7月31日、Bert Hubert氏が「AI: Considerations for people who make decisions」と題した記事を公開した。「すべての自治体が今年中にCopilotを導入しなければならないのか」「オランダ議会がなぜ全職員に一斉展開しなければならないのか」——この問いに明確に答えられる意思決定者は、果たして何人いるか。本記事はその問いを正面から突きつけ、AI推進派・反対派いずれにも偏らない評価軸を提示する。
本記事は、オランダの公共調達・政策ネットワーク(NPD:Nedierlandse Publieke Diensten)と、オランダの独立した科学技術政策諮問機関であるAWTI(Adviesraad voor wetenschap, technologie en innovatie)への講演をベースに執筆されたものだ。著者のBert Hubert氏は、AI推進派と反対派が極端に分断されている現状を指摘しつつ、「双方が読んで少し賢くなれる記事を書きたかった」と述べている。
AIを「くだらない」と切り捨てられない理由
反AI派へのカウンターパンチとして、Hubert氏はまずノーベル化学賞を持ち出す。AIモデル(AlphaFold)はアミノ酸配列からタンパク質の三次元構造を直接予測することを可能にした。これは人間には不可能であり、従来のコンピュータでも意味のある形で解決できなかった問題だ。2024年のノーベル化学賞はDemis Hassabis氏らに授与されており、ライデン大学もこの受賞を完全に正当なものと評価している。
また、コード翻訳・音声文字起こし・バイブコーディング(Vibe Coding:自然言語の指示だけでコードを生成・動作させる開発スタイル)による個人的な開発体験など、AIが人々に「今まで不可能だったことができた」という体験をもたらしているのは事実である。プログラミング未経験者が週末に写真整理ツールを作り上げて月曜日に出社してくる、そういう現象は実際に起きている。
しかし「感動した」は組織の判断基準にならない
ここが記事の最も重要な指摘だ。
個人的にAIで好経験をした人間が、組織全体の導入判断を下すのは危うい。 Vibe Codingで作ったアプリが「すごい」と感じても、それが保守可能か、セキュアか、GDPRに準拠しているか、実際のユーザーが必要としているものかを判断するには別の専門性が要る。バックアップは機能するか。特定の端末でクラッシュしないか。データはどこに保存されているか。こうした問いに答えられるのは、エンジニアや現場の運用担当者であって、週末に感動した経営幹部ではない。
さらに深刻なのは、多くの組織でAIが実際に成功しているかどうかを評価する仕組みが失われているという点だ。「AIは未来だから」という前提のもと、導入前に目標を定義せず、成果を測定しない。「気持ちよかった」では経営判断として不十分だ、とHubert氏は明言している。
無視できないリスクの束
Hubert氏は「他の全員がスルーしているけれど」と前置きしつつ、以下の問題を列挙する。各リスクは独立した懸念ではなく、組み合わさることで意思決定者の選択肢を構造的に狭める性質を持っている点に注意が必要だ。
著作権訴訟: 主要なLLMプロバイダーはほぼすべて、出版社・メディア・新聞社との大規模訴訟を抱えている。通常であれば取引を躊躇うような法的リスクを抱えた企業と、なぜAIだと普通に契約できるのか。IP侵害の補償をベンダーに求めたとき、明確な回答が返ってくるかどうかを確認することが最低限の手続きだ。
財務リスク: OracleはS&Pの格付けでジャンク(投機的)の1ノッチ上まで格下げされている。AIプロバイダー同士が循環的に出資し合っており、財務構造が不透明だ。依存しているプロバイダーが3年後に現在の形で存続しているかどうかは、楽観視できない。
気候・電力: AIはまもなくフランス全土の電力消費量を超えるとされる。オランダでは電力網の過負荷により新築住宅への電力接続ができない地域が出ているにもかかわらず、大規模AIデータセンターの建設が進んでいる。公共機関がこのトレードオフを無視して導入を急ぐことへの社会的説明責任は重い。
デジタル主権: 官民のAI導入のほぼすべてがアメリカ系ビッグテックへの依存であり、データは収集・活用される。政策・行政データを扱う組織にとって、これは単なるベンダーロックインを超えた主権上の問題だ。
人材パイプライン: ジュニア人材をすべてAIに置き換えようという提案は、将来のシニア人材がどこから来るのかを無視している。今日の「コストセンター」を削ることが、5年後の技術的負債に直結する。
評価の前に「成功の定義」を決める
記事の後半では、AI導入を検討する意思決定者向けの実践的な問いが示されている。要点は次の通りだ。
- 導入「前」に、何をもって成功とするかを定義せよ
- 現場ユーザーに「これが必要か」を実際に聞いたか
- 評価できる立場にある人間(エンジニア・運用担当・法務)がレビューしているか
- ベンダーにIP侵害の補償を求めたときの回答を確認したか
Hubert氏はAIを全否定しているわけではない。AlphaFoldは本物の科学的成果であり、レーザーもインターネットも「くだらない」と笑われた末に不可欠な技術になった。ただ、急ぐ理由を誰も説明できていない今、立ち止まって考えることは合理的な判断だ、というのが記事全体の結論である。
詳細はAI: Considerations for people who make decisionsを参照していただきたい。