8月4日、Quanta Magazineが「Why the Legendary Erdős Problems Are Falling to AI」と題した記事を公開した。AIが数学者パウル・エルデシュの未解決問題を解き始めている現象と、その背景にあるコミュニティの変化について詳しく紹介されている。記事の軸は一人のイギリス人数学者が立ち上げたウェブサイトにある。そこを起点に、AIの急速な進化と、プロ・アマを問わない新しい数学コミュニティの誕生が絡み合いながら展開する。
AIが「エルデシュ問題」を解き始めた
2026年5月20日、OpenAIは内部AIモデルが1946年にパウル・エルデシュが提唱した「単位距離問題(unit distance problem)」の反例を発見したと発表した。単位距離問題とは、平面上にn個の点を配置したとき、点対の距離がちょうど1となる組み合わせの最大数を問う問題で、シンプルに記述できる一方で数学的に深く、長年の未解決問題として知られてきた。歴史的に重要なこの未解決問題に対してAIが初めて実質的な貢献を果たした事例として、数学界に衝撃を与えた。
モデルの解は決定的なものではなく、数週間以内に人間の数学者が大幅に改善した。しかしそのアプローチは独創的で、従来この問題に適用された実績がなかった数学の別分野のアイデアを取り込んでいた。さらにその数日後、関連技術が他の重要な問題の解決にも使われた。
続く8月1日には、OpenAIが未公開モデル「Astra」が数学において10件の新たな進展を達成したと発表。そのうち3件はエルデシュが残した問題の解決だった。これらの発表は時期が近いため混同しやすいが、単位距離問題の反例発見が「AIによる未解決問題への最初の本格的な貢献」であり、Astraの10件発表はそれに続く展開として位置づけると理解しやすい。
プリンストン大学のノガ・アロン(Noga Alon)は「これらのモデルは数学研究のあり方を劇的に変えている」と述べた。アロン自身、数十年のキャリアでエルデシュ問題を何十も解いてきた数学者だ。
すべての起点は一人のイギリス人数学者だった
この流れの源流を辿ると、トーマス・ブルーム(Thomas Bloom)というマンチェスター大学の数学者に行き着く。数論と組合せ論の交差領域である「算術組合せ論」を専門とする彼は、2023年初頭にエルデシュ問題を一覧化したウェブサイトerdosproblems.comを立ち上げた。
もともと自分用のメモとして始めたこのサイトは、やがて数百の問題を収録するデータベースへと成長した。ブルームはChatGPTを使ってサイトのPythonコードを書いたが、当時LLMと数学で本格的に協業することはまだ夢物語だったという。
2025年8月にコメント機能を追加すると、サイトはコミュニティの中心地になっていく。2024年から2025年8月までの間に、サイト上で「未解決」から「解決済み」に変わった問題は111件に上る。
テレンス・タオと「名もなき数学好き」の共演
サイトが生んだ最も象徴的なエピソードの一つが、ワウター・ファン・ドールン(Wouter van Doorn)の話だ。彼はベルギーのKUルーヴェン大学で数学の修士課程をほぼ修了したが、現在は他社のカスタマーサポートを担うB2B企業に勤めている。プロでもアマチュアでもない存在だ。
2025年10月、ファン・ドールンはエルデシュ問題1102に最初のコメントを投稿した。11月には自力で解法の進展を書き込む。同日、別のユーザーがその論理の欠陥を指摘。ファン・ドールンが反論し、相手を説得すると、「あなたの議論がわかった。いいね!」という返信が来た。
その「別のユーザー」はテレンス・タオ、UCLA教授にして現代で最もよく知られる数学者だった。
「この共同作業はトムのウェブサイトとコメント欄なしには不可能だった」— ファン・ドールン
テニュアがあるかどうか、どの大学にいるか、あるいは大学にいるかどうかすら関係なかった。良いアイデアがあれば共同研究者を見つけられる場所になっていた。
「AIをガスライティングする」プロンプト術
2025年末、ケビン・バレト(Kevin Barreto、ケンブリッジ大学学部生)とリアム・プライス(Liam Price、数学を途中まで学んだ後に中退)の二人組が、AIを使ってエルデシュ問題を系統的に解く試みを始めた。
彼らが早期に発見した重要な知見がある。GPT-5.2に「この問題の答えはまだ知られていない」と伝えると、AIはほとんど進展できない。 そのため、問題が実際より簡単であるかのように思い込ませる「ガスライティング」的なプロンプトを工夫するようになった。ここでの「ガスライティング」はAIに対して事実と異なる前提を信じ込ませる操作という比喩的な意味で使われている。
プライスが確立した手法はシンプルだ。①チャットボットに解を求める、②その解を新しいセッションのチャットボットに渡して検証させる、③これを実用的な解が得られるまで繰り返す。これはAI企業が内部的に開発している「ハーネス」や「スキャフォールド」と呼ばれる自動化手法と本質的に同じアプローチだ。
2026年1月4日、彼らはGPT-5.2 ProでエルデシュNo.728(ある数が別の数で割り切れる条件に関する問題)の解を発見。AI証明検証ツール「Aristotle」(スタートアップHarmonic製。AIを用いて数学的証明の論理的整合性を自動検証するツール)で論理的整合性を確認し、別の参加者がChatGPTを使って証明を形式化・公開した。
課題:誰も読まない100ページの証明
一方でブルーム自身は懸念を隠さない。
「数学的バックグラウンドが十分でない人々がAIを使い、AIが生成した証明をAIに検証させて論文を書く。人間が一度も読まない100〜200ページの論文が増えている。これは大きな課題だ」— トーマス・ブルーム
なぜエルデシュ問題がLLMの試験場として適しているのか。第一に、数論・組合せ論・グラフ理論という、LLMが比較的得意な分野に集中しているから。第二に、問題の難易度と重要性のばらつきが大きく、能力の幅が広いAIに適したベンチマークになっているからだ。
AIが数学研究をどこまで変えるのか。その問いへの答えは、エルデシュの未解決問題リストとともに、今も更新され続けている。
詳細はWhy the Legendary Erdős Problems Are Falling to AIを参照していただきたい。