら、できるだけ早い方がいいと思います。年齢を重ねるほど採用基準は厳しくなりますし、マネジメント領域は、30代になるとかなり求められる。今の現場や業務委託でそれができているなら、まったく問題ありません。ですが、できていないなら、一度社員になってそこを強化する。自分のスキルセットの一つとして取り入れて、その後は業務委託に戻るも、社員を続けるも自由。そういう順番もありなのではないかな、と思います。
最後に ── 同じ道を歩むエンジニアへ
Q. 同じようにキャリアで悩むエンジニアへ、メッセージをお願いします。
働き方に、唯一の正解はないと思っています。技術を突き詰めたい人もいれば、事業や組織に関わりたい人もいる。大事なのは、「自分がどうなりたいか」だと思うんです。
私の場合は、実装だけを続けることへの不安と、AIで現場が変わっていく実感、それに家族のことが重なって、「一度、社員として上流やマネジメントを経験しておきたい」という答えになりました。
物販から始まり、独学でアプリを作り、フリーランスを経て──遠回りに見えるかもしれませんが、"作る" も "売る" も自分の手でやってきた経験は、どこへ行っても無駄にならないと思っています。もし少しでも迷っているなら、まずは「一度やってみる」。それくらいの感覚で動いてみるのが、案外いいのかもしれません。