10月15日、Scientific Americanが「Can AI break encryption? OpenAI's new math has cryptographers divided」と題した記事を公開した。OpenAIが一挙公開した722本のAI生成数学論文をきっかけに、ジョンズ・ホプキンス大学の暗号学者Matthew Green氏が「既存の公開鍵暗号への信頼が失われる確率は15%ある」と発言し、暗号学者の間で論争が起きている。
OpenAIが722本の数学論文を一挙公開
先週、OpenAIは非公開のAIモデルが執筆した722本の数学論文をまとめてオンライン公開した。品質が均一なわけではなく、公開から1日以内に3本が取り下げられた。それでも、その規模と洞察の鋭さが一部の研究者の警戒心を呼び起こしている。
数学は暗号技術の根幹だ。ブラウザとWebサイト間の通信、銀行へのログイン、暗号資産の取引——これらはすべて「解読不能とされる数学的問題」の上に成立している。AIが数学を高い精度で扱えることを示した今、その前提が揺らぎかねないという懸念が生まれている。
「15%の確率で公開鍵暗号への信頼が失われる」——ジョンズ・ホプキンス大の暗号研究者
ジョンズ・ホプキンス大学の暗号学者、Matthew GreenはOpenAIの発表直後、ソーシャルメディアに次の見解を投稿した。
既存の公開鍵暗号アルゴリズムへの信頼が失われる確率は**15%**あると思っている。
公開鍵暗号(Public-key cryptography)とは、事前に秘密鍵を共有することなく、安全な通信路を確立したりデジタル署名を検証したりする仕組みだ。TLSによるHTTPS通信やSSHなど、現代のインターネット基盤を支えている。
その安全性は「効率的に解けるアルゴリズムが存在しない」という信念に依存している。しかしこの信念は、過去に一度崩されている。数体篩法(Number Field Sieve)と呼ばれるアルゴリズムの登場により、RSAが512ビット鍵を使っていた時代に解読難度が大幅に下がった。暗号学者はその後、鍵長を2048ビット以上に伸ばすことで対応した。Green氏は、同規模の進歩がもう一度起きれば「標準化されているスキームのセキュリティレベルが著しく低下する可能性がある」と述べている。
Foundation for American InnovationのGovind Pimpale氏は、AIがそのような進歩をもたらす可能性を指摘する。公開鍵暗号が依存する数学的問題の種類は少なく、それぞれを研究するコミュニティも比較的小さい。機械であれば膨大な計算リソースを投入でき、人間が見逃した抜け穴を発見するかもしれない。「公開鍵暗号は実質的にすべてのオンライン商取引と安全なメッセージングに必要であり、失われれば深刻な結果をもたらす」と彼は言う。
懐疑派も多い——「証拠はゼロ」
一方で、反論も根強い。Bar-Ilan大学教授でCoinbaseの暗号責任者でもあるYehuda Lindellは、X(旧Twitter)で「それらのシステムの基盤となる数学的問題に対するブレークスルーの証拠は一切ない」と明言した。スタンフォード大学のコンピュータ科学教授Dan Bonehは、OpenAIの722本の論文のうち暗号を扱うものは1本もない点を「少し驚くべきことだ」と述べている。
AIは実際に暗号の弱点を発見している
とはいえ、懸念が完全に空論というわけでもない。ETHチューリッヒのFlorian Tramèr氏らはAnthropicの研究者3名と共同で、主要なAIモデルを191種の暗号解読チャレンジにかけた(プレプリント)。
「モデルの暗号解析能力が極めて急速に成長していることは明らかだ」とTramèr氏は言う。研究者たちはかつて、比較的単純な攻撃をAIが再現できるかどうかさえ確信が持てなかった。数か月後には、モデルが誰も発見していなかった脆弱性を見つけ始めていた。
Anthropicも自社のClaudeモデルが、量子コンピュータ耐性を目的として設計されたデジタル署名スキームHAWKに対して、実質的に改善された攻撃手法を発見したと報告している。
HAWKはNISTのポスト量子暗号標準化プロセスにおいて候補として検討されてきた署名スキームの一つだ。量子コンピュータによる将来の攻撃に備えて設計された暗号方式であり、その安全性にAIが疑問を呈しつつあるという点は、業界にとって無視できない示唆を含んでいる。
ただし、実験的な暗号の弱点を見つけることと、現実のシステムを破ることの間には大きな隔たりがある。Pimpale氏自身も「現時点で、実際に展開されているアルゴリズムはAIによって破られていない」と認めている。
本当のリスクは暗号破りよりも「移行の失敗」か
ベルギーKU Leuven大学のBart Preneel教授は冷静に見ている。攻撃が10億倍速くなっても、依然として現実的な計算量を超えているなら脅威にならない、と。「少なくとも今この瞬間、パニックになる理由はない」と述べている。
むしろGreen氏が心配するのは、万が一に備えた暗号移行プロセス自体のリスクだ。「アップグレードのプロセス自体がある種の災害になりかねない。アップグレードをミスして、意図せず安全でないものにたどり着く可能性がある」と彼は言う。
AIラボへの要求:透明性
BonehとGreenの両氏が共通して求めているのは、AIラボの透明性だ。モデルが暗号分野の数学的問題に対してどんな試みをし、どの程度成功したのかを公開してほしいという。
「私たちはまったく何のシグナルも得られていない」とGreen氏は言う。「暗号に関する問いかけをしたとき、何を発見したか教えてほしい」とBoneh氏は訴える。それがない限り、AIが私たちの依存する数学に何か根本的な問題を発見したのか、それとも単に解ける問題をうまく解いているだけなのか、誰にも判断できない。
詳細はCan AI break encryption? OpenAI's new math has cryptographers dividedを参照していただきたい。