8月11日、Bob Morseが「AI-Native, Not AI-Sprinkle: Why AI Is A Business Change, Not A Technology Change」と題した記事を公開した。AIツールを既存の組織に「振りかける」だけでは生産性向上が頭打ちになり、チームの構造と仕事の中身そのものを再設計しなければ真の競争力は得られないという主張だ。その証拠として記事が挙げるのが、当初18ヶ月かかるはずだった開発を15週間で完了させたHRソフトウェア企業の実例である。
18ヶ月の計画を15週間で終わらせた
記事の著者Bob Morseは、Strattam Capitalの共同創業者でマネージングパートナー。ソフトウェア企業への投資を30年以上続けてきた人物だ。
記事の核心は、Strattamが投資するHRソフトウェア企業HireRoadの実例から始まる。同社は老朽化したソフトウェア製品の完全書き直しを計画しており、当初の見積もりは18ヶ月・エンジニア30%増員だった。
2024年12月にCEOに就任したJeff Fernandezは、2月の取締役会でこの計画を白紙に戻す代替案を提示した。内容はシンプルだが急進的なものだった。エンジニアリングチームの組織設計と個々のジョブ定義を変え、既製のAIツールを最大限活用できるよう「人々が一日何をするか」を変えるというものだ。
結果:15週間で開発完了(当初計画比で大幅短縮、さらにスケジュールより1週間早い)。最初の34顧客は新プラットフォームへの移行済みで稼働中。そして当初予定していた増員30%分のエンジニアを別の開発に充てられる余力まで生まれた。
Morseは「30年のキャリアでこれほどの速度でこの規模のタスクを達成した組織を見たことがない」と記している。
「AIスプリンクル」と「AIネイティブ」の違い
Morseが本記事で中心に置く概念が、AI-Sprinkle(AIスプリンクル)とAI-Native(AIネイティブ)の対比だ。
Strattamは2024〜2025年にかけて、ポートフォリオ企業のエンジニアリングチームにGitHub CopilotやClaude CodeといったAIツールを導入した。Strattam自社ポートフォリオ全体のデータによれば、生産性は10%向上し、20%になり、現在は約30%向上に達している。
しかしどの企業も、この30%前後で頭打ちになっていた。
Morseはこの状態を「AIスプリンクル」と呼ぶ。既存の組織・プロセスにAIをかけただけの状態だ。一方「AIネイティブ」は、会社の設立時期を指す言葉ではなく、「一日の仕事のやり方」を指すと定義している。AIツールを最初の選択肢とし、人間はオーケストレーション・調整・コミュニケーションに徹するアプローチだ。
そして最大30%の壁を越えて3倍の生産性を得るには、AIスプリンクルではなくAIネイティブへの移行が必要だと主張する。
なぜ組織は革命的な変化を避けるのか
Morseはこの問いを分析するため、Stanfordのロバート・バーゲルマン教授の戦略フレームワークを引用する。バーゲルマンは長年Intelのケーススタディを通じて企業の戦略行動を研究してきた経営学者であり、Strattamがポートフォリオ企業の経営判断を評価する際に活用している戦略論だ。バーゲルマンは戦略行動を2種類に分類した。
- 誘発的戦略(Induced):既存の組織構造・方向性に沿った進化的な改善。AIツールを既存プロセスに差し込む行為はこれにあたる。
- 自律的戦略(Autonomous):現行の事業計画の外側から生まれる革命的な転換。AIに合わせてチーム構造と仕事の定義を根本から変える行為がこれだ。
AIスプリンクルは誘発的戦略であり、最大30%の改善止まり。3倍の改善には自律的戦略、すなわち革命が必要だと結論づける。
記事が引くアナロジーが鋭い。製造業における電気の普及だ。工場の蒸気エンジンを電気モーターに置き換えるだけでは生産性はほとんど上がらなかった。工場のレイアウト自体を水平に再設計し、小型電気モーターを各所に分散配置して初めて、生産性は急伸した。道具を入れ替えるだけでは不十分で、工場の設計思想ごと変える必要があったという教訓だ。
Morseがより直接的に引くのが、Intelのアンドリュー・グローブのエピソードだ。メモリチップ事業で日本企業との価格競争に追い詰められていた当時、グローブは共同創業者ゴードン・ムーアにこう問いかけた。「もし我々がクビになって新しいCEOが来たら、彼は何をすると思う?」ムーアは即答した。「メモリから撤退するだろう」。グローブは言った。「では、今すぐ自分たちでそれをやろう」。
Morseはこの「グローブの思考実験」を読者に勧める。「自分がクビになり、新たに雇われたCEOが今日この会社でAI時代に勝つために何をするか?」を自問せよ、と。
HireRoadが実際にやったこと
3倍の成果を出したHireRoadの実践が示唆に富むのは、AIツールの選定よりも「人とプロセスの再設計」に重点が置かれていた点だ。記事が挙げる具体的な取り組みは以下の通りだ。
- 技術リーダーシップが、AIツールの活用を前提とした一日ごとの時間の使い方を再定義してチームに展開
- 営業リーダーとエンジニアが連携し、素早く作ったプロトタイプを顧客に渡してユーザーフィードバックループを短縮
- バグが発見されると、システムが自動でログを取り修正コードを生成、「人間によるレビュー」を経て公開するフローを構築
- カスタマーサポートを移行計画の設計・コミュニケーションに参画させ、顧客の安心感を確保
特筆すべきは、これらの変化が単なるツール活用の話にとどまらない点だ。営業・エンジニアリング・カスタマーサポートという従来は分断されがちな職能を、製品リリースサイクルの中に一体的に組み込んでいる。いわば職能ごとの壁を取り払い、AIを媒介にした新しい協働モデルを構築したと言える。
結果として、チームはより少人数でより上級の構成になり、空いたリソースは他のプロダクトラインへのAIネイティブ展開に充てられた。
経営者への問いかけ
Morseはこの変化を、自身のPEキャリアにおける第三の経営イノベーションと位置づける。第一が1980年代のコスト構造改革とエクイティ連動報酬、第二が2010年代のSaaSへの転換だ。いずれの波も、早期に実践した投資家が大きな果実を得た。
米国には現在、約1万社の非上場ソフトウェア企業が存在する。競合が3倍の速度で動き始めれば、同じことを同じ方法でやり続ける企業は、一度に倒れるのではなく、徐々に干上がっていくとMorseは警告する。
詳細はAI-Native, Not AI-Sprinkle: Why AI Is A Business Change, Not A Technology Changeを参照していただきたい。