9月2日、Phoronixが「CERN Transitioning To Debian After Being A Longtime RHEL Institution」と題した記事を公開した。欧州原子核研究機構(CERN)が長年使用してきたRHEL系Linuxを離れ、Debianへ移行することを正式に発表したという内容だ。
移行対象は産業用コンピュータおよび組み込みシステム2,200台以上。その決断の引き金となったのが「コンパイラのデフォルトフラグ変更」という仕様変更だ。CERNの運用環境を知れば、これが単なるマイナーな設定変更ではなく、長期的な互換性に直結する問題だったことがわかる。
「最後の一押し」はコンパイラフラグだった
CERNといえば、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で知られる世界最大級の素粒子物理学研究機関だ。Linuxコミュニティでは長年の「RHELショップ」としても知られており、かつては他の教育・研究機関とともにScientific LinuxというRHEL派生ディストリビューションを共同メンテナンスするほど深く関与していた。
CERNはScientific Linuxを約10年間使用した後、2015年にCentOSへ移行。さらにCentOSをほぼ10年使い続けてきた。次のステップとして、RHEL(Red Hat Enterprise Linux)の上流開発版に位置づけられるCentOS Streamへの移行を「より自然な選択肢」として検討していたが、最終的にRHEL系を完全に離れる決断を下すことになった。
その決め手となったのが、RHEL系ディストリビューションにおけるコンパイラのデフォルトフラグ変更だ。具体的には、**-march=x86-64-v2** というフラグがデフォルトになったことを「古いハードウェアの強制的な陳腐化(forced obsolescence)」と捉えた。x86-64-v2はSSE4.2やPOPCNTなど2009年以降の命令セットを前提とするアーキテクチャレベルであり、それ以前の旧世代CPUでは動作しない。Red Hat側はパフォーマンス最適化の観点からこの変更を採用したが、粒子加速器の制御システムのような産業用・組み込みハードウェアは10〜20年単位の長期運用が前提であり、ハードウェアの世代交代が一般的なサーバー環境に比べて著しく遅い。こうした用途では、OSディストリビューション側の「最新CPU前提」への移行は即座に稼働不能を意味しうる。
スイスのMiniDebConfで正式発表
この移行は、スイスのヴィンタートゥールで開催されたMiniDebConfにて公式に発表された。CERNは2026年末までに、2,200台以上の産業用コンピュータおよび組み込みシステムをすべてDebian 13で稼働させる計画を掲げている。Debian 13(コードネーム:Trixie)は2025年にリリースされた最新の安定版で、長期サポートを前提とした産業用途での採用がしやすいタイミングでの発表となった。
セッションの詳細動画(AV1/WebM形式)はMiniDebConfの公式アーカイブから視聴できる。
移行の課題:産業用途に最適化されていないパッケージ管理
もちろん、Debianへの乗り換えはスムーズではない。CERNのエンジニアが直面している主な課題として以下が挙げられている。
- パッケージの自動ビルド・公開のための標準ツールが不足しており、公式ツールチェーンに多くのギャップがある
- 同一パッケージの複数バージョンを並行管理できないツールが多数存在する
粒子加速器の制御システムという特殊用途では、ソフトウェアのバージョン管理や再現性が極めて重要になる。この点でDebianの既存エコシステムが産業用途に最適化されていないことが、移行の難所となっている。
なぜRHEL系ごと捨てたのか
2023年にRed HatがRHELのソースコード公開ポリシーを変更したことを受け、多くの組織がAlmaLinuxやRocky Linuxといった代替のRHEL互換ディストリビューションへ移行した。CERNのようにRHEL系そのものを離れてDebianへ向かう事例は、それとは一線を画す判断だ。コンパイラのデフォルト変更という仕様変更が、規模・用途ともに特殊な研究機関にとってディストリビューション系列ごと乗り換える決断を促したことになる。
詳細はCERN Transitioning To Debian After Being A Longtime RHEL Institutionを参照していただきたい。