8月18日、Help Net Securityが「Google's open-source HEIR lets AI work with data it can't see」と題した記事を公開した。Googleがオープンソースの準同型暗号コンパイラ「HEIR」を開発し、AIが暗号化されたデータを復号せずに処理できる実用的な基盤を提供している。
「データを見ずに計算する」を実用化するHEIR
AIがセンシティブなデータを扱う際、最大の問題は「処理するには復号しなければならない」という矛盾だ。医療データや金融データをクラウド上のAIで分析したい場合でも、生データをサーバーに渡す必要があり、プライバシーリスクが生じる。
Googleが開発したHEIR(Homomorphic Encryption Intermediate Representation)は、この問題に正面から取り組むオープンソースのコンパイラ基盤である。HEIRの核心は、既存の学習済みAIモデルを、暗号化されたデータのまま推論できるモデルへと変換する機能だ。つまり、平文データ向けに設計されたモデルを書き直さずとも、暗号化入力に対応させられる。
準同型暗号(Homomorphic Encryption)とは、暗号化されたデータに対して直接演算を行い、復号後の結果が平文で計算したものと一致する性質を持つ暗号方式だ。データを復号しないまま計算できるため、処理中の情報漏洩リスクを原理的にゼロにできる。長年「計算コストが高すぎて実用的でない」とされてきたが、Googleはそのコストが下がりつつあると述べている。
HEIRの名称にある「IR(Intermediate Representation)」は、コンパイラ技術における中間表現を指す。HEIRはLLVMプロジェクト傘下のMLIR(Multi-Level Intermediate Representation)フレームワークをベースに構築されており、MLIRが持つ多段階の抽象化機構を活用することで、複数のFHEスキームやハードウェアターゲットへの対応を柔軟に拡張できる設計になっている。MLIRに馴染みのあるコンパイラエンジニアにとっては、既存の知識をそのまま活かせる点も導入障壁を下げる要因となる。
Pythonで書いて、暗号化対応コードを生成する
HEIRの使い方は実際どうなるのか。記事によれば、開発者はPythonでプログラムを書き、センシティブなデータを指定するだけでよい。あとはHEIRがそのプログラムを、暗号化データ上で動作する実装へとコンパイルする。
対応範囲は広く、以下の要素をサポートすることを目標としている:
- 複数のFHEスキームおよびライブラリ
- 複数のフロントエンドプログラミング言語
- GPU、TPU、FPGA、カスタムASICといったハードウェアアクセラレータ向けのコード生成
ハードウェア設計者はFHE計算の各段階でアクセラレータを組み込めるため、パフォーマンスのチューニングも行いやすい構造になっている。
研究から実用まで:4本の査読論文が誕生
HEIRはGoogleが2023年に計画を発表してから、FHE(完全準同型暗号)の開発・研究プラットフォームとして成長してきた。現時点で4本の査読付き論文がHEIR上に構築されており、さらに複数が準備中だという。
GoogleのスタッフソフトウェアエンジニアであるJeremy Kunは、暗号研究者がHEIRの既存インフラ(テスト・ベンチマーク・比較機能)を活用しながら特定の最適化に集中できると述べている。研究者がゼロから計測環境を作る必要がなくなる点は、研究サイクルの短縮につながる。
実際のユースケース:詐欺検知から音声認識まで
HEIRが想定するユースケースとして、記事では以下が挙げられている:
- プライベートレコメンデーション
- クレジットカード不正検知
- ネットワーク侵入検知
- ホットワード認識(ウェイクワード検出)
いずれも、センシティブなデータの中身をシステムが「見る」ことなく分析できる点が特徴だ。金融や医療分野での活用を想定しており、計算中のデータ露出を防ぐ。
HEIRのリポジトリはGitHubで公開されており、アプリケーション開発者・コンパイラエンジニア・ハードウェア設計者・暗号研究者の4つの役割を持つ開発者を対象としている。準同型暗号の「実用化コスト」が下がるタイミングに合わせて、MLIRという実績あるコンパイラ基盤の上にFHEツールチェーンが整備されてきたことは、プライバシー保護AIの開発環境が具体的なフェーズに入ってきたことを示している。
詳細はGoogle's open-source HEIR lets AI work with data it can't seeを参照していただきたい。