本連載は、「 エキスパートへの道しるべ(Load to Expert) 」をテーマとして、初級者がエキスパートになるためのヒントを、日本を代表するエキスパートの方々に伺う企画です。
アジャイル開発は、ソフトウェア開発の枠を超え、事業開発や組織運営にまで広がりを見せる考え方として注目されています。アジャイル開発のエキスパートであり、株式会社レッドジャーニーの代表を務める市谷聡啓氏に、アジャイルの本質や魅力、初学者への学習アドバイスについて伺いました。

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アジャイルの概要と魅力について
――まずは、市谷さんのプロフィールについて簡単に教えていただけますでしょうか。
市谷: はい、アジャイルの実践と、その啓蒙活動が私の主な仕事であり、活動です。
具体的には、アジャイルの導入に関心を持っておられる企業に向けた支援等を行っております。役割としては、アジャイルのコーチングやコンサルティングですね。
そういったことが可能なのも、それまでアジャイル開発者として、アジャイルを適用したプロダクト作りとか事業作りとかに長年携わった経験があるおかげです。現在は、株式会社レッドジャーニーで代表も務めております。
――市谷さんが考える、アジャイルの魅力について教えて下さい。
市谷: 一番の魅力は、 アジャイルは実践知である ということです。アジャイルは、もともと「ソフトウェア開発をより良くする」という理念のもと、生み出されました。なので、ソフトウェア開発の現場で試され、使われ、磨かれ、…という流れを経て体系化された知識であり、とにかく実践に重きをおいている。
そうした利点が認められた結果、近年では適用範囲が広がっていまして、事業開発や事業づくりなどにもアジャイルの考え方を適用して、推進していくような流れも起きています。また、組織運営などにも取り入れられ、アジャイル的な組織を目指すというような広がりが出てきています。 そうして適用範囲の広さ、可能性の大きさも、アジャイルの大きな魅力と言えると思います。
――アジャイルはなぜ、そこまで適用範囲が広いのでしょう?
アジャイルでは「 探索と適応 」という言葉をよく使います。「未知の分野を探りながら、どんどん学んでどんどん改善していく」というフローを表しているのですが、このフローはどこにでも適用できるからだと思います。
また、このアジャイルのフローに基づいて、チームで取り組んでいくと、今まで分かっていなかったことや見えていなかったことをどんどん発見できます。その中で「こういう人たちにこんな価値を提供できるのではないか」といった 価値発見に繋がる のも非常に面白いところです。
仕事の効率化だけでなく、 「価値とは何か」を問い、価値を探し当てて実現していくというところに用いることができる 点が、アジャイルの可能性を広げている大きな要因だと思います。
アジャイルと従来の開発の違い
―― 実際のアジャイル開発について教えて下さい。
市谷: 従来は、ソフトウェア開発は「ウォーターフォール」と呼ばれる手法で開発されていました。要件定義、基本設計、詳細設計、開発、テスト…と言った様々なフェーズを、水が上から下に落ちるように進めていって、後戻りすることがない。
考え方としてわかりやすくはあるのですが、このやり方だと、すべてを先に見通しておかなければいけないんですよね。最初に立てた仮説が間違っていたとしても、修正が効かないわけです。なので、 ウォーターフォール型の開発モデルは、「あらかじめ課題と解決策が分かっている領域」にしか適用できません。
一方アジャイルの基本は、スプリントやイテレーションと言われる「繰り返し」です。完全でなくてもいいので、顧客にとにかく製品を届けて、学んだことを製品にフィードバックしていく…というアプローチです。
なのでアジャイルの考えややり方は、そういった『ウォーターフォールでは当てはまらない領域』に適用可能なんです。あらかじめ分かっていることをただ形にしていくということよりも、 何か発見してそれを試してみるとか、形にしてみるとか、そういったところにより向いているやり方 かな、というふうに思っています。

アジャイル開発の学び方
―― アジャイルを学ぶにはどうしたらいいでしょうか?
市谷: 私は まずは何かものを作る っていうのをやった方がいいかなと思っています。アジャイルやスクラムについて書かれた本を読むとか、誰かのお話を聞くとかでももちろんいいんですが、まずはやっぱり、そのアジャイルな動きを自分で体感していくことが重要だと思います。
アジャイルはもともとソフトウェア開発から始まっているので、やっぱり「ソフトウェアを作る」のが一番自然です。更にソフトウェアの中でも、自分の関心のあるものをまず自分で小さく作ってみるということをやるのがいいのではないかと。最近の生成AIの環境によって、非常に制作のハードルが下がっているので、まずは作ってみて、フィードバックを得て、改善して…という、アジャイル的なアプローチを自分で試してみるのが一番いいんじゃないかと思います。
――一人で開発してみる、ということでもアジャイルは学べるのでしょうか?
