9月9日、Inside AIが「US Accuses Chinese AI Firms of Industrial-Scale Theft of AI Technology」と題した記事を公開した。米国の3つの安全保障機関が中国AI企業による産業規模の「蒸留(Distillation)」を使ったAI技術窃取を告発した件を詳しく紹介している。
告発の概要:蒸留という「合法的な手法」が問題に
米国家安全保障局(NSA)、サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁(CISA)、連邦捜査局(FBI)の3機関は共同声明を発出し、中国AI企業が米国の大規模AIモデルから技術を盗み取るために産業規模の蒸留操作を行っていると告発した。
蒸留(Knowledge Distillation)とは、大規模・高コストのモデル(教師モデル)の出力を使って、より小さなモデル(生徒モデル)を訓練する機械学習の手法だ。訓練コストと時間を大幅に削減できるため、西側のAIラボも社内でモデルの軽量化やエンタープライズ展開に広く使っている。技術そのものは違法ではない。
問題とされているのは、規模・意図・アクセスの正当性だ。米当局は中国側の活動として以下のパターンを指摘している:
- APIの悪用(大量クエリの送信と応答の収集)
- 合成データの大規模ハーベスティング
- 公開モデルへの組織的・系統的なクエリ
目的は、フロンティアモデル(最先端の大規模モデル)と同等の能力を、開発コストのごく一部で複製することだという。
なぜ今なのか:チップ規制から「モデル出力」へ戦線が拡大
今回の告発を理解するには、米中AI覇権争いのここ数年の経緯を押さえておく必要がある。米国は2022年以降、輸出管理規則(EAR)に基づきNVIDIA製GPU等の先端チップの対中輸出規制を段階的に強化してきた。2023年から2024年にかけては規制対象をクラウド経由のアクセスにまで拡大し、中国企業が第三国経由でチップを調達する「迂回ルート」の封鎖も進めている。
こうした規制強化の流れの中で注目を集めたのが、中国のDeepSeekが2025年初頭に公開したDeepSeek-R1だ。同モデルは西側フロンティアモデルに匹敵する性能を低コストで実現したとして世界的な話題を呼んだが、その訓練過程でOpenAIのAPIから蒸留を行った疑惑が浮上し、OpenAIが調査中と表明する事態に発展した。この「DeepSeek蒸留問題」は、チップ規制をかいくぐってモデル能力を獲得する手段として蒸留が機能しうることを米国当局に強く意識させた、とみられている。
今回の共同声明はその延長線上にあるが、規制の焦点がハードウェアからモデルの出力データへと明確に移った点が重要だ。フロンティアモデルへの直接アクセス(重みやインフラ)がなくても、APIの出力を大量収集すれば、輸出規制やライセンス制限を実質的に迂回できる。当局はこの点を強く問題視している。
セキュリティ研究者の間では、公開AIエンドポイントがマイニングに悪用されるリスクは以前から指摘されていた。数百万件のクエリを送り込んでレスポンスを収集し、それで競合モデルを訓練することは技術的に可能であり、正規ユーザーと類似したトラフィックを生成するため検知が難しいという問題がある。
防御側の現状と限界
一部の米国AIプロバイダーはすでにレート制限、電子透かし(ウォーターマーキング)、行動分析によって不審なクエリパターンの検出を試みている。しかし今回の当局声明は、これらの防御策が「十分なリソースを持つ敵対者には不十分」であることを示唆している。
法的・業界上の課題
法律専門家は、蒸留を法廷で立証することの難しさを指摘する。モデルの出力物はほとんどの法域で著作権保護の対象外であり、営業秘密の主張には不正アクセスの証拠が必要だ。類似したパフォーマンスを示すだけでは不十分となる。
共同声明は新たな制裁や起訴を発表していない。ただし、米国検察がAPIの悪用や不正なモデルアクセスを軸に事件を積み上げている可能性を示唆する内容だ。
また、今回の動きはオープンウェイトモデルの将来にも影響を及ぼしかねない。蒸留が「窃取」と定義されれば、AIプロバイダーはAPIアクセスの制限や商用利用ライセンスの厳格化を迫られる可能性がある。
告発が残す未解決の問題
今回の声明は疑問を多く残している:
- 具体的にどの企業が対象か(社名は一切公表されていない)
- どのような証拠が存在するか
- 今後の執行措置はあるか、あるとすれば時期は
元記事によれば、業界アナリストは今回の声明を「警告射撃」と見ている。中国企業に対し、米国がチップ購入だけでなく訓練パイプラインも監視していると伝えると同時に、米国クラウドプロバイダーに対して外国顧客のモニタリング強化を促す効果もあるという。
AI競争の戦場が「ハードウェア」から「データとモデル出力」へとシフトしていることを、今回の告発は改めて鮮明にした。
詳細はUS Accuses Chinese AI Firms of Industrial-Scale Theft of AI Technologyを参照していただきたい。