本企画は、「 最先端のIT技術について、未踏事業のプロジェクトマネージャーに直接伺ってみる 」というWIREDとの共同企画です。
本記事はエンジニア向けに、多少の専門用語を交えつつ、リザバーコンピューティング技術の「中身」についても伺った記事となります。リザバーコンピューティングに関する一般的な概要については、WIREDの記事を参照してください)
未踏事業とは
未踏事業は独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が実施する、突出したIT人材の発掘・育成事業です。未踏事業には次の3種類があります。
- 未踏IT人材発掘・育成事業(25歳未満対象)
- 未踏アドバンスト事業(ビジネスや社会課題の解決につなげたい方対象)
- 未踏ターゲット事業(次世代IT(量子コンピューティング、リザバーコンピューティング)を活用したい方が対象)
未踏事業に採択されると、各分野の第一人者であるプロジェクトマネージャーの伴走支援や、プロジェクト推進費用の支援を受けられます。未踏修了生や関係者が形成する未踏コミュニティとのつながりを得られ、知的財産権が採択者に帰属するため期間中の成果を活用できるなどのメリットもあります。
未踏事業Webサイト:https://www.ipa.go.jp/jinzai/mitou/koubo/
リザバーコンピューティングとは
– リザバーコンピューティングというのは、簡単に言うとどんな技術なんでしょうか?
香取: リザバーコンピューティングとは、2000年代初頭に登場した機械学習技術の一つです。 初めはニューラルネットワークの枠組みとして研究されていましたが、現在ではニューラルネットワークの枠にとらわれず、様々な物理実装の研究が試みられています。
ニューラルネットワークというのは、日本語でいうと神経回路網ですが、生物が持っている脳の働きを数学的に抽象化して、機械学習に利用しようとするアプローチです。
リザバーコンピューティングは、 従来のニューラルネットワークに比べて学習がとにかく速い、学習コストが非常に低いというのが特徴です。
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香取 勇一(かとり ゆういち)
公立はこだて未来大学 システム情報科学部 複雑系知能学科 教授
■プロフィール
東京大学修士課程では物理学(素粒子物理)を専攻し、博士課程から脳の数理モデルの研究に転向。 博士(科学)。 東京大学生産技術研究所研究員・特任助教などを経て、2015年4月より現職。 東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(IRCN)連携研究員、 東京大学生産技術研究所リサーチフェロー、 株式会社QuantumCoreリサーチアドバイザーを兼務。
– どうして速いのですか?
香取: 従来のニューラルネットワークは、隅々まで学習しないといけません。
パラメータを変えて出力し、ニューラルネットワーク上の重みを調整する…という処理を、期待する結果に沿うように何度も何度も繰り返す必要があり、学習に大きなコストが掛かります。
一方リザバーコンピューティングの場合は、重みを覚えるのは変わらないのですが、 実際の学習自体は出力側で行います。
– 具体的にはどういうことでしょう?
香取: リザバーコンピューティングでは、最初は重みをランダムに決定します。
その後データを入力して、リザバーと呼ばれるネットワークから、出力層への結合部分の重みのみを学習します。従来のニューラルネットワークであれば、この重みを何度も調整するわけですが、リザバーコンピューティングでは一度の学習で済みます。
そこから出力される値が期待通りになるように、 結果を読み出す部分だけ、簡単なアルゴリズム(線形回帰)で学習する のです。
– なるほど、ニューラルネットワークと、期待する出力の間を繋ぐ部分だけ学習させるわけですね。
香取: はい。ただし「 物凄く速いけど、使うときに多少のコツがいる 」というのがリザバーコンピューティングです。リザバー自体はランダム結合で良いのですが、非線形性を持つたくさんのニューロンを、程よい強さで結合させる必要があります。
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リザバーコンピューティングの利点
– リザバーコンピューティングにはどんなメリットがあるのでしょうか?
香取: よく言われているのが、 リザバーコンピューティングは時系列データの処理が得意 ということですね。
時系列データは、私たちの身の回りにあふれています。
たとえば、 音声データ は最も身近な時系列データの一つです。また、気温や湿度といった 天気に関するデータや、金融市場の株価や為替データも典型的な時系列データの例 です。
さらに、 心拍や脳波といった生体信号 も時系列データとして扱われ、健康管理や医療分野で活用されています。最近では、IoT技術の進化により、 さまざまなセンサーからリアルタイムで時系列データを取得することが可能になっています。
これらすべてが、リザバーコンピューティングの処理対象となりえます。
– それほど応用範囲の広い技術だとは驚きです。
香取: 他には、 従来の機械学習では実現が難しかった分野への応用が考えられます。
従来の機械学習は、学習コストが非常に高いので、さまざまな場面や幅広いユーザーに対応できる汎用的なモデルを構築するのが一般的でした。しかし、 学習コストが低くなることで、その場その場の状況や個人に合わせパーソナライズされたモデルを簡単に学習させることが可能になります。
例えば現在の機械学習は、大量に学習したモデルをクラウド経由で利用するのが主流ですが、学習コストが低ければ、スマホなどの端末上ですべての処理を完結させることができます。むやみに外に送れないようなデータ、例えば医療データやプライバシーの保護が必要になるデータにも使えます。
– なるほど、高速に学習できるという点から、これまでの機械学習では扱えなかった領域も扱えそうということですね。他にはどんな例がありますか?
香取: 例えば、未踏ターゲット事業で進められている 筋電義手の開発で利用されている のはとても興味深い例です。
未踏プロジェクト名 | リザバーコンピューティングを用いた指角度・指関節トルクを推定可能な筋電義手制御システムの開発 |
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採択者氏名 |
都城 宏治(公立はこだて未来大学 大学院システム情報科学研究科) 坂東 紗希(公立はこだて未来大学 大学院システム情報科学研究科) |
採択年度 | 2024年度 |
![](https://res.cloudinary.com/techfeed/image/upload/v1737858708/entries/cjml4bmvxagpkkacgbkj.png)
筋電義手は、筋肉の活動に伴う電気信号をもとに動作する義手のことです。義手を操作するには、筋肉の動きに応じて発生する電気信号の特徴をあらかじめ学習しておく必要があります。
ですが、義手というのはつけ外しが必要なものですから、つけ直したときに、筋電センサーを付ける場所が前とズレてしまうのが普通です。そうなると、新たなセンサーデータを元に学習し直す必要が出てくるわけですが、このときにリザバーを活用すれば、学習が高速、かつオフラインで行うことができます。
他には、私が指導している学生が 人の顔から感情を認識するプロジェクトにリザバーを利用 していたり、未踏事業では 触覚センサーを活用した紙をめくるロボットの開発や、心拍から感情を読み取る などのプロジェクトをリザバーで進めています。
未踏プロジェクト名 | 触覚情報の応用を拓くリザバーコンピューティングによるAIモジュールの開発 |
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採択者氏名 |
坪倉 奏太(京都大学 大学院人間・環境学研究科) 武貞 一樹(立命館大学 大学院情報理工学研究科) |
採択年度 | 2024年度 |
![](https://res.cloudinary.com/techfeed/image/upload/v1737858741/entries/it7hg44mtkrt6ge2uuy6.jpg)
未踏プロジェクト名 | 心拍を利用したパーソナライズ感情推定アプリケーションの開発 |
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採択者氏名 |
福原 陸翔(法政大学 理工学部) 喜田 拓真(角川ドワンゴ学園N高等学校/合同会社Z&Next) |
採択年度 | 2023年度 |
プロジェクト成果 | 概要、詳細 |
![](https://res.cloudinary.com/techfeed/image/upload/v1737858781/entries/vhg49omm0y0ara6ucnby.png)
– 興味深いプロジェクトばかりです。
香取: 更に面白いのは、「 物理リザバー 」の可能性です。
リザバーは必ずしもCPUやGPUなどの電子的なコンピュータである必要はありません。 重要なのは、入力された時系列データの情報を一時的に保持し、かつ非線形特性を持つ媒体であることです。
例えば、 培養したネズミの神経細胞をリザバーとして利用する ことも実際に確かめられましたし、 何なら身近に生えている草木など植物でも、リザバーとして利用できます。
こうした「計算機不要」という特徴は、材料科学や生物学など、今後様々な分野での応用が期待できます。
![](https://res.cloudinary.com/techfeed/image/upload/v1738045061/entries/zfaflxgtv1gb0rr1n5mp.jpg)
![](https://res.cloudinary.com/techfeed/image/upload/v1737944952/entries/h8t83ambg7zzrxclcilf.png)
– ワクワクしますね。では逆に、リザバーコンピューティングが苦手としていたり、課題としていたりすることはありますか?
香取: 一般的には、画像データをそのままリザバーで処理するのは難しいと言われています。画像認識処理をリザバーで扱う場合には、なんらかの前処理を組み合わせたり、既存の機械学習と組み合わせたりする必要があります。
このようにリザバーは、 既存の機械学習をすべて置き換えるというものではなく、住み分けていく んだろうと思いますね。
そしてその住み分けがどのようなものになるか、既存の機械学習とどうつなげていくか、と言った部分は大きな課題となっていて、現在活発に研究が進められている分野です。
エンジニアはどうやって学んでいく?
– では、実際にリザバーコンピューティングをエンジニアが学ぶとしたら、どうしたらいいでしょうか?少し探してみたところ、「reservoirpy」というPythonのライブラリがあるようです。
香取: はい、リザバーコンピューティングは一般的な機械学習処理と同様、ライブラリを使って利用することができます。
私はこのライブラリを知らなかったのですが、サンプルコードを見れば大体何をやっているのかはお話しできると思います。
– ありがとうございます。ライブラリのページにこんなサンプルコードがありましたが、説明をお願いします。(編注: ここはインタビュー中にいきなり解説をお願いした箇所のため、正確でない可能性があります)
from reservoirpy.nodes import Reservoir, Ridge, Input
data = Input(input_dim=1)
reservoir = Reservoir(100, lr=0.3, sr=1.1)
readout = Ridge(ridge=1e-6)
esn = data >> reservoir >> readout
forecast = esn.fit(X, y).run(timeseries)
香取: まず最初に、データの入力部分をセットアップして
# 入力処理のセットアップ
data = Input(input_dim=1)
香取: ニューロンを100個作成してます。コンストラクタに渡しているパラメータは、lrがリークレート、srはスペクトル半径ですね。
# 100個のニューロン、lr: リークレート、sr: スペクトル半径
reservoir = Reservoir(100, lr=0.3, sr=1.1)
香取: そして、リザバーから出力を読み出す際に行われる学習処理で使われる、線形回帰アルゴリズムをセットアップしています。
# 線形回帰のアルゴリズムのひとつ
readout = Ridge(ridge=1e-6)
香取: そして、これらの入力、リザバー、出力を以下の処理で接続しています。これで、リザバーのセットアップは完了です。
# 接続
esn = data >> reservoir >> readout
香取: 実際の学習と予測を行う処理が以下の部分ですね。fit()メソッドで学習していて、Xが実際のデータ、yが教師データです。
run()メソッドに時系列データを渡して、結果を得ています。
# Xが入力、yが目標値、fitで学習、runで推論、forecastが予測値
forecast = esn.fit(X, y).run(timeseries)
– 先ほどお話しいただいた、入力・リザバー・出力と言った流れがそのままコードで表現されていますね。
香取: そうですね。こうしたライブラリを使うと、リザバーコンピューティングの中身をあまり知らなくても利用できますが、ゼロからリザバーを実装するのもそれほど難しい話ではありません。
例えば私が実装したコードをお見せすると、中心部分のコードは非常にシンプルです。
![](https://res.cloudinary.com/techfeed/image/upload/v1737858824/entries/ckmv87vn5juohqvhymxa.png)
未踏事業に応募しよう!
– 90行にも満たないコードなんですね。これならすぐ理解できそうです。
香取: はい、 意外かもしれませんが、リザバーコンピューティングはそれほどハードルは高くありません。
私がPMを務めている未踏事業でも、当初はリザバーをあまり理解していない方が応募してきて、素晴らしい成果を上げています。
– 先ほどおっしゃっていた触覚センサーや、心拍から感情を読み取るプロジェクトなどですね。
香取: はい。他には、 スマホさえあれば動くリザバーコンピューティングの枠組みを作る プロジェクトなどがあります。リザバーは処理が軽いのでどこでも動くこと、モデル設計がシンプルで汎用的にしやすいことから、加速度センサーなど、様々なモジュールと接続できるようになっています。
未踏プロジェクト名 | リザバーコンピューティングを活用したオフライン環境でのセンサーデータのリアルタイム可視化・分析ソフトウェアの開発 |
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採択者氏名 | 黒瀧 悠太(GMOペパボ株式会社 SUZURI事業部 シニアエンジニアリングリード) |
採択年度 | 2023年度 |
プロジェクト成果 | 概要、詳細 |
– ありがとうございます。未踏への応募に興味を持っていただけた方に向けたメッセージをお願いします。
香取: 物理リザバーに関する応募が少ない んです。先ほど申し上げたように、 物理リザバーには様々な可能性があるので、そこを探索するようなプロジェクトがあると嬉しい ですね。
また、繰り返しになりますが、 応募するにあたっては、リザバーを完全に理解している必要はありません。 リザバーに興味を持った方であれば、どうかお気軽にご応募いただければと思います。
– リザバーコンピューティングに関心のある読者の皆様に、ぜひたくさんのご応募をいただければと思います(応募へのリンク)。本日は興味深いお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。
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- 参考: 採択者インタビュー(外部リンク)「個人に寄り添うポータブルな感情推定アプリには、リザバーコンピューティングがフィットする」
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