10月12日、InfoQが「You Can't Trust Your AI Bill. And Neither Can I」と題した講演録を公開した。登壇者はクラウドコスト管理プラットフォームCloudZeroのCTO兼創業者・Erik Peterson氏。「AIコストを完全には把握できていない。私自身も」という告白から始まるこのトークは、コスト可視化を専業とするCTOでさえAI請求書を信頼できないという現実を正面から扱っており、その構造的な理由と業界全体への影響を鋭く分析している。
AIの請求書は「電力会社の明細」に逆戻りしている
Peterson氏が最初に指摘するのは、AIコストの不透明さだ。
AWSやGCPの請求書であれば「EC2にいくら、S3にいくら」という明細が得られる。ところがAIプロバイダーの請求書は「10,000キロワット時で500ドル」という100年前の電力会社の明細と同レベルに退化している、と氏は言う。何に使ったのか、何が原因でコストが上がったのか、一切わからない。
このような「見えないコスト」の問題は研究領域でも注目されており、Peterson氏は講演のなかで「CoIn(Cost of the Invisible)」という概念に言及している。モデルの変更やデータセンターの環境変化など、ユーザーに開示されない要因によってコストが変動するという実態を指す枠組みで、AIコスト計測の難しさを示す文脈で紹介されている。
さらに問題を複雑にするのが、プロバイダー間で課金の単位が統一されていない点だ。コード、画像、音声それぞれで計算式が異なり、「無音部分にも課金される」ケースすら存在する。特定モデルについてはより安価な代替が存在するにもかかわらず7.5倍のコストで提供されているケースもあるとされ、Peterson氏はその現状を問題として挙げている(ただしモデル間の優劣や価格状況は講演後も変化している可能性がある)。リージョンによってコストが変わり、トークンの計算方法が変わるとコストが35%増になることもある。
APIの安定性も問題で、OpenAIやCursorのコストデータ取得用APIで日常的にHTTP 500エラーが発生しているという。AnthropicのEnterpriseビリング用APIは2025年3月まで存在しなかった。しかもclaude.comとclaude.aiという2つのプラットフォームで請求データの取得方法が異なり、後者はスクリーンショットかスプレッドシートのダウンロードしか手段がなかったとのことだ。
AIコストはクラウド費用を「飲み込む」
Peterson氏の見立てでは、AIコストはやがてクラウドコスト全体を上回る。
講演のなかでPeterson氏は、クラウドビジネスのこれまでの急成長を「AIへと向かう助走期間だった」と位置づける表現を使っている。現在、全AIスタートアップの調達額を合計しても、クラウド大手各社のAI設備投資(CapEx)の8分の1にしか届かない。その差額は約800億ドル規模だ。
収益性の観点からも興味深い数字が示された。AnthropicはAPIコールで約80%のマージンを確保しつつ「5%の利益」と説明する一方、OpenAIは同様に80%のマージンを持ちながら**マイナス122%**という損益を計上している。両社の数字の作り方が根本的に異なる。
「コスト逆転」──作るコストが、届けるコストを超えた
このトークで最も重要な概念が「インバージョン(逆転)」だ。
従来、ソフトウェアのコスト構造は「サービス提供コスト(Cost to Serve)」が中心だった。ところが今、AIを活用した開発においては「構築コスト(Cost to Build)」の方が高くなっている。
これを説明する背景として、Peterson氏はジェヴォンズのパラドックス(Jevons Paradox)に触れている。1865年に経済学者ウィリアム・スタンリー・ジェヴォンズが石炭消費をめぐって提唱した「効率が上がるほど総消費量が増える」という逆説で、エネルギー経済学から技術経済学まで幅広く応用されてきた概念だ。AIコストにもこの逆説がそのまま当てはまるとPeterson氏は指摘する。
実際の数字として、トークン単価は大幅に下落したにもかかわらず、エンタープライズ全体のAI支出は222%増加している。元記事中では「1000%」という下落率が示されているが、これはPeterson氏の講演内で示された特定条件下での数値であり、市場全体の平均を指すものではない点に注意が必要だ。コストが下がるほど使用量が増え、結果として請求額は上がり続けるという構造が、ここに端的に表れている。
「Tokenmaxxing」──IT史上最も高価なバニティメトリクス
Peterson氏が「地上最悪のムーブメント」と呼ぶのがTokenmaxxing(トークンマキシング)だ。「AIへの支出額が多い社員ほど優秀だ」という評価軸で、組織がAIへの消費量を競わせる現象を指す。
総コストは50億〜150億ドル規模と推定される。AIリーダーボードで自組織の"AI活用度"を測ろうとした経営者が、「支出ゼロ=何もしていない証拠」という誤解のもとで支出を奨励し続けた結果だという。2025年3月ごろに始まり5月に終息宣言が出たものの、Peterson氏は「まだ続いている」と見ている。
バニティメトリクス(虚栄の指標)という観点からは、Goodhartの法則——「指標が目標になった瞬間、良い指標ではなくなる」——とも重なる問題構造だ。AI支出額そのものをKPIにすることの危うさを、Peterson氏は具体的な損失規模で示している。
エンジニアの仕事はどう変わるか
Peterson氏は「AIはあなたの仕事を奪う」と明言する。ただしその意味は「解雇」ではなく「強制的な昇進」だ。
かつて自身がコンピューター導入でタイプライター業務が消えた現場を目撃したように、仕事の性質が変わる。2025年1月からAIのみでコードを書くことを自分に課したPeterson氏は、「2028年までにコードはすべてAIが書き、デプロイし、管理する完全自律型クラウドが実現する」と予測する。問われるのは「作る能力」ではなく「判断する能力」になるという見方だ。
詳細はYou Can't Trust Your AI Bill. And Neither Can Iを参照していただきたい。