9月14日、Zvi Mowshowitzが「Brand New AI Solves a Millennium Prize」と題した記事を公開した。OpenAIの内部モデルがミレニアム賞問題の一つ「ナビエ-ストークス方程式」を解いたとされる出来事と、その背後で起きた研究者間の権利争いについて詳しく論じている。
本当のニュースはナビエ-ストークスではない
記事の著者Zviは冒頭でこう強調する。「最重要の話題は数学の結果ではない」と。
この一連の出来事には三つの話が絡んでいる:
- OpenAIの次期内部モデルが、当時の最先端モデルであるAstraを性能面で上回るまでに要した時間がわずか1週間だったとZviが指摘している
- そのモデルがトレーニング開始からわずか8日後にナビエ-ストークス方程式を解いた
- その結果をめぐるクレジット争いのドラマ
Zviは繰り返し読者に訴える。「プライズ(賞)ではなく、prize(本題)に目を向けろ」と。AI能力の進歩速度そのものが最大の話題だという主張だ。
なお「Astra」とは、2026年9月時点でOpenAIが運用している最先端モデルの一つを指す。Zviはこの記事において、次期内部モデルがAstraを「1週間で追い越した」と解釈・強調しているが、これはOpenAIの公式発表の文言をそのまま引用したものではなく、Zvi自身の読み解きである点に留意されたい。
ナビエ-ストークス問題とは何か
ナビエ-ストークス方程式は流体の運動を記述する偏微分方程式で、クレイ数学研究所が2000年に選定した「ミレニアム懸賞問題」7問の一つだ。解決には100万ドルの賞金が設定されている。今回の問題は「3次元における解の滑らかさと有限時間爆発」の証明に関するものである。
何が起きたか
人間の研究者による先行成果
数学者のTristan BuckmasterとLevent Alpoge(AlpogeはAnthropicに在籍)は1年かけて研究を進め、非圧縮多孔質媒体、Boussinesq方程式、3次元非圧縮オイラー方程式における有限時間爆発の証明を得た。ナビエ-ストークスの爆発についてもLean(定理証明支援系)での検証を進めていた。
AlpogeがAnthropicに在籍しているという事実は、後述するクレジット問題を複雑にした背景の一つである。OpenAIとAnthropicは競合関係にあるAI企業であり、Anthropic所属の研究者をOpenAIの成果論文に共著者として名を連ねさせることは、組織間の利害という観点から敏感な問題をはらんでいた。
Buckmasterは成果の着想について以下のように述べている:
このプログラムを始めたのも提案したのも我々ではなく、LLMでもない。基本アイデアはDiego CórdobaとLuis Martínez-Zoroa によるものだ。我々はLLMの助けを大いに借りながら、彼らの研究をさらに押し進めた。
OpenAIが動いた経緯
9月1日、OpenAIは「二つのミレニアム問題が解かれた」という(誤った)噂をインターネット上で耳にした。これを受けてOpenAIは、Astraより強力な内部モデルを使い、未解決のミレニアム問題すべてを探索するために数百万ドル規模の推論コストを投じた。その結果、ナビエ-ストークスを88時間で解き、さらに17時間でAstraがLeanによる形式化・検証を完了させた。
使用されたトークン数は以下のとおりだ:
ナビエ-ストークス問題の解決過程で、エージェントは270万件のメッセージを送信し、約1300億の出力トークンを使用した。全問題合計では490万件のメッセージ、3000億トークン。
一般ユーザー向けAPIの料金換算で約2200万ドル相当、内部コストベースでも数百万ドル規模とされる。
OpenAI CEOのSam Altmanは皮肉交じりにこう述べた:
「AIってバブルだよな。賞金が100万ドルしかないのに赤字でトークン売ってるの知ってたの?」
ミレニアム賞の100万ドルは誰も目当てにしていない。争点は常にクレジット(誰の成果か)だった。
ドラマの核心:クレジット争い
Buckmasterによれば、OpenAIのSébastien BubeckはBuckmasterに二つの提案を行った。
- Buckmasterたちがオイラーについてのみ先に発表し、翌日OpenAIがナビエ-ストークスの結果を発表する
- BuckmasterがナビエストークスをOpenAIの内部モデルに帰属させる形で単著で発表し、Anthropic所属のAlpogeを著者から外す
OpenAIとAnthropicが競合するAI企業である以上、Anthropicの研究者を共著者に含めることはOpenAI側にとって組織的な利害と衝突する。この構造が、クレジット問題を純粋な学術的慣行の話にとどまらせなかった。
Buckmasterはこれを拒否した。その後のやりとりとされる部分は生々しい:
Buckmasterより:「もしOpenAIが提案どおりに発表するなら、私は公開する」と伝えた。返答は「なぜキャリアを台無しにするのか?」だった。「私はアカデミアの人間だ。なぜ公開がキャリアを台無しにすると思うのか」と問い返すと、「優しくしたくないなら、優しくしなくていい」と言われた。
AlpogeはX(旧Twitter)で別の視点を述べている:
「コラボ自体はしたかった。著者順とかもどうでもよかった。ただ廊下での会話を聞いていたら——特に自分を論文から外せばミレニアム賞をあげるとか言い出した部分で——これはもう決まってるんだなと。ワイルドだし非戦略的だし不要だったと思う」
Bubeckはこれらの主張を強く否定しており、善意を示すスクリーンショットも公開した。Noam BrownやSam Altmanも倫理的に行動したと主張している。
「データを盗んだ」疑惑はどうなったか
一部から、OpenAIがBuckmasterらのCodexのチャットログを学習データに使ったのではないかとの疑念が浮上した。これについてOpenAI自身は「可能性は低いが否定できない」と最初に述べたものの、後に明確に否定している。
OpenAI(roon):「コール中に、Codex(オプトイン)のデータがトレーニングに含まれたかどうかを調べた結果、不可能だったことが明らかになった。確率はゼロだ」
Anthropic所属のSholto Douglasも同様の見解を示している:
「ユーザーデータが影響した可能性は極めて低い。OpenAIがユーザーのトランスクリプトをこの目的で引き出すことはないと思う」
ただしZviは、たとえ意図的なデータ流用がなかったとしても、研究者が自分の未発表の数学的アイデアをLLMのチャットで共有することのリスクについては、改めて考える価値があると指摘している。
AI能力の進歩速度が最大の問題
記事全体を通じてZviが最も強調したいのは数学の話ではない。次世代内部モデルが既存の最先端モデルであるAstraを短期間で上回ったという事実をOpenAIが公式に示唆したという点だ。OpenAIはプレスリリースで、「AIの進歩のペースについて世界に知らせることが重要だと考えている」と明言している。
ナビエ-ストークスの解決は、その証拠として提示された一事例にすぎない。数学の難問を解いたこと自体よりも、その解が生まれるまでにかかった時間とその意味こそが、Zviをして「最重要の話題」と言わしめた理由である。
詳細はBrand New AI Solves a Millennium Prizeを参照していただきたい。