NECはなぜGoogleになれなかったか――量子コンピューター開発「痛恨の判断ミス」科学技術立国・日本崩壊の真相(2/4 ページ)

» 2020年01月14日 06時00分 公開
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「ベンチャーとNECは釣り合わない」

 しかも、2人のいるカナダの企業には、量子コンピューターの理論の専門家がいるだけで、自前の実験拠点すら持っていないという。一方のNEC基礎研究所は、有名国立大や国の研究機関をもしのぐ「世界最先端の実験設備」(中村氏)があり、さまざまな特許も保有していた。微小な炭素材料のカーボンナノチューブなど、ノーベル賞級の成果も複数出していた。

photo 世界中の起業や研究機関がしのぎを削る量子コンピューター開発(写真はイメージ。提供:ゲッティイメージズ)

 「特許を1つしか持っていないベンチャーとNECでは釣り合わない」。結局、基礎研究所長だった曽根純一氏の判断で申し出を断ったと、複数の関係者は証言する。今でこそ、大企業とベンチャー企業が組んで研究開発をする「オープンイノベーション」が当たり前になっているが、曽根氏自身も「当時の日本には、まだそういう感覚がなかった」と振り返る。

 このカナダ企業こそ、八年後、限定的な用途に特化した「特化型」のタイプながら、世界初の商用量子コンピューターを発売したDウエーブシステムズ社だった。

 同社が話を持ちかけたのは、NECがその数年前、量子コンピューターの根幹技術を開発していたからだった。

 根幹技術とは、量子コンピューターの計算の基本単位となる「量子ビット」の回路の作成で、基礎研究所にいた中村氏と蔡兆申(ツァイヅァオシェン)氏が99年、世界で初めて作成に成功し、英科学誌ネイチャーに発表した。量子ビットはあくまで理論上のもので、「モノ」としてつくるのは難しいとみられていただけに、論文は世界的な反響を呼んだ。

「世界初の実用化」で敗北……

 当時のNECは、間違いなく量子コンピューター研究のトップランナーだったと言える。それにもかかわらず、「世界初の実用化」の成果を勝ち取ったのは、NECが「パートナーとして考えられない」と相手にしなかったDウエーブシステムズ社だった。

 なぜ追い越されたのか。そのカギを握ったのが、物理学者のセス・ロイド氏(現・米マサチューセッツ工科大教授)だ。

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