
自分たちで決めたはずのWhyに悩まされる問題
DRANK
最近の「アジャイル」な現場に関して違和感を覚えることがあった。今回は、かつてのアジャイルと、今ここのアジャイルの間にある差分、その違和感について述べたい。 かつては、「Whyから考える」ということが場のメイクセンスに繋がる定番の切り口であった。ユーザーストーリーしかり、インセプションデッキしかり。シネックの「Whyからはじめよ」も随分と使う言い回しだった。それだけ、Whyが置き去りになりやすいということでもあった。まず、Whyから考える、それだけで場が動くことが多かった。 このWhyを「自分たちで考えて、自分たちで決める」ところにポイントがあり、いかにして自分たちで考える場を