10月22日、Pragmatic Engineerが「The Pulse: Anthropic builds its own source control system」と題した記事を公開した。AnthropicがGitのスケール限界を突破するために独自のバージョン管理システム「Scion」を自社開発した経緯と技術詳細について、プロジェクト関係者へのインタビューをもとに詳しく紹介している。
日次3万PRという壁——Gitが限界を迎えた瞬間
Anthropicのエンジニアリングブログによれば、2026年5月時点で同社の1日あたりのコードマージ数は約2,500件だった。それが同年9月には3万件超に達した。わずか4ヶ月で12倍という増加ペースだ。
この爆発的な増加の背景にあるのは、約3,000人のスタッフ一人ひとりが10〜15個のClaudeエージェントを並列稼働させているという開発スタイルだ。コーディング作業そのものはAIがこなすため、ボトルネックはAIではなく「人間スケールで設計された開発インフラ」に移っている、とAnthropicは説明している。
具体的にGitが抱えていた問題は以下の通りだ:
- モノレポのワーキングコピーが25GBに膨張
- CIだけで1日2,500万回ものgit checkoutが発生
- Gitはクライアントがオフラインになる前提で設計されており、常時オンライン環境では無駄なデータ転送が生じる
- ミラーノードを数百台並べてスケールアウトしていたが、リポジトリがミラーのディスク容量を超えた時点でスケールアップ不能になった
独自VCS「Scion」と、コードレビュー基盤「Antique」
こうした課題を受けてAnthropicが開発したのが、社内呼称「Scion」という独自のバージョン管理システムだ。設計はシンプルで、リポジトリ全体を保持する「サーバーノード」を立て、チェンジセット(変更の単位)をGoogle Spanner(Googleの分散DBサービス)に、ファイル実体(blob)をGoogle Cloud Storageに格納するアーキテクチャを採用している。
記事内でPragmatic EngineerのGergely Oroszがプロジェクトの関係者にインタビューし、以下の技術詳細を得ている:
- サーバー・クライアントともRustで実装
- コードレビュー・管理プラットフォーム「Antique」はバックエンドをGo、フロントエンドをReactで構築
- Google Spannerのデフォルトは3レプリカ・マルチゾーン構成だが、Anthropicはレプリカ数を増やしてマルチリージョン構成に変更(具体的な数は非公開)
- DBのフルバックアップに加え、ファイル実体のストレージではソフトデリートを採用。Spannerのポイントインタイムリカバリも活用
- データはコンテントアドレス方式(内容のハッシュ値でアドレスを決める方式)で格納し、一度保存したら変更されないため、キャッシュ層が負荷の大半を吸収できる
開発・運用チームのサイズには驚かされる。わずか7人(コアの開発4人+コード検索やマージキュー担当3人)でScionとAntiqueを構築・運用している。
すでにAnthropicのモノレポは100%GitからScionへの移行を完了しており、移行作業にはClaudeが大きく貢献したという。
GoogleもMetaも、かつて同じ壁にぶつかった
大手テック企業がGitの限界を超えて独自VCSへ移行した歴史は、Anthropicが初めてではない。
- GoogleはもともとPerforceを使用。2011〜2012年頃にスケール限界を迎え、独自VCS「Piper」を開発した(Perforceにインスパイアされた集中型VCS)
- MetaはMercurialへ移行後、独自にクライアント・サーバー型VCS「**Sapling**」を開発しオープンソースとして公開した(2022年)
記事はAnthropicの規模感をこう表現している——従業員は約3,500人だが、1人あたり10エージェントを常時稼働させているため、コード生成量は35,000〜70,000人規模の企業に相当する。MetaやGoogleと同等のエンジニアリング規模だ。
「Mononokeのリップオフ」告発とAnthropicの対応
この話で最も物議を醸したのは、技術設計そのものではなくクレジットの問題だ。
MetaのSaplingに含まれるサーバーコンポーネント「Mononoke」(Rustで書かれたOSSのスケーラブルgitサーバー)の作者が、Scionは自分たちの設計を無断で流用したと公開ブログで告発した。
「これはリップオフだ。昨日の私の投稿はできるだけ好意的に解釈しようとしていたが、ブログ公開後に非公開で確認が取れた——Scionは意図的かつ露骨にMononokeをパクっており、人員の重複もあった。これが意図せざるオマージュである可能性はゼロだ」
— Mononoke作者のブログより
これはあくまで告発者側の主張であり、Anthropicは公式の反論コメントを出していない。告発を受け、Anthropicは元の投稿にMononoke・Bonsaiデータモデルへの小さな注釈を追記するにとどまっている。
設計上の類似がコードの直接コピーに当たるかどうかは告発者の主張段階であり、現時点では技術的・法的な事実関係は確定していない。ただし、「公開の指摘があって初めてクレジットを加えた」という経緯は、OSSコミュニティへの対応として問題があったと受け止められている。ScionをオープンソースしないことについてAnthropicは「小規模チームの帯域幅の問題」を挙げているが、MetaがSaplingをフル公開していることと対比すると、この判断もコミュニティからの批判を集めている。
まとめ——AIエージェント時代が変える開発インフラの常識
AnthropicのScion開発は、AIエージェントが開発の主役になったとき、既存の開発インフラがいかに早くボトルネックになるかを示す具体的な事例だ。1日3万PRという数字は、多くのエンジニアにとって遠い話に聞こえるかもしれない。だが、GoogleやMetaが10年以上かけて直面した問題をAnthropicはわずか数年で踏んでいる。
AIエージェントの並列稼働が一般化すれば、同様のスケール問題はAnthropicだけの話では済まない。CIパイプラインの設計、モノレポ戦略、バージョン管理の選定——これらはすべて「人間の開発者数」を前提に設計されてきたが、その前提が崩れつつある。ScionやAntiqueがどのような形で業界に知見を還元するか(あるいはしないか)は、今後のOSSコミュニティとの関係も含めて注目に値する。
詳細はThe Pulse: Anthropic builds its own source control systemを参照していただきたい。