9月8日、Scientific Americanが「AI may have just solved a million-dollar math problem. The field will never be the same」と題した記事を公開した。AIが200年来の数学難問に迫った可能性と、その背後でOpenAIとAnthropicの研究者間に起きたとされる交渉の一部始終を詳報している。
「これはDeep Blueとカスパロフのチェスマッチのようなできごとだ」——そう書き記したのは、NYU(ニューヨーク大学)の数学者Tristan Buckmasterだ。1997年、IBMのDeep Blueが世界チェスチャンピオンのガルリ・カスパロフを破り、「コンピュータに人間は勝てない」という事実が刻まれた。Buckmasterは今回の出来事が、数学という分野にとって同等の転換点になり得ると述べている。
200年来の難問「ナビエ=ストークス方程式」とは
問題の核心はナビエ=ストークス方程式にある。浴槽の渦から大陸規模の嵐まで、あらゆる流体の運動を記述するこの方程式は、1820年代に定式化されてから約200年が経つ。それでもなお「現実のあらゆる状況で数学的に正確な解が存在するのか、それとも有限時間内に解が発散する(blowup)のか」という問いには誰も答えられていない。クレイ数学研究所はこの問題を「ミレニアム問題」の一つに指定し、解答者に100万ドルを懸けている。
「forcing」という見落とされていた項に着目
数年前、数学者のDiego CórdobaとLuis Martínez-Zoroa(マドリード自治大学ほか)が「forcing」と呼ぶ手法を考案した。クレイ研究所が定式化した問題には、大半の専門家が「無視しても構わない」と見なしてきた外力項が含まれている。この二人はその項を逆手に取り、方程式を数学的に「吹き飛ばす」ことでblowupを示す可能性を見出した。
Buckmasterはこのアプローチを引き継ぎ、Anthropicとアフィリエーションを持つ数学者Levent Alpogeとともに、AnthropicのLLMを活用しながら証明の構築を進めた。そして8月15日、二人はナビエ=ストークス方程式の「摩擦のない単純バージョン」に当たるオイラー方程式のblowupを証明することに成功した。Buckmasterはこれ単独でフィールズ賞に値する成果だと述べている。
証明は形式証明支援言語**Lean**(数学的証明をコンピュータが検証可能な形式で記述するツール)で検証できた。ただしLLMが生成した説明文は「ほとんど読めない」レベルで、二人はすべてのステップを人間が読める形に整理し直したという。
OpenAIが「一週間で先行した」とBuckmasterは主張
ここからが問題の核心だ。Buckmasterは声明の中で、自分たちの研究内容が先週中にOpenAIに漏れたと主張している。OpenAIはすでに独自チームでナビエ=ストークス問題に取り組んでいたが、二人の手法——特に「forcing」の着眼点——を知った後、先週末に集中的な作業を行い、社内モデルを用いてナビエ=ストークス方程式のフルblowupを証明したというのが彼の主張だ。
さらにBuckmasterは、OpenAIの研究者Sébastien Bubeck(GPT-4の技術報告書の主著者の一人として知られる)から電話があり、「ナビエ=ストークスの論文の単独著者にする代わりに、社内モデルが解いたことを論文内で認めてほしい」と持ちかけられたと述べている。同時に、AlpogeをAnthropicの従業員であることを理由に著者から外すよう求めたとも主張する。BuckmasterがメディアへのリークをちらつかせたところBubeckから「なぜキャリアを棒に振るのか?」と返されたと彼は記している。
OpenAIはこの記事の執筆時点でコメントを出していない。これらはあくまでBuckmasterの一方的な主張であり、OpenAI側の見解は現時点で不明である点は留意が必要だ。月曜日の深夜11時58分、BuckmasterはAlpogeとの連名で成果を公開し、同時にこの一連の経緯を記した声明を添えた。
「問題は本当に解かれた」のか
技術的な論点も残る。今回の証明はクレイ研究所が文書として定式化した問題の解答としては成立しうる。しかし多くの専門家が念頭に置いてきた「実質的な問題」は、「forcing」の外力項を含まないバージョンで語られてきた。その項を抜いた状態で同じblowupを示せるかは現時点で不明であり、「定式化の抜け穴を使っただけだ」という批判が出てくる可能性もある。クレイ研究所が100万ドルを支払うかどうかは、今後の専門家による精査次第だ。
またBuckmasterは声明の中で、AnthropicのモデルとBuckmasterとの会話履歴がOpenAIのモデルの学習データに混入していないかをBubeckに問いただした。Bubeckは「会話ログへのアクセスはない」と答えたが、学習データへの使用については回答を避けたという。
BuckmasterはMastodonへの投稿でこう述べた。「私の声明にある話より、はるかに大きな話がある。フロンティアモデルが今や何ができるか、それが私たちにとって何を意味するか、だ」。今回の件が示すのは、「AIが難問を解いた」という事実だけでなく、LLMが非公開のやり取りを通じて知識を「吸収」できる構造的リスク、AI企業が研究競争に割り込む速度、そして証明の功績は誰のものかという、これまで数学界が直面したことのない問いだ。
詳細はAI may have just solved a million-dollar math problem. The field will never be the sameを参照していただきたい。