9月11日、SC Moattiが「The Only 2 Moats That Actually Work In The AI Era」と題した記事を公開した。2025年初頭以降に5,000万ドル以上を調達したAI B2B企業576社のCrunchbaseデータを分析した結果、AI時代に本当に機能する「堀(Moat)」は対抗ポジショニングとネットワーク経済の2つだけだという。残りの構造は「堀っぽく見えるが堀ではない」と切り捨てられている。
著者のSC Moattiは、ベンチャーキャピタルMighty Capitalの創業マネージングパートナーであり、AmplitudeやGroqへの投資実績を持つ投資家だ。評価フレームワークには、競争優位性を体系化したHamilton Helmerの「7 Powers」を用い、各パワーの出現率と「調達額1ドルあたりの企業価値倍率(中央値)」をCrunchbaseデータの分析から算出している。
結論は明快だ。「構築コストがほぼゼロに近づいた今、モデルが生成できない堀だけが機能する」。
「AIを使っています」はもはや差別化にならない
今年のProducts That Count Product Awardsにノミネートされたプロダクトの97%がAIと深く統合されている。ピッチでAI活用を前面に出すことは、インフラの説明であって、ビジネスの説明ではない。
本質的な問いはこうだ。「今日、潤沢な資金と優れたモデルを持つ競合が参入してきたとき、自社のビジネスに何が残るか?」
機能する堀①:対抗ポジショニング(Counter-positioning)
対抗ポジショニングとは、新参者が既存プレイヤーにはコピーできないビジネスモデルを構築することで生まれる優位性だ。古典的な例がNetflixとBlockbuster。Blockbusterはサブスクリプションモデルを導入できたが、そうすると延滞料収入——店舗運営を支える収益源——が消滅する。だから動けなかった。
576社のCrunchbaseデータ分析において、この構造を持つ企業はわずか5%。しかし、調達額1ドルあたりの企業価値倍率(中央値)は5.3xと、分析した全パワーの中で最高水準だ。
具体的なパターンとしては、雇用主に直販するAIネイティブの保険会社(既存ブローカーは自社の引受マージンを毀損せずにはコピーできない)や、AI駆動の収益管理システム(既存ベンダーが追従しようとすれば高マージンのコンサル収益を失う)が挙げられている。
AI時代においてこの構造が特に有効なのは、モデルの性能が均質化するにつれ、技術的な差よりもビジネスモデルの設計そのものが参入障壁になるからだ。競合が「技術的には真似できるが、真似したら自社のコアビジネスが壊れる」という状況を作れるかどうかが問われる。
診断の問いはシンプルだ。「資金力のある既存プレイヤーが本気でコピーしようとしたとき、技術的には可能でも、自分たちが構築するコストより相手のコストの方が高くつくか?」。YESなら対抗ポジショニングが成立している。
機能する堀②:ネットワーク経済(Network economies)
ネットワーク経済は、ユーザーが増えるほど各ユーザーへの価値が高まる構造だ。LinkedInがその典型で、リクルーターが増えると候補者が増え、候補者が増えるとリクルーターが増えるという正のフィードバックが生まれる。
同データ分析での出現率はやはり5%だが、倍率は4.2x。対抗ポジショニングに次ぐ資本効率の高さだ。
B2Bにおけるネットワーク経済は特に見落とされやすいと著者は指摘する。個人ユーザーではなく、ブランドと工場、広告主とオーディエンス、プラットフォームとパートナーといった企業同士をノードとするネットワークがそれにあたる。取引を通じて蓄積されるコストデータや生産サイクル、行動データは時間とともに複利的に増加し、後から再現するのが難しくなる。
AIとの相性という観点でも、この構造は強固だ。モデルの性能はどの企業でも購入できるが、ネットワーク上に蓄積されたインタラクションの履歴や関係性のデータはカネで買えない。参加者が増えるほど予測精度や推薦品質が上がる設計になっていれば、競合がより優れたモデルを持ち込んでも追いつけない時間差が生まれる。
二面市場(Two-sided market)の立ち上げ(コールドスタート問題)は難しいが、そこを解決した創業者は、資金力と優れたモデルを持つ競合でも買えない資産を手にすることになる。
「堀っぽく見えるが堀ではない」落とし穴
囲い込みリソース(Cornered Resources)
独自データや独占的アクセスなどがここに含まれ、データセット内の44%の企業が保有する最多カテゴリだ。しかし同データ分析における倍率は2.6xと最低水準。ファウンデーションモデルと合成データの台頭により、プロプライエタリデータの優位性は侵食されやすい。「AIがデータを再現できない理由」を説明できないデータ優位は、時間とともに差別化力を失う。「時間とともに複製困難度が増す形で複利的に積み上がるか」という問いに答えられないデータ優位は、堀とは呼べない。
スイッチングコスト(Switching costs)
同データセットで37%と最も普及しているパワー。倍率はネットワーク経済と近い4xだが、その水準に到達するための資本コストが約10倍高い。深いエンタープライズへの組み込みが必要になるため、粘着性が発揮される前に高コストな営業サイクルが発生する。AI時代においてはさらに注意が必要で、エージェント型AIがシステム間の統合コストを下げ始めると、これまで「乗り換えが面倒」で成立していたスイッチングコストが急速に薄れるリスクがある。プロダクトレッドグロース(PLG)でコストを下げるか、ユーザー間の協働を設計してネットワーク経済へ転換できれば有効な道になる。
スケール経済(Scale economies)
OpenAIとAnthropicを除外すると、同データにおける倍率の中央値は6.1xから3.2xに崩壊し、カテゴリ全体の資本の88%がこの2社に集中している。「成長すれば単位経済性が改善する」という信念は、スケールの堀の構築とは別物だ。インフラコストの低下とモデルのコモディティ化が進む中、スケールだけを根拠にした優位性は特に脆弱になっている。
構造がなければ、それはプロダクトに過ぎない
576社のすべてがプロダクトにAIを組み込んでいる。4〜5xの倍率を獲得している企業は、AIの下に「モデルが単独では生成できない何か」を構築している。
その「何か」はビジネスモデルの設計かネットワークアーキテクチャにある。モデルの品質でも、機能の多さでも、データ量でもない。
詳細はThe Only 2 Moats That Actually Work In The AI Eraを参照していただきたい。