8月14日、Anthropicが「How Claude's text watermarking works」と題した記事を公開した。将来のClaudeモデルが生成するテキストに電子透かし(ウォーターマーク)を埋め込む仕組みと、その技術的詳細を解説した内容だ。
注目すべきは、このウォーターマークが「テキストに何かを付け足す」方式ではない点だ。LLMが文を生成する際に毎回行っている「どちらの単語を選ぶか」という確率的な選択を、鍵付きのハッシュで制御するだけで実装されており、生成される文章の品質にも、料金にも、速度にも一切影響しない。「何も変えずに刻印を残す」——その仕組みを以下に紹介する。
なぜ今ウォーターマークなのか
背景にあるのはEU AI Actへの対応だ。Anthropicは2026年7月、約190の署名者とともにEUのAI生成コンテンツ透明性に関する行動規範(Code of Practice)に署名した。これにより2026年8月2日以降、EUのAI提供者はテキストにマーキングを施すことが義務付けられた。Anthropicは地域スコープを限定する手段がまだ整っていないとして、グローバルに展開する方針を選んだ。OpenAIやGoogleなど他の主要モデル開発者も同じ行動規範に署名しており、各社が独自のウォーターマークを実装することになる。
仕組みの核心:乱数の「出どころ」を変える
LLMがテキストを生成するとき、次の単語を毎回確率的に選んでいる。「今日の天気は寒くて…」の続きが「overcast(曇り)」でも「grey(灰色)」でも意味はほぼ変わらない。このようなどちらでもよい選択が、ウォーターマークの埋め込み先になる。
通常の生成ではこの選択を乱数で決めるが、ウォーターマーク有りの場合は乱数の発生源を特定の鍵(キー)と直前の数単語から生成されたハッシュに変える。選ばれる単語は依然としてランダムに見えるが、後から鍵を使って「この単語の並びは、鍵を使って選んだ場合と一致するか?」を検証できる。Anthropicは元記事の中でこれを「モノポリーのサイコロを円周率の数列に替えるようなもの」と喩えている。ゲームのプレイ体験はまったく変わらないが、後から数列を確認すれば「このゲームは円周率を使ったか」を判定できる、という論理だ。
採用しているのはGoogle DeepMindが2024年にNature誌で発表した**SynthID-Text**の手法で、暗号学者のScott Aaronsonが2022年に提案したアプローチを起源とする一連の技術に属する。
品質・コスト・プライバシーへの影響
Anthropicの内部テストでは、ウォーターマーク有り・無しで内容・創造性・読みやすさに差はなかったと報告している。SynthID-Textの論文でもGoogle DeepMindがGeminiのトラフィックの一部に適用して比較したが、ユーザー評価に統計的有意差なしという結果が出ている。実装上の特徴をまとめると、隠し文字・追加トークンは一切なし、トークン数が増えないため料金も変わらず、速度への影響は無視できる程度。さらに鍵にもウォーターマーク自体にも個人・組織・チャット履歴との識別情報は含まれない。
ウォーターマークが機能しないケース
ウォーターマークは「選択の余地がある場所」にしか付かない。そのため短いテキスト(選択回数が少なく統計的根拠が不十分)、固有名詞の羅列(正解が一つに決まる箇所)、文法校正のみ(元の人間の文章がほぼそのまま)、コード(構文上の制約が強い)では検出精度が落ちる。一方、翻訳はすべての単語をClaudeが選ぶため有効に機能する。
また、ウォーターマークが示せるのは「Claudeが関与した可能性の確率」だけだ。「Claudeが書いた」と「Claudeが大幅に編集した」の区別はできないし、別のAIが書いたテキストの判定にも使えない。既存のAI検出ソフト(Pangram、GPTZeroなど)が「AIが好んで使う表現パターン」を統計的に検出する方式とも根本的に異なる仕組みだ。テキストを全面的に書き直せばウォーターマークは除去できるが、Anthropicは「その場合、もはやAI生成コンテンツと言えるかは議論の余地がある」と述べている。
今後の展開としては、ウォーターマーク検出APIが近く提供予定(詳細は調整中)。画像・ファイル(.png/.jpg/.svgなど)については、C2PA(Coalition for Content Provenance and Authenticity)という業界標準の暗号署名メタデータを付与する別方式を採用する。旧Claudeモデルへの対応は数ヶ月以内に順次進める予定だという。
詳細はHow Claude's text watermarking worksを参照していただきたい。