10月2日、Ryan Merketが「Anthropic publishes Matthew Schwartz's toolkit for AI-assisted science」と題した記事を公開した。ハーバード大学の物理学者Matthew Schwartzが開発したAI支援科学計算ツールキット「BootLoops」の詳細と、その実際の研究への応用が紹介されている。
「インピーダンス不整合」を解決するアプローチ
科学者がAIモデルを「人間の共同研究者」として扱おうとするとき、問題が起きる。Schwartzはこれを「インピーダンス不整合(impedance mismatch)」と呼ぶ。電気回路において異なるインピーダンス(信号の伝わりやすさ)を持つ素子をつなぐと信号のロスが生じるように、現在のAIと研究者の間にも「得意なこと・不得意なこと」のズレがあり、そのままでは連携がうまくいかない、という比喩だ。具体的には、AIはコーディング・論文の解析・構造化された計算といった「境界のはっきりした作業」には強いが、研究アジェンダ全体を自律的に選択・遂行することには向いていない。
BootLoopsはその非対称性を前提に設計されている。AIの得意な形式で作業を提示し、専門家が「何を問うべきか」「どの結果が意味を持つか」を判断する役割を担う、という分業構造だ。
BootLoopsはAnthropicの製品ではなく、Schwartzが自分の研究計算にClaudeを使う中で積み上げたソフトウェアとプロトコルをまとめたオープンソースプロジェクトである。GitHubで公開されており、異なるモデルでも使えるよう設計されている。
具体的な成果:新規積分15件の発見から生態学・遺伝学まで
BootLoopsが最初にもたらした成果として特筆すべきは、これまで計算されていなかった新規の積分結果15件だ。Schwartzはまず自分のホームフィールドである数理物理学で検証を行い、BootLoopsを使ってClaudeが実行した散乱振幅(scattering amplitude)——素粒子が衝突・散乱する確率を記述する物理量——の積分は合計30件にのぼる。うち15件は既知結果の再現、残る15件はこれまで計算されていなかった新規の結果だとSchwartzは述べている。ただし、これはAnthropicのゲスト投稿におけるSchwartzの報告であり、独立した第三者評価ではない点は留意が必要だ。
続いてSchwartzは数学的なつながりを軸に他分野へと手を伸ばした。
生態学では、植物生物学者James O'Dwyer氏と共同で森林の生物多様性モデルを分析。パナマのバロコロラド島における樹種組成の変化速度が、中立理論モデルの予測より速いという結果を最初に得たが、O'Dwyer氏はその発見だけでは生態学者の関心を引かないと判断し、種の生活史をより詳しく記述できるモデルへと研究の方向を修正した。Schwartzによれば、最終的なモデルはデータと一致し、他の森林プロットへの拡張が進んでいるという。
集団遺伝学では、1000人ゲノムプロジェクトから57億対の近接変異ペアを解析し、遺伝子変換(gene conversion)の証拠を発見したと報告している。遺伝子変換は、連鎖した遺伝的変異を用いる多くの解析で考慮されていないプロセスだとSchwartzは書いている。
「正しい計算」と「意味のある発見」は別物
このプロジェクトの核心にあるのが、この区別だ。
Schwartzは、Claudeによる分野横断的な提案が技術的には正確でも、科学的には凡庸であることが多かったと明かしている。生態学のプロジェクトではO'Dwyer氏が、遺伝学のプロジェクトでは共同研究者のMichael Desai氏が、最初の計算から追うべき関係性へと研究の焦点を絞り込んだ。専門家の貢献は「モデルの計算を確認すること」ではなく、「何を追求すべきかを決めること」だった。
Schwartzはまた、BootLoopsの限界についても率直に記述している。Claudeが中心的な問題を解決しないまま作業完了を宣言する、作業時間の見積もりを誤る、新しいツールを構築すれば効率的な場面で長い計算を続けるといったケースが発生した。
実装面では、Schwartzは複数の研究プロジェクトを別々のClaude Codeセッションで管理し、エージェントに計算を実行させながら中間成果をファイルに整理するワークフローを使ったとAnthropicの投稿は説明している。
BootLoopsが示す「AI支援科学」の現在地
「AI自律科学」への期待が高まる中、このツールキットが示す役割はより限定的で具体的だ。定式化・検証が可能な問題における技術的作業の自動化を支援するものであり、研究アジェンダの選択や結果の評価は依然として人間が担う。新規積分15件・生態学・遺伝学という成果はその分業が機能した実例である一方、AIが「何を追うべきか」を誤り続けた事例も率直に記録されており、現時点での能力の輪郭を具体的に示している点でBootLoopsの報告は参照価値が高い。
Schwartzのアプローチは2026年3月に自身の専門である理論物理学でClaudeを使った計算の報告として公開されており、BootLoopsはその実験を再利用可能な分野横断ワークフローに発展させたものにあたる。
詳細はAnthropic publishes Matthew Schwartz's toolkit for AI-assisted scienceを参照していただきたい。