10月3日、Jennifer Tabackが「What does the advent of powerful AI models mean for mathematicians like me?」と題した記事を公開した。掲載先はフィールズ賞受賞者テレンス・タオのブログ(terrytao.wordpress.com)だが、著者はタオ本人ではなく、Bowdoin CollegeのJennifer Tabackによるゲスト投稿だ。AIと数学をめぐる議論の多くがトップ研究者の視点から語られるなかで、本稿はその外側——テニュアを持ちながらもヘッドラインとは無縁な、小規模リベラルアーツカレッジの数学者——の立場から率直に問いを立てる点で異色だ。
「トップ研究者ではない数学者」の視点
AI時代の数学をめぐる議論の多くは、フィールズ賞級の成果を持つ研究者や、AIによって自らの証明が脅かされる立場の人間から発せられてきた。本稿の執筆者であるJennifer Tabackはそうではない。彼女はメイン州ブランズウィックにある小規模リベラルアーツカレッジ、Bowdoin Collegeの数学者だ。20年以上取り組んでいる未解決問題はあるが、ヘッドラインを飾るようなものではない。
そのような立場から、AIとの付き合い方はどうあるべきかを率直に論じているのが本記事の核心だ。元記事タイトルの "mathematicians like me"——「自分のような数学者」——という表現には、著名か無名かという二項対立ではなく、研究の規模や所属機関の種別によって置かれる状況が大きく異なるという認識が込められている。
AIは「廊下の向こうの同僚」代わりになれるか
小規模大学の数学科では、同じ専門分野を持つ同僚が同じ建物にいること自体まれだ。Tabackの場合、近くに議論できる研究仲間がいない。そこでAIが「壁打ち相手」として機能している。
彼女の経験によれば、AIはまだ長年の未解決問題を解いてはくれていない。しかし実際に役立った事例として以下を挙げている:
- 誤ったlemma(補題)の修正を示唆した
- 論文の構成の再編成を提案し、有益だった
- これまで気づかなかった方向性を示し、新たな数学を学ぶきっかけになった
AIの回答は常に正しいわけではなく、「人間の共同研究者と同様に、間違っていたり混乱を招いたりすることもある。その場合は先に進む」とTabackは述べている。
研究・執筆・教育への実際の影響
論文執筆
Tabackは、AIが数学的ライティングの質を上げていると指摘する。念入りに校正したつもりの論文に残る小さな不整合を検出し、論証の鋭さを高めるのに役立っているという。彼女が"Communicating Mathematics"と題した2つのカンファレンスを共同主催してきたほど数学の「伝え方」にこだわりを持つ立場から見ても、AIの貢献は否定できないと言う。
教室
教育面では複雑な感情を持つ。Tabackは「AIによって、評価を時間制限のある教室内テストに追い込まれることに怒りを感じている」とはっきり述べる。プロクター(監督者)なしには公平な評価ができないという現実が、口述試験などの代替手段を事実上封じているからだ。
ここで見落とされがちな制度的文脈がある。R1研究大学(Carnegie Classificationにおける大型研究助成を受ける大規模大学)では、大学院生やTAが試験監督・口述試験の補助を担うことができる。しかし小規模リベラルアーツカレッジにはそうしたリソースが存在しない。Bowdoinのような機関では、教員が授業・研究・学生指導のほぼすべてを少人数で回しており、評価設計の柔軟性が構造的に制約されている。AIへの対応策として「口述試験に切り替えよ」という提言が聞こえてくることもあるが、それが実行可能かどうかは所属機関の種別に強く依存する。
一方で、学生の創造性にも触れている。暗号論の授業では、ある学生が第二次大戦期の暗号機のアニメーションをAIを活用して構築し、数学的なメカニズムを視覚的に示した。
若手研究者と制度設計の問題
Tabackが最も鋭く問いを立てているのは、制度的な側面だ。彼女自身はテニュア(終身在職権)を持つが、テニュア審査中の若手同僚は「まだ存在しないルールのもとで実績を積んでいる」状態にある。
彼女の主張は以下に集約される:
- 何を「証明」と見なすか、何を出版・テニュア評価の対象とするかを、分野として決め直す必要がある
- 研究に使ったツール(AIを含む)を透明に開示できる文化を作るべきだ
- AIが先に証明するかもしれないからといって問いを手放すべきではない。定理の第二の証明もしばしば深い洞察をもたらす
教育機関の多様性と議論の偏り
AI時代の教育をめぐる議論は、R1研究大学を中心に行われてきた。Tabackはこの状況を問題視し、より高い教育負荷と限られたリソースを抱える多様な機関の教員を議論に巻き込む必要があると訴える。リソース・教育負荷・評価設計の自由度——これらはすべて機関の種別によって大きく異なり、「AI時代の数学教育」という一枚岩の議論では捉えきれない現実がある。
「問いを手放さない」という立場
記事の結論は宣言的だ。「10年後の数学がどのような姿になるかはわからない。しかし、鋭い問いを立てることを学んだ人たちによって生み出されることはわかっている。そして私たちがその人たちを教えるのだ」。
「自分のような研究者がAI時代に自分の仕事をどう再定義するか」という問いに対し、Tabackの答えは明快だ。問いを捨てず、ツールを使い、透明性を保ちながら続けること。それだけだ。
詳細はWhat does the advent of powerful AI models mean for mathematicians like me?を参照していただきたい。