市谷: そうですね、 チームでやってみるのがベストだとは思いますが、それだと学び始めるまでのハードルが高くなってしまいますし、まずは自分一人でいきなり作り始めてみる、みたいなことをオススメしたい なと思っています。
ただ途中で、『これで合ってるんだろうか』みたいな瞬間は出てきてしまうと思うんですよ。例えば、イテレーションを回すというのはこういうことでいいんだろうかとか、プランニングとはこういう活動でいいんだろうか、とか。
そこは経験者の助言とかがあるといいですよね。そこで初めて、コミュニティに入ってみたり、本を読んでみたりしてもいいのかなとは思います。ただ今は生成AIに聞けば大抵のことは答えが返ってきますので、やはり実践してみるのが一番オススメですね。
アジャイル開発の成功と失敗の事例
――市谷さんがエキスパートになるまでに、色々なアジャイル開発の経験を積まれてきたと思うんですが、その中で成功した事例や失敗した事例などのエピソードがあれば教えて下さい。
市谷: まず成功事例で言えば、受託開発の経験から印象的だったのは、クライアントが最初に求めていたものとは異なる、 より本質的な価値を一緒に発見できた ケースです。当初の要望を超えて、「これこそが本当に必要なものだった」とクライアントに喜んでいただけた瞬間は、アジャイル開発の真価を感じた瞬間でした。
一方で、失敗事例も数多くあります。アジャイルに対する誤解や過剰な期待がよせられがちなことがありまして、 例えば「アジャイルなら超早く」「超安く」「超高性能なものができる」と思い込まれている ような場合です。開発を進めていきながらその乖離を埋められたらいいのですが、そこがうまく行かないと、「思っていたのと全然違う」みたいな結果になってしまう。
アジャイルの本質は、実は「早く試せる」ということにあると思っています。1週間で小さなアウトプットを出し、チーム内で検証し、さらにユーザーに試してもらう。早く間違いに気づき、軌道修正できる。これが最大の利点なんです。
それが 結果的に、大きな手戻りのコストを抑えながら、適切な成果物に近づけるというのが、アジャイル開発の真の価値だと考えています。
アジャイル開発に関する情報収集
――アジャイルに興味がある人たちに向けて、オススメの情報収集の仕方を教えて下さい。
市谷: そうですね、アジャイルの情報収集は正直あんまりやっていないです。Xで流れてくるイベントやカンファレンスで紹介された、良さそうなスライドに目を通していくみたいなことはやっています。ただ、どちらかというと自分の学びというより、みんなが何に反応してるんだろう?と見ているような感じなので、少し趣旨が異なるかもしれませんね。
現在注目しているトピック
――(アジャイルに限らず)市谷さんが、今現在注目しているトピックを教えていただけますか?
市谷: やはり生成AIです。ベタですけど、生成AIをアジャイルの文脈と絡めたら何が言えるのか、プロダクト作りで考えたら何ができるのか、といったようなことは結構注目してますね。
現在のものづくりは急速に変化しており、特に生成AIの登場によって、 この1年で前提条件が大きく変わってきています。 そういう前提が変わる中で、アジャイルが果たす役割とか、価値も変化してきていますが、そういうところに自分なりの仮説を持っておきたいな、と感じています。
――今お持ちの仮説とかありますか?
市谷: そうですね。さっき出たように、アジャイルは、チームで仕事するという文脈が強いです。そういう中で、開発やプログラム自体も、生成AIに任せようっていう人たちが集まったチームでは、一体何が議論されるべきか、どんなことをすれば、より効率よく効果的なプロダクトが作れるのかっていうのは、今後のテーマだと思うんですね。
これまでのアジャイルのプラクティス、例えば1週間のスプリントや詳細なバックログ管理が本当に有効なのか。「パッと作ってダメだったらすぐ再チャレンジする」といったアプローチが主流になった場合、そもそもプランニングで何を話すべきなのか。結構いろんなものを再定義しなきゃいけないかもしれないなっていう感じがしています。
結局のところ、生成AIの時代において、 アジャイル開発の仕組みや、そもそもの開発プランの中身を根本から再定義する必要がある というのが、現在の私の仮説です。テクノロジーの進化に合わせて、私たちの働き方や価値創造のプロセスも柔軟に変化させていく必要があるのです。
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初学者へのメッセージ
――では最後に、初学者へのメッセージをいただけますでしょうか。
市谷: そうですね、最後に述べたように、今は結構いろんな考え方やり方の再定義みたいなものが行われているタイミングだと思っています。その問いかけや、再定義が起こることは良いことだと思っていて、そういう意味では初学者の方の状況は、ある意味で、自分の状況とも近しいところがあるかもしれないですね。 一緒になってその新しい状況の中で、より良い開発のものづくりとか、仕事の進め方ってなんだろうなということを、探索していける時代なんじゃないかなと思っています。
そういう意味では初学者の方とも一緒になって、探し求めていけるといいですね。
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