7月17日、Digit.inが「What Is Inkling: Thinking Machines Lab's bet on customisable AI」と題した記事を公開した。この記事では、元OpenAI CTOのMira Muratiが創業したThinking Machines Labが初のオープンウェイトモデル「Inkling」を公開したことについて詳しく紹介されている。
Mira Muratiとは何者か
Mira Muratiは、2024年9月にOpenAIのCTOを退任した人物だ。OpenAI在籍時にはChatGPTやGPT-4のリリースを技術面で主導し、AI業界でもっとも影響力のある人物の一人として広く認知されている。退任直後から独自の研究機関設立を示唆する動きがあり、その帰着点がThinking Machines Labだ。同社が手がけるモデルが注目を集めるのは、こうした背景があるからである。
「最強」を目指さないモデルという賭け
Inklingの立ち位置は正直だ。Thinking Machines Lab自身が、InklingはオープンかクローズドかにかかわらずSoTAモデルではないと明言している。
ベンチマーク結果がそれを裏付ける。SWE-Bench、HLE、SimpleQAといったコーディング・推論系のテストでは、Claude、GPT、Geminiのフロンティアモデルに大きく劣る。オープンウェイト同士の比較でも、NvidiaのNemotron 3 UltraやZhipu AIのGLM 5.2には一部テストで負けている。
それでもなお公開する理由は何か。同社が打ち出す価値は「カスタマイズ性」だ。
アーキテクチャの概要
スペックだけ整理しておく。
- アーキテクチャ: Mixture-of-Experts(MoE)トランスフォーマー
- 総パラメータ数: 9750億(うち常時アクティブなのは410億)
- 対応モダリティ: テキスト、画像、音声、動画
- コンテキストウィンドウ: 最大100万トークン
- 学習トークン数: 45兆トークン
- 小型版: Inkling-Small(アクティブパラメータ120億)
MoEアーキテクチャ(Mixture-of-Experts)とは、モデル全体のパラメータのうち一部のみを各推論時に使う構造で、総パラメータ数が大きくても計算コストを抑えられる。GPT-4やGrokにも採用されている手法だ。
「カスタマイズ」を主軸に据えた理由
Thinking Machines Labの主張はこうだ。「最適化されたフロンティアモデルより、汎用的なジェネラリストモデルの方が、特定用途への特化(ファインチューニング)に向いている」。
この仮説の背景には、フロンティアモデルが特定タスクへの最適化を重ねるほど、追加のファインチューニングで挙動を変えにくくなるという実務的な問題意識がある。対してInklingは、汎用性を保ったまま公開することで「素材としての可塑性」を優先している、というのが同社の論理だ。この仮説が正しいかどうかは、実際のファインチューニング結果次第であり、ベンチマーク数値からは読み取れない。
Inklingは自分自身をファインチューニングするデモを披露した。モデルがファインチューニングジョブを作成し、合成評価データを生成し、新しい重みをコーディングエージェントに読み込むという一連のフローだ。ただし、このデモで実際に解かれたタスクはリポグラム(特定の文字を一切使わずに文章を生成するタスク)の生成に留まっており、業務システムへの組み込みや専門ドメインへの適応といった複雑な実務シナリオでの性能を示すものではない点には注意が必要だ。カスタマイズ性の主張を本格的に検証するには、より実践的なユースケースでの評価が求められる。
他に確認されている点として:
- Terminal Bench 2.1(ターミナル操作・CLIタスクへの対応能力を測るベンチマーク)でNemotron 3 Ultraと同等の性能を、トークン数3分の1で達成
- Cognitionの検閲耐性評価(censorship-resistance eval)で良好な結果(詳細は後述)
- 推論の計算コストを開発者が調整可能(速度・コスト優先か品質優先かを選べる)
「検閲耐性評価」とは何か
Cognitionの検閲耐性評価(censorship-resistance eval)は、モデルが過剰な安全フィルタによって正当なタスクを不当に拒否しないかどうかを測る指標だ。セキュリティ上の脆弱性を突いたり有害コンテンツを生成させたりする「脱獄(jailbreak)」耐性とは異なり、有用な応答を過剰に制限しないかという実用性の側面を評価するものである。コーディングエージェントや業務自動化などの用途では、不必要な拒否応答がワークフローを断絶させるため、この指標はエンタープライズ用途での信頼性評価として意味を持つ。
入手方法と提供チャネル
Inklingは以下から利用できる。
- **Tinker**(Thinking Machines Lab自社のファインチューニングプラットフォーム)
- Hugging Face
- 推論パートナー: Together AI、Fireworks、Databricks、Baseten
ファインチューニング自体もTinker上で本日より提供開始されている。
エンジニアにとっての本質的な問い
記事が最後に提示する問いは明快だ。
「賢いクローズドモデルのAPIを使い続けるコストと、カスタマイズ可能な中程度の汎用モデルを育てるコスト、どちらが自社のユースケースに合うか」
Inklingはリーダーボードの上位を狙うモデルではない。クローズドAPIでは対応しきれない特定ドメインのタスクに、オープンウェイトモデルをファインチューニングして当てるという選択肢を、Thinking Machines Labはオープンウェイトコミュニティ全体の代わりに試みている。
詳細はWhat Is Inkling: Thinking Machines Lab's bet on customisable AIを参照していただきたい。