7月18日、ludic.mataroa.blogが「AI Mania Is Eviscerating Global Decision-Making」と題した記事を公開した。この記事では、AIへの熱狂が組織の意思決定を破壊しつつある実態について詳しく論じている。
HashiCorpの共同創業者でありターミナルエミュレータGhosttyの開発者でもあるMitchell Hashimotoは先日、こう述べた。
「今まさに、強烈なAI精神病にかかっている企業が無数に存在すると強く思っている。そういった企業と合理的な会話をするのは不可能だ」
この言葉を引用しながら、筆者はこの1年半で得た肌感覚を元に、組織におけるAI狂騒の実態を告発している。筆者は自社の営業・技術案件をほぼすべて担当し、世界中のプロフェッショナル約300人と対話してきたという。その立場から見えてきた現実は、かなり暗い。
筆者観測では、AIプロジェクトの成功率はゼロ
あくまで筆者自身の観察に基づく話として、**AI関連プロジェクトの成功率は文字通り0%**だという。自社が関与したものだけでなく、無関係な業務中に傍目で見ていたプロジェクトも含め、1年半で成功事例はゼロだったと筆者は述べる。
失敗の理由はAI技術そのものの限界だけではない。むしろ「もともとソフトウェアプロジェクトを適切に運営できない企業が、AIという追加リスクを抱え込んでいる」構図が多いと筆者は指摘する。通常のプロジェクトが抱える失敗要因に加え、AIプロジェクト特有の不確実性が重なる。ソフトウェアを確実に出荷できる組織ですら少ないのに、さらなるリスクを取れる企業はごく限られる。
最も多いパターンは社内向け・顧客向けチャットボットの導入だ。社内向けは従業員にほぼ使われない——理由は単純で、LLMはドキュメントに書かれていないことは答えられないのに、社内文書の品質が低いからだ。顧客向けは体験が悪く、筆者自身が三菱の電話ボットに問い合わせたところ、6ヶ月経っても折り返しの電話が来なかったという実例を紹介している。
さらに問題なのは、プロジェクト責任者が意図的に基本的な指標を計測しないか、容易に操作できる指標だけを追っていることだ。結果として、エラーログには残らず、表面上は「解決済み」に見える案件が積み上がっていく。筆者はこうした構造を「AIウォッシング」的な経営判断の問題として捉えており、技術現場だけでなく意思決定層そのものに責任があると見ている。
異端者は撃たれる
組織内では、AIへの疑問を口にすること自体が危険になっている。
従業員500名以上の大企業では、昇進や雇用継続にAIへの"信仰告白"が求められるようになっていると筆者は述べる。技術的な活用提案ではなく、まさに宗教的な信仰宣言だ。筆者が観察した極端な事例では、ある幹部が売上20億ドル超の組織向けにAI中心の技術戦略を策定した直後、「自分はChatGPTを一度も使ったことがない」と告白したという。
当初、筆者はこうした発言を「マーケティング上の戦略」だと考えていたが、実態はより深刻だ。技術的な背景を持たない人々が、自分の言っていることを本気で信じている。嘘をつく人間とは少なくとも理屈で話ができるが、真の信奉者は自己利益による説得すら通じない。
この圧力が現場エンジニアに生んでいる行動は、シュールそのものだ。
- 自分の判断ではAIが不要な仕事でも、「Claudeがやった」と報告するエンジニアが複数いる
- 「トークン消費リーダーボード」で消費量が多いほど評価される職場では、LLMに自分自身をループでプロンプトさせておき、その間に別の仕事やNetflixを見ているエンジニアがいる——そして誰一人バレていない
あるエンジニアはこう語っている。
「雇用を守るためだけに、GoのリポジトリをZigに書き直すようAIに指示して、自分は別の仕事をしている。使用量の追跡があるから。実際の仕事には使わず、ただ動かしているだけだ。本当に嫌になる」
そして実際に解雇されたのは、このAI戦略に対して疑問を公に示した人々だった。筆者は政府・公共機関においても同様の動きが広がりつつあると指摘しており、民間企業にとどまらず社会的意思決定全体への波及を懸念している。
デモが判断を狂わせる
筆者はSnowflakeのAIチャットボット機能「Cortex」を顧客にデモした経験から、「AIデモは意思決定を破壊する」と結論づけている。
Cortexはデータに自然言語で問い合わせができる機能だが、最良の設定でも精度は**約92%**(Snowflake自身のスタッフが説明した数字)——つまりCFOが使う数字の10件に1件が間違っている水準だ。本番利用には適していないと明示した上でデモを見せたところ、クライアントは例外なくそれを「買いたい」と言い出した。技術的な説明は全て無視された。
これは筆者が「デモは見せるべきではなかった」と後悔するほどの失敗体験であり、記事中で「これは最も予測可能な形で裏目に出た」と述べている。
組織論として読む価値
この記事が刺さるのは、AIの技術的な是非の話ではないからだ。正常な判断ができなくなった組織の中で、まともな感覚を持つ人間がどう生き延びるか——という問いを、具体的な観察に基づいて描いている。
筆者はAIウォッシングを単なる現場の問題と捉えず、経営層・意思決定層が説明責任を果たさないまま「AI推進」を錦の御旗にしている構造的問題として告発している。政府・公共機関への言及も含め、この熱狂が民主主義的な意思決定プロセスそのものを蝕みうるという危機感が、記事全体の通奏低音となっている。
「自分だけがおかしいのか」と感じているエンジニアや中間管理職にとって、この記事は一種の「正気の確認」として機能する。筆者も明示的に「あなたはおかしくない」と読者に呼びかけている。技術論ではなく組織行動論・経営倫理の観点からAIブームを批判的に検討したい読者にとって、読む価値のある一本だ。
詳細はAI Mania Is Eviscerating Global Decision-Makingを参照していただきたい。