10月31日、Smarter Articlesが「AI-Rich, Experience-Poor: The Apprentice Without a Mentor」と題した記事を公開した。この記事では、AIツールの普及と熟練者の大量退職が重なる中で、若手エンジニアや技能職が「AI過多・経験不足」に陥るリスクについて詳しく論じている。
ゼロックスの複合機と、マニュアルが答えられなかった問い
1980年代、ゼロックスのフィールドサービス技術者が故障した複合機に呼ばれた。機械はエラーコードを大量に吐き出し、テストのたびにクラッシュしたが、エラーコードとクラッシュの内容が一致しなかった。マニュアルの手順はエラーコードと修正手順を1対1で結びつけていたため、コードが真実を語らなくなった瞬間、公式手順に残された選択肢は「機械ごと交換する」だけになった。
呼ばれた専門家もお手上げだった。そこで二人が取り組んだのは、マニュアルを引くことではなく、「話すこと」だった。午前中から昼食を挟んで午後まで、似た症状を持つ別の機械の記憶を語り合い、それぞれの話を機械の挙動に照らし合わせた。人類学者Julian Orrが記録したこの「5時間の格闘」は、12本のアネクドート(逸話)を生み出し、最終的に故障の原因を突き止めた。
この場面は、今まさに熟練技能職の現場で失われようとしているものを最も正確に描写している。失われているのは情報ではない。情報が間違っているときにそれを見抜く判断力だ。そしてその判断力は、壊れた機械の前で二人の人間が話し合うことの中に宿っていた。
Pearsonが上海で発表した「トリプル・ケイパビリティ・ギャップ」
2026年9月24日、上海のWorldSkills国際会議で教育・評価大手のPearsonが研究報告を発表した。病院・工場・インフラを支える技能職・技術職・サービス職において、「三重の能力格差(triple capability gap)」が開きつつあるという警告だ。
報告書のタイトルは For Every Future。米国・英国・中国を対象とした労働市場分析と、雇用主・教育機関・学生・若手労働者へのサーベイ・インタビューを組み合わせた内容で、薬剤師補助者と産業機械整備士の2職種を重点的に分析している。
Pearsonが主張する三つの能力とは以下の通りだ。
- AI固有のリテラシーと批判的判断力(AIを安全に使いこなす能力)
- コミュニケーション・適応力・感情知性などの人間的スキル
- 経験と先輩からの継承によって培われる、実践的・制度的知識
特に深刻なのが3番目だ。AIは職種を丸ごと消すより、日々の業務の「やり方」を静かに変えていく。誰も解雇通知を受け取らないが、足元の仕事の形が変わっていく構造だ。
数字も重い。英国の対象職種では、今後の求人の99%が「補充需要」、つまり退職・転職・離職による穴埋めであり、新規ポストの創出ではない。米国も98.5%。調査した産業機械整備士の半数以下しか、自分のトレーニングがAI対応の仕事に備えられていると感じていない。薬剤師補助者に至っては、98%が「正確さと精度」を極めて重要と評価し、44%が「ミスの結果は極めて深刻」と答えている。
4年間で何が伝わるのか
米国労働統計局(BLS)によれば、配管工・パイプフィッター・蒸気管工は全米で51万600人。年間約4.2万件の求人が今後10年続く見込みで、そのほとんどが退職等による補充だ。見習い期間は4〜5年、年間2,000時間の実地訓練。英国のLevel 3配管・暖房技術者アプレンティスシップも標準48か月だ。
この4年間は、配管の「知識」を詰め込む時間ではない。知識を判断に変えるための時間だ。
ところが英国では、アプレンティスシップ開始者数が2016/17年度の49.4万人から2024/25年度には35.3万人に落ち込んだ。さらに内訳の変化が問題で、中間レベル(伝統的な若者の入職ルート)の割合は2017/18年の43%から19%に半減し、代わりに高度なアプレンティスシップが約40%を占めるようになった。梯子の一番下でこそ行われてきた、人から人への技能伝承の場が縮小している。
「暗黙知」の三層構造
なぜメンターの喪失が、単なる人員減以上の問題なのか。哲学者Michael Polanyiの言葉が出発点になる。
「われわれは語れる以上のことを知ることができる(We can know more than we can tell)」
1966年の著書 The Tacit Dimension(暗黙知の次元)でPolanyiが示したこの命題を、社会学者のHarry Collins(カーディフ大学教授)が実証した。1970年代初頭、Collinsは当時新技術だったTEAレーザーを製作しようとする研究室を調査した。論文や文書だけでレーザーを完成させたグループは一つもなかった。成功したすべてのグループに共通していたのは、実際に作ったことのある人物との直接接触だった。
Collinsはその後の研究で、暗黙知を三層に分類した(2010年 Tacit and Explicit Knowledge)。
- 関係的暗黙知(Relational): 原理的には言語化できるが、誰も書き残していない知識。「あのフランジは、マニュアルと違うトルクで締める」「あの客先のボイラーには持病がある」など。
- 身体的暗黙知(Somatic): 体に宿る知識。パイプカッターが正しく噛んだときの感触、ポンプが微妙におかしいときの音、締まりかけた継手が外れそうなときの抵抗感。
- 集合的暗黙知(Collective): 個人でなくコミュニティに属する知識。「まともな仕事とは何か」「現場でどのルールは曲げられてどれは曲げられないか」「近道がいつ危険になるか」。これはそのコミュニティに社会化されることでしか身につかない。
Fogbank:文書が「完全」だった失敗
この三層構造の破綻を極端な形で示す実例がある。
2000年代、米国家核安全保障局(NNSA)はトライデントミサイル搭載のW76核弾頭の改修に着手した。「Fogbank」という暗号名の素材を再製造する必要があったが、製造施設はすでに閉鎖され、当時の製造関係者もほぼいなかった。文書から工程を再構築したところ、新しく作られた素材は元のものより純度が高く、それが問題だった。
オリジナルのバッチには、誰も記録していなかった不純物が含まれており、兵器の性能はその不純物に依存していた。誰もそれを重要だと思わなかったから記録されず、気づける人間はもういなかった。会計検査院(GAO)の報告書GAO-09-385によれば、計画の遅延と6,900万ドルの追加費用が発生した。
文書は「完全」だった。欠けていたのは事実ではなく、事実と事実の間の関係性、それを知っていたのは現場にいた人間だけだった。
AIアシスタントは「一人前の職人」の代わりになるか
現場に届きつつあるAIツールは決して絵空事ではない。2025年5月、Siemensは保守AIツール「Maintenance Copilot Senseye」が平均25%の事後保守時間削減を実現したと発表。同年9月、米国の配管・電気工事業者向けソフト大手ServiceTitanは、フィールド技術者向けAIアシスタント「Atlas」をローンチした。
AIが新人に与える効果は実証されている。Brynjolfsson・Li・Raymondによる研究(Quarterly Journal of Economics 掲載)では、5,179人のカスタマーサポートエージェントへのAI導入で生産性が平均14%向上、新人・低スキル層では34%向上した。一方、最も経験豊富な層への効果はほぼゼロだった。
しかしここに問題の核心がある。AIアシスタントが「情報が間違っているときを見抜く判断力」を持てるかどうか、それはまだ示されていない。冒頭のゼロックスの技術者が直面したのはまさにその状況だった。機械は大量の情報を持っていた。欠けていたのは、その情報を信じていいかどうかを問う経験だ。
構造問題をどう解くか
Pearsonは解決策として、AIリテラシー教育の整備、訓練基準の更新サイクルの短縮(現在の英国では改訂に2〜3年かかる)、そして実地経験と人的継承の仕組みの再設計を提言している。ただし、Pearsonは教育・評価企業であり、「訓練システムの再考が必要」という結論が自社の市場にも直結する立場にある。報告書の数字や提言は有益だが、その点を念頭に置いて読むのが適切だ。
根本にある算数はシンプルだ。メンターは新しい入職者が育つより速く現場を去っている。入職者はより狭い入口から入ってきて、足元のツールが変わり続ける仕事に就く。AIが提供できる知識は、Collinsの分類で言えば「関係的暗黙知」の一部まで、つまり誰かが一度でも言語化した知識が上限だ。身体的・集合的暗黙知は、今のところ人から人にしか伝わらない。
詳細はAI-Rich, Experience-Poor: The Apprentice Without a Mentorを参照していただきたい。