9月8日、Wiredが「OpenAI Just Claimed a Huge Math Discovery. Some Academics Are Crying Foul」と題した記事を公開した。OpenAIが流体力学の根幹をなすナビエ-ストークス方程式をAIで解いたと発表したが、同じ問題を研究していた数学者たちが「先取りされた」「功績を奪われた」と声を上げ、AI時代における研究の優先権をめぐる争いが浮き彫りになった。
ナビエ-ストークス方程式は、水や空気などの流体の挙動を記述する約200年前の方程式だ。Clay数学研究所のミレニアム賞問題(各賞金100万ドル)のひとつに指定されており、具体的には「三次元空間における滑らかな解が常に存在するか、あるいは有限時間で爆発(特異点の発生)が起こりうるか」という問いが未解決のまま残っている。気象予測・航空工学・核融合炉設計など、現代の科学技術の根幹に関わる問題でありながら、世界中の数学者が数十年にわたって挑み続けてきた難問だ。OpenAIがこれを「AIで解いた」と主張したことは、数学・AI両コミュニティに大きな衝撃を与えた。しかしその発表の影には、独自に同じ問題に取り組んでいた研究者たちがいた。
OpenAIは何をしたか
OpenAIの数学・AI研究者Sebastien Bubeckによると、同社は8月28日に高度な数学的能力を持つ新しいAIモデルのトレーニングを開始した。その後、NYUの数学者らが同問題で進展を遂げているという情報を入手し、より多くのリソースをナビエ-ストークスに集中させる判断を下した。
最終的に1,000以上のAIエージェントが50時間以上にわたって問題に取り組み、日曜日の朝に解が確認されたという。証明は、数学的証明の形式的検証に使われるプログラミング言語Leanで検証済みとされており、リサーチ責任者Mark Chenは解決に要したコンピューティングコストが「数百万ドル規模」に上ると述べた。
ただし注意が必要なのは、OpenAIの主張がミレニアム賞問題の完全解決を意味するのか、それとも関連する部分的進展なのかという点だ。現時点でClay数学研究所による公式な評価はなく、同問題の「解決」の射程については独立した数学者によるさらなる検証が必要とされている。
「待ってくれ」——先行研究者の反発
ここで話が複雑になる。OpenAIの発表と同じ月曜日、NYUの数学者Tristan BuckmasterとAnthropicの研究者Levent Alpögeが、ナビエ-ストークス問題に関連した重要な成果を示す論文を公開した。AnthropicはOpenAIと直接競合するAI企業であり、その研究者が絡むという構図がこの騒動をさらに複雑なものにしている。2人はClaude・Codexなど複数のAIモデルを活用してこの研究を進めていたという。
BuckmasterはOpenAIを名指しした声明を発表し、次の2点を主張した。
- OpenAIは自分たちの研究を知った上で、大量のリソースを投入してナビエ-ストークスに取り組み始めた
- OpenAIから提示された選択肢の中に、Alpögeの名前を外した形でBuckmasterが単独で論文を発表するというオプションが含まれていた
さらにBuckmasterは、BubeckらにOpenAIのAIツール(Codex)のプロンプトログを自分たちの研究に利用したかどうかを確認したところ、「モデルはユーザーデータを参照していない」と言われたものの、学習データへの使用については明確な回答が得られなかったと述べている。
OpenAI側の反論
Bubeckはソーシャルメディアへの投稿でAlpögeの名前削除を提案したという主張を否定し、Sam Altman CEOも同チームの成果を擁護する声明を出した。プレスブリーフィングでBubeckは次のように語っている。
「研究者であれエージェントであれ、昨夜(Buckmaster&Alpögeが論文を)公開するまで、我々は彼らの研究内容を一切見ていない」
OpenAIのブログ記事でも「彼らが我々のサービスを利用した際の非識別化データがモデルの改善に寄与した可能性はゼロとは言えない」と認めつつ、証明のプロンプトや手法を流用していないと主張している。また同社の数学者Ven Chandrasekaranは、OpenAIのモデルが出した解とBuckmaster・Alpögeの解は性質が大きく異なると強調した。
この一件が問いかけるもの
「誰がいつ何をどこまで知っていたか」——この問いに、現時点で決定的な答えは出ていない。
エンジニア・研究者の視点で見て特に重要なのは、AIツール(CodexやClaude等)を使った研究活動が、そのプロバイダーのモデル改善に間接的に活用されうるという点だ。OpenAI自身がその可能性を完全には否定できていない以上、AIを研究ツールとして使う研究者にとって「自分の着想がモデルに吸収されるリスク」は抽象的な懸念ではなくなった。
AIが数学的証明の発見に関与する場面が今後さらに増えるなかで、功績・優先権をめぐる争いは形を変えながら繰り返される可能性が高い。学術コミュニティとAI企業の間で、研究データの利用ルールや成果の帰属に関する明確な合意形成が急務となっている。
詳細はOpenAI Just Claimed a Huge Math Discovery. Some Academics Are Crying Foulを参照していただきたい。