9月25日、Nature.comが「Anthropic's AI biolab finds 'CRISPR-like' DNA in viruses. What's next?」と題した記事を公開した。AnthropicのAIバイオラボが950体のAIエージェントを動員してゲノムデータを解析し、ウイルスゲノム内にCRISPRに類似したDNA配列を発見したことが詳しく紹介されている。
950体のAIエージェントが21時間、ゲノムを自律探索
AnthropicはAI研究企業として知られるが、2025年9月23日、同社は生命科学研究グループと付属の「ウェットラボ」(実際に試薬や生体サンプルを扱う実験室)の立ち上げを発表した。同日、最初の成果をまとめたプレプリント(査読前論文)をalphaXivプラットフォームに公開している。なお、公開されているプレプリントURLのスラグ部分が通常のarXiv ID形式(数字)と異なるため、リンク先は各自でご確認いただきたい。
今回の実験では約950体のAIエージェントが投入された。AIエージェントとは、LLM(大規模言語モデル)を基盤とする自律的なAIシステムで、人間が逐一指示を与えなくても自ら判断して行動できる。これらのエージェントが21時間以上にわたって数十億件のタンパク質データベースを自律的に探索した。
特筆すべきは、エージェント同士が「議論」しながら探索を進めた点だ。具体的には、あるエージェントが暫定的な発見や仮説を提示すると、別のエージェントがその妥当性を評価・批判し、次に実行すべきアクション(データベースクエリの絞り込みや別ゲノムへの横展開など)を協調して決定するマルチエージェント協調の仕組みが採用されている。単一の大規模モデルが逐次処理するのではなく、複数エージェントが並列・対話的に仮説検証を回すことで、研究者一人では現実的に走査できないスケールのゲノムデータを短時間でカバーした。
研究チームが最初にエージェントへ与えた指示は、「逆転写酵素(reverse transcriptase)と協調して機能しうるタンパク質を探せ」というものだ。逆転写酵素はRNAをDNAに変換する酵素で、ウイルス研究や分子生物学ツールの開発において重要な役割を担う。
発見されたのは「CRISPR様」の繰り返し配列
エージェントが巨大ウイルスのゲノムを解析していたところ、逆転写酵素遺伝子の周囲に同じ短いDNA配列が何度も繰り返して出現するパターンを検出した。このパターンが注目に値するとエージェント自身が判断し、他のウイルスゲノムにも同様の構造が存在することを突き止めた。
この繰り返し配列の構造は、細菌が持つCRISPR免疫システムに似ている。CRISPRの仕組みを簡単に説明すると、細菌がウイルスなどの外敵から取り込んだDNA断片を、繰り返し配列の間に挟んだ形でゲノム内に記録・保存する。外敵が再侵入した際、そのDNA断片から作られたRNAがガイドとなり、パートナー酵素(Cas9などが有名)が外敵のDNAを正確に切断する——という免疫記憶の仕組みだ。初めてCRISPRに触れる読者には、ブロードインスティテュートによる入門解説も参考になる。この仕組みはゲノム編集ツールとして広く応用され、2020年のノーベル化学賞を受賞した研究の基盤ともなっている。
今回ウイルスで見つかった繰り返し配列がCRISPRと同様の機能を持つかどうかは、まだわかっていない。パートナーとなるDNA切断酵素も現時点では特定されていない。Anthropicのライフサイエンス部門責任者であるEric Kauderer-Abramsは「有望な糸口だ。難しいのは、それを完全に解析し、機能を理解し、興味深いツールへと発展させること」と述べている。
ウェットラボの位置付けと他のAIバイオラボとの違い
Anthropicのウェットラボは、AIによるインシリコ(計算機上)の探索と、実際の生体実験を一体運用する体制として設計されている。現時点での規模や人員構成の詳細は公開されていないが、AIエージェントが提示した仮説を人間の研究者がウェットラボで検証し、その結果を次の探索サイクルに反映するという往復型の研究プロセスが想定されている。
AIを活用したバイオ研究という文脈では、Insilico MedicineやRecursion Pharmaceuticalsといった企業がAI創薬の分野で先行しているが、これらは主に既知の薬剤ターゲットや化合物ライブラリの最適化に重点を置く。Anthropicの今回のアプローチは、ゲノムデータベースの広域スキャンから未知の生物学的メカニズムそのものを発見するという探索フェーズに特化している点で方向性が異なる。また、Google DeepMindのAlphaFoldがタンパク質構造予測という単一タスクに特化したのに対し、Anthropicのマルチエージェント系は「何を探すか」という問い自体をエージェントが動的に更新しながら進める点に特徴がある。
AIと「実験台」の壁
生物学研究においてAIの役割が広がる一方、Kauderer-Abramsは「生命科学研究は実際に物理世界で実験を実行することが必要だ。生物学は難しい」と明言する。数学の分野ではAI生成の解がこれまで未解決だった問題を突破する事例が相次ぎ、人間の専門家の役割が問い直されているが、生物学では人間の貢献が当面は不可欠だという立場だ。
Anthropicがこのラボで目指すのは、微生物研究における「奇妙なもの(weird things)の発見」を体系化し、スケールアップすることだとKauderer-Abramsは説明する。生物学における重要な発見の多くが微生物の「奇妙な特徴」から生まれてきたという歴史的経緯を踏まえた方針だ。
今回の発見はあくまでプレプリント段階であり、査読はまだ通過していない。AIエージェントがゲノムデータのスキャンで示した能力と、実際の実験室での検証がどのように連携するか——Anthropicのウェットラボが今後どのような成果を出すかが焦点となる。
詳細はAnthropic's AI biolab finds 'CRISPR-like' DNA in viruses. What's next?を参照していただきたい。