心理学と私の関係
今日、日経新聞で心理学のことが取り上げられていました。
「つまみ食いを我慢できる子は将来成功する」「目を描いた看板を立てると犯罪が減る」――。有名な心理学の実験を検証してみると、再現できない事態が相次いでいる。望む結果が出るまで実験を繰り返したり、結果が出た後に仮説を作り替えたりする操作が容認されていた背景があるようだ。信頼を失う恐れがあり、改めようとする動きが出ている。
私は二十数年前から新卒でIT業界にずっといるのですが、実は大学は心理学科でした。大学院に行こうと大学四年生の冬(卒業の四か月前)まで思っていたんですが、どうも経済的に無理そうなことがわかって急遽仕事を探したら、当時、未経験でも人を欲しがっていたSES業界に拾われたという経緯です。当時のIT業界、特にSESについては未経験でも良かった・・という話は置いておいて、心理学が珍しく話題になっているので思い出でも語ってみようかと思います。
思い出
いやもう、二十数年前から、心理学関係の人々の、「心理学は科学か」に対するコンプレックスは大変なものでしたよ。
文学でも人の心理の細やかさを見事に表現しようとします。哲学は、考えることで人間界の真実を導こうとします。美術や音楽などの芸術も、人の心の深遠さを表現しようとします。精神医学は病理的な観点から心を定義します。何が異常なのか、それに対する薬学的アプローチで改善しようともします。もちろん薬を使わないメソッドも含めて精神医学でカバーします。情報処理だって人の心が行う計算を自動化するための学問です。
ありとあらゆる学問が、人の心を扱っていて、じゃあ「心理学」って何。二十数年前にも心理学を語って、まるで占い師のようなことを言って、人の心をもてあそぶようなことを言ってメディアで「心理学者」って名乗って登場している人もいました。ですが明確に、心理学関係者からは白眼視されていました。あれは心理学じゃない。じゃあ心理学とは何か。人は心理を科学的に知りたいのに、心理学はどうすればいいかについて議論の最中にありました。
ただ、議論の最中にあったといっても「科学的アプローチ」という言葉に非常にこだわりがあって、授業の一環で科学に関する講義もあったほどでした。まず科学であること。心理学にもいろんな分野があり、臨床心理やカウンセリングという精神医学に似たもの。発達心理という教育学に似たもの。認知心理や学習心理という情報処理に似たもの。社会心理はメディア学にも通じるもの。人の心を扱う限りは何しろいろんな広がりがあるのはもはや宿命であるとしても、まずは科学でなければいけないんだということを、どの分野の先生も言っていたと記憶しています。
科学的アプローチとは何か。これは以下のような話だったと記憶しています。
・仮説を立てること
・仮説を証明するための実験を行うこと
・実験の結果、再現性があることを実証すること
・結論として、再現性があるため仮説が真実であると断言できること
この骨組みこそ科学的アプローチで、心理学ではなくても科学を標ぼうする限りはこのプロセスを守ることとありました。
ちなみに、社会人になってとても役に立っている知識の一つです。ビジネス企画であっても障害報告書であっても、科学的アプローチを守って文書を作ると説得力は増すものです。この辺りを経験していないシステムエンジニアの報告書は、仮説があやふやだったり、実験内容が主観的であったり、結論がぼやけていたりして、いつも注意をしているところでもあります。
また、この再現性があることについて、心理学が依存しているのは「アンケート」です。だって、人の心を開いてのぞくことはできないからです。問いかけてみないと答えが返ってこないので、その問いをたくさん作って、答えてもらいます。それらの統計を取って、95%以上仮説の傾向が見られるとしたらそれは真実だ、ということ、「有為性」という言葉を習いました。
なんとなく、心理学=アンケートの統計分析、みたいな側面があって、これは今のマーケティングにも通じるところもあります。
カウンセリングや臨床心理など、異常系の心理にしたって、その異常を何を持って異常とするかについて議論となり、アンケートを取るのも難しい(相手は異常を訴えているから)。では精神医学の理論や哲学の理論も勉強することになり、結構深みにはまる学問だったと記憶しています。精神科における症例研究などから仮説を見出し、科学的に再現性を説いていくのは私には「無理ゲー」に見えました。もともと精神医学には医師免許を持った医者が絶対的な権限を有し、保険外でひっそりと活動しなければいけない臨床心理士やカウンセラーのポジションも当時から微妙でした。
認知心理学や学習心理学だって、脳科学へのアプローチを進めれば進めるほど、医学とバッティングしてくる。もちろん世界的には医学や薬学のほうが本流で、心理学はニッチな世界でしたから、医学や薬学から出されるアウトプットを机上で悩むという、歪んだ性質を感じました。
このように、心理学自体のコンセプトや科学的アプローチ自体は、大学生の私にとっては非常に刺激的だったものの、一生を預けるほど、確固たる学問然とはしていなかった。これが私が心理学ではなく、「計算できっちり答えが導き出せる」コンピュータの仕事へ向かさせた一因の一つだったと記憶しています。
二十数年後の現在
そこから二十数年後にいる私ですが、面白いことに情報処理の学問が今夢中になっているのは、AI、人工知能の世界です。
人の心を、数学で導くというもの。
私には、皮肉のように聞こえます。
だって、心理学を学んでも人の心を導きだすのは無理だ、と思った私が選んだ情報処理の世界が人の心に近づこうとし、そして明らかに近づいています。
一方で、心理学が、実験による科学的アプローチについて反省を行っている。実験は人間の恣意的な条件設定や測定方法により、ゆがめられてしまう。そしてまだ答えがまだ見つけられていない。
しかし、AIも万能ではなく、AIが恣意的なデータをもとにすることで、歪んだ結果を出してしまう問題が今クローズアップされている。
またAIと言ったって、画像認識や音声認識、翻訳や要約など認知系ばっかりが先行し、肝心の情緒的な部分はほとんど進んでいない(快楽か不快かを見分ける程度)。
世界は、まだ人の心が何か試行錯誤中であり、だからこそ神秘的であり、いろんな立場の人がたくさんの人が追い求めているんだろうと思います。
・・というのが、心理学科卒業のシステムエンジニアが思うことです。まだまだ、誰にも人の心はわかっていませんよ。それでいいと思います。