8月10日、kuber.studioが「Humanising LLM Outputs is Dumb」と題した記事を公開した。LLMの出力を「人間らしく」するプロンプト設計が、情報の損失や障害の隠蔽を引き起こすという問題を論じた内容だ。
マルチエージェント構成が本番環境に浸透し始めた2026年、エージェント同士が連携して複雑なタスクをこなす場面が増えている。そのなかでGitHubやXでは「LLMをより人間らしく話させる」プロンプトテクニックが次々と広まっている。「I have ADHD」スキル(出力を短く・箇条書き・要点のみにするプロンプト集)や、ASD-STE100(Simplified Technical English:航空宇宙分野発の「曖昧さを排した技術英語規格」)でのみ応答するよう指示するAgents.mdの設定などだ。LLMが吐き出す冗長で独特な文体を嫌う気持ちは理解できる。しかし記事は、その解決策自体が間違った抽象化だと主張する。
問題の核心:圧縮は不可逆的な損失を生む
「短い文で答えろ」「専門用語を避けろ」「最重要の情報だけ含めろ」——これらの指示は、出力のスタイルを変えているのではない。モデルが推論・作業する過程そのものに介入している。
エージェントはタスクを実行しながら、常に出力を低帯域フォーマットへ圧縮し続ける。この圧縮は不可逆的(lossy)だ。何が削られたかは、出力が綺麗に読めるせいで気づきにくい。
ASD-STE100はその典型例だ。人間の技術者向けドキュメントを曖昧さなく書くために設計された規格であり、それ自体は合理的に見える。しかしエージェントは人間のテクニカルライターではなく、生の状態こそが最も情報密度の高い表現である。にもかかわらず、そのスタイル規則が「タスクを解け」「ツールを正しく使え」「抽象を壊すな」と同じ命令リストに並ぶ。エージェントに文体を強制することは、データベースに「ダッシュボード向けのきれいな形式でデータを保存せよ」と命じるようなものだ。
マルチエージェント構成で問題はさらに深刻になる
サブエージェントがバグを調査し、「人間が読みやすいサマリー」に変換する。親エージェントがそのサマリーを読み、さらに人間向けサマリーに変換してユーザーに渡す。情報は二重に圧縮される。
たとえばサブエージェントが6つのテストを実行した場合、受け取りたいのはこちらではない:
Most tests passed, although there was one issue worth looking into.
(ほとんどのテストはパスしたが、調査すべき問題が1件あった)
受け取りたいのはこちらだ:
5/6 PASS
FAIL: test_cache_invalidation
CAUSE: stale key survives restart
REPRO: tests/cache_test.py:184
前者は読みやすい。しかし、どのテストが落ちたのか、原因は何か、再現方法はどこか——意思決定に必要な情報がすべて消えている。エージェントが「人間らしく」まとめるほど、後段のエージェントや人間が使える情報は薄くなっていく。
「人間らしさ」は障害を隠す
エージェントは有用な形で失敗する——矛盾した証拠、未解決の分岐、スタックトレース、不確かな前提。人間的な文章はこれらを次のような一文に変換する:
There are a few considerations here.(いくつか考慮すべき点があります)
聞こえはいい。しかしエージェントがハルシネーションを起こしているのか、コンテキストウィンドウの限界に近いのか、あるいは単に不確実なのかを知る機会を失う。滑らかな文章は障害を隠蔽する。
既存のシステムはその逆の設計をしている
データベースはダッシュボードの表示形式でデータを保存しない。コンパイラはIR(中間表現/Intermediate Representation:最適化や解析のために使われるコードの内部表現)を読みやすくしない。APIはフレンドリーなサマリーを交換しない。高忠実度の表現を可能な限り保持し、人間が消費する境界でのみ変換する——これがあらゆるシステムの設計原則だ。LLMツールは今、これを逆にやっている。
正しい設計はどこにあるか
記事はアクセシビリティや個人化を否定しているわけではない。三行の回答が欲しければいい。Simplified Technical Englishが好みなら使えばいい。ただし、それは最後のステップで行うべきだ。
具体的には、エージェント間の通信はスキーマ・差分・正確なエラーコード・確信度・出典(provenance)をそのまま交換する。そして人間との境界でのみ、簡潔な人間向け表現に変換する。これはUIがデータベースのraw値を整形して表示するのと同じ発想であり、特別なことではない。
「ADHDのように話しかけてくれ」はレンダラーとしては意味をなすが、動作指示としてはほとんど意味をなさない。流行しているGitHubリポジトリの群れは正しい未来への入口ではなく、スタックのより深い場所で解決すべき問題のバグレポートだ——そう記事は締めくくる。
詳細はHumanising LLM Outputs is Dumbを参照していただきたい。