8月1日、El Paísが「Yang Zhilin, the rock enthusiast dreaming of AI's other side」と題した記事を公開した。中国のAIスタートアップMoonshot AIの創業者・楊植麟(Yang Zhilin)の人物像と、同社が開発した最新モデルKimi K3がシリコンバレーに与えた衝撃について詳しく紹介されている。
OpenAI社長が「pretty good」と認めた中国モデル
Moonshot AIの最新モデル「Kimi K3」は、OpenAIやAnthropicの最強モデルに匹敵するパフォーマンスを低コストで実現した。さらにオープンウェイト(重みを公開し、ダウンロード・改変・派生利用が可能な形式)としては現時点で世界最大規模のモデルだ。
OpenAI社長のGreg Brockmanはこのモデルについて「It's a pretty good model. There's no question about it.」と述べた。競合他社のトップがここまで率直に認めるのは珍しい。このBrockman発言が象徴するように、Kimi K3は単なる「中国産モデル」の枠を超え、グローバルなAI競争の構図そのものを揺さぶる存在として受け止められた。
その影響はウォール街にも及び、PHLX半導体指数は弱気相場圏(ベアマーケット)に突入した。AnthropicのCEO・Dario Amodeiは数ヶ月前、中国モデルはClaudeより6〜12ヶ月遅れていると見積もっていたが、その計算を見直す必要が出てきた。
米国の半導体輸出規制という逆風の中、中国勢は「アルゴリズム効率の改善」という迂回路で対抗している。少ないリソースでも動作できるシステムを作れば、最先端チップがなくても競争できる——Kimi K3はその証左の一つだ。こうした文脈を踏まえてこそ、Brockmanの「pretty good」という言葉の重みと、その発言が引き起こした波紋の大きさが理解できる。
村上春樹がコンピューターサイエンスに引き込んだ
楊植麟、現在34歳。外見はまだ10代に見えると記事は描写する。彼のキャリアの出発点は、意外にも日本の小説家・村上春樹の作品だった。
大学では最初に熱工学を専攻していたが、2年後に村上春樹の小説を読んで進路を変えた。作品の内容は覚えていないが、登場する「優れたプログラマー」のキャラクターに触発され、コンピューターサイエンス学科へ転籍を決意したという。その決断について彼は後にこう語っている。
「その後に起きたすべてのことが、コンピューターサイエンス学科への転籍が、自分が下した最も重要で正しい決断だったと証明してくれた」
高校時代には地域のコンピューターサイエンスオリンピックで優勝し、習近平国家主席の母校でもある清華大学に進学。大学時代は音楽にも傾倒し、友人2人とバンドを結成してドラムを担当した。バンド名は「Splay」——コンピューターサイエンスで使われる自己調整型データ構造(スプレー木)にちなんでいる。
CMUで博士号、そして帰国
2015年に清華大学を卒業後、楊はカーネギーメロン大学(CMU)の博士課程へ進学した。指導教官の一人であるRuslan Salakhutdinovは、CMU在籍中にAppleのAI研究部門にも関わっていた人物で、機械学習分野の第一人者として知られる。もう一人の指導教官William W. Cohenは後にGoogleと関わることになる。なお、Salakhutdinovが楊を指導したのはあくまでCMUの博士課程においてであり、Apple在籍との前後関係については元記事の記述に基づく。
博士課程を4年で修了し、機械学習分野で影響力のある研究を発表。GoogleとMetaでリサーチインターンも経験した。シリコンバレーに残る選択肢は十分にあったが、彼は中国に戻り自分で会社を立ち上げることを選んだ。
Salakhutdinovは後にXでこう書いている。
「彼は絶対に brilliant だ。自分の会社を起こすことを少なくとも試みなければ、一生後悔すると言っていたのを覚えている。私はそれを尊重した。そして彼は正しかった」
2022年末のChatGPT登場が転機となった。自分がその突破口に関わっていなかったことへの悔しさと、その可能性への興奮が混在したと記事は伝える。同年末に渡米して市場を調査し、1億ドルの資金調達ができると確信した。
Moonshot AI:Pink Floydから社名をつけた会社
2023年3月、楊はMoonshot AIを創業した。中国語社名はPink Floydの名盤『The Dark Side of the Moon』のタイトルから取られている。最終的な調達額は約3億ドルに達し、AlibabaやTencentといった中国テック大手が出資している。Bloombergによれば、直近の資金調達ラウンドで企業評価額は310億ドル超。IPOも準備中とされ、500億ドルの評価を目指しているという。
楊のビジョンは短期的なプロダクト競争にない。「来年どのAI製品が市場を制するか」ではなく、「20年後にAIが世界をどう作り変えるか」を問い続けている。
「人工汎用知能(AGI)が実現したとき、あるいはそれを超える知能が現れたとき、今日存在するすべてのものが書き直される」(2024年、Tencent Newsへのインタビュー)
「不正行為」疑惑
Kimi K3のリリース直後、ホワイトハウス科学技術政策局長のMichael Kratsiosは、Moonshotが米国の輸出規制にもかかわらずNvidiaチップを入手していると非難した。また、AnthropicのモデルをKimi K3の学習に「ディスティレーション(知識蒸留)」したとも主張している。本記事執筆時点でMoonshot側の公式な反論は確認されていない。読者はこの点を念頭に置きつつ、今後の動向を注視していただきたい。
大学時代、楊は「成功したスタートアップを立ち上げ一夜にして金持ちになる夢想」を題材にした曲を書いた。その曲は「物質的な野心だけに突き動かされる人間にはなるな」という自戒として機能したと本人は語る。月の暗い面に足を踏み入れるという壮大な夢を持ちながら、地に足をつけておくこと——楊植麟という人物を理解する上で、この姿勢は一つの核心だ。
詳細はYang Zhilin, the rock enthusiast dreaming of AI's other sideを参照していただきたい